作品6『あの日の虹、親父の肩』

安乃澤 真平

作品6『あの日の虹、親父の肩』

結婚のけの字もなかった僕が結婚すると言ったら、

十数年ろくに口を聞いていなかった親父から連絡が入った。


「たまにはちょっと付き合えよ。行きたいとこあんだ。」


そうして僕は、週に一度しかない休日を使って、親父と会うことにした。


連れて来られたのは、とある団地を見下ろす小高い丘の上だった。

見覚えのある景色で、風がよく吹いている。どこかでかいだ香がした。


親父は辺りを見渡すと、


「確かあの辺りだったな。」


と言って右手で目の前の景色を左右と指差した。

僕が何も返事をせずにいると、親父は続けた。


「昔、あの辺りに大きな虹が出たんだよ。

 それを俺たち家族がここで見つけてよ。そしたらお前、いいこと言ったんだけど、

 覚えてるか?」


全く覚えていない話だった。だから顔を横に振った。

親父は別に気にしていないようで、出していた右手をポケットに入れた。

寒いのか、親父は少し震えているように見えた。


しかしすぐにまた右手を出して声を上げた。


「お父さん! あの下に行ってみようよ! だってよ。」


親父が見せたのは、当時の僕の振る舞いだった。

忙しなく右手をまた元に戻して、笑ってなんかいる。


聞いても思い出せなかったけれど、

その時の感動は親父の語り口で何となくわかった。


ふーん、という僕の返事は生返事でしかなかったけれど、

幼い頃にそう言ったらしい自分をどこか誇らしく思った。

僕たちは肩を並べて、同じ景色をしばらく眺めていた。


吹く風が冷たくなった。

親父の少ない髪がなびくのが視界の端に見え、私は思わず親父の方を見た。


そしてその横顔で思い出した。


「昔、住んでた場所か、この団地。」


親父は何も言わなかった。

しかし僕はここに連れて来られた理由をその横顔に見出した。


「きょうは虹出ないみたいだね。」

「別に出なくたっていいんだよ、虹なんか。」


親父にはたぶん見透かされている。

僕は自分の肩より低い位置にある親父の肩を見て、

再び虹を探した。


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作品6『あの日の虹、親父の肩』 安乃澤 真平 @azaneska

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