或る特攻隊員の遺書

加賀倉 創作【ほぼ毎日投稿】

或る特攻隊員の遺書

——昭和二十年八月十三日、宮城県松島基地にて。


 夜。

 古いランプが、生臭い油の臭気を漂わせる。

 閑散とした作戦室には、二人の将校の低い声のみが響いていた。


由良木ゆらぎ少佐殿、先程のは慶應卒だそうですが、多分、航空隊は特別扱いで何でも許されると思っておるのでしょう。あの女々しい文章。とんだ勘違い野郞でしたね。いやあ、のし甲斐がありました」

 大尉が、細く整った口髭に触れながらそう言った。

 

「まあ、そう言う見方もあるな。で、今度のは……生野だ。東京帝國大學を出ている。日の本の最高峰の頭腦を持つ男は何を書き殘すのか、樂しみだねえ」

 少佐はそう言って、その頭に糊のついていない封筒から、二つ折りされた一枚の藁半紙わらばんしをそっと引き出した。


 紙を開く。


 少佐は何かに気づき、

「何だかな、この紙は」

 とつぶやくと、鼻で息を吸う。

「なるほど『靑臭い』と! ハハハ、少佐殿もご冗談がお上手ですな。これまた覺悟の決まらない女々しい男の小便臭さ、と言うところですかね」

 大尉は相変わらず、飛行機乗りを見下しているような口ぶりだ。


 そして二人の将校は紙を覗き込み、そこに書き記された文字に、目を通し始める。



————————————————————


崎の皆樣



 太郞は今上陛下より、祖國の爲敵艦に對し特別攻擊を仕掛けるという大いる敕命を賜り、感激の極みでございま

 三時閒後の出擊の後は、潔よく散るのみ。

幸太郞の狙は、敵の巨大空母です。祖國の爲、必ず擊沈してみせます。

幸太の驅る機、零式艦上戰鬪機は一羽の鷹。これを以て、鷲を二十羽狩る。

大空を羽擊く鷹は、その高敏捷性と九九式二五番通常爆彈による魂の攻擊によって、鬼畜米兵供は好むと好まとに關わらず、鐵屑と油と火の海體を投げ出し、その鮟鱇のような白身を黑く焦がし、海水をひどく染せ、赤子のように泣き喚く。

そのようにして、鷹は鷲に下剋上を果すのです。

 八日位經ったら、鹿兒島海軍航空隊國分第八基地第四分隊七班の野幾三君に便りしてくださ

 これは便宜上遺書という形式を取りますが、これあくまで特攻する覺悟を認めるめのものです。

つまり、己がを示し同情や淚を誘うための道具ではありません。

そもそもこのようにして最期、細島の、知己や恩人に向けて己が思いを屆けることを許れているの、な國は寬大なことか。

郞はそれに甘じてはいけない。

その太郞は、これを受け取る人閒が、幸太後にこれを形見の如く扱い崇拜し、つまらな感情を抱く對象物に成り果ててはならないと考える。

 そこでがあります。一度ここまで讀んでいただけましたら、これを幸郞の亡骸だと思って、燐寸の火で炙って火葬してやってださい。

 

 幸太郞は只今より東の海へ

 

 では皆樣、再び黃泉の國でう時まで、お休みなさ



 神風特別攻擊隊第七御盾隊第三次流星隊

 昭和二十年八月十三日 午后七時十七分

 海軍一等飛行兵曹 野 幸太郞


————————————————————



 由良木少佐は、藁半紙を、谷折り線に沿ってさっと折り合わせた。


「……一見、覺悟を決めたような物言いですが、言ひ譯じみた言葉が目立ちますな。それにこの藁半紙、胡麻ごまを散らしたような汚れが多くて、見苦しい……」

 大尉が意地悪くそう言った。

 すると由良木少佐は腕を組み難しい顔をして、

「ウーン、この生野と言う男は中々良い文章を書くものだ。覺悟が表れておる。ほんの僅かだが、文才も感じる。戰爭が無ければ、文豪にでもなるに違いな……」

 と言葉の途中で急に黙り、自身の口から出た『戦争が無ければ』という言葉の意味をよくよく考える。少し眉をひそめるのだが、やはり自分を言い聞かせるようにして首を横に振り、特攻隊員生野幸太郎いくのこうたろうの魂の言葉から逃げるようにして、慌てて便箋びんせんを封筒にしまいこんだ。



***



——さらに夜も更けて。


 由良木少佐は、大尉が寝静まった後で、作戦室に忍び込んだ。

 と言うのも、生野幸太郎の遺書に、何か引っ掛かるものがあったのである。


 手には、燐寸マッチの箱。


 由良木少佐は、大きな包みの中から『差出人:生野幸太郎』と書かれた封筒を引っ張り出し、糊を丁寧に剥がし、開いた。


 中から便箋を引き出す。


 そして、燐寸の一本を取り出して箱の側面に擦って点火し、便箋の端を摘み上げ、それを炙り始めると……


 便箋の上のそこかしこ、大尉が胡麻と揶揄やゆした斑点はんてんのある箇所に、変化が現れた。



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三八崎の皆樣四一



 太郞は今上陛下より、祖國の爲敵艦に對し特別攻擊を仕掛けるという大い一一る敕命を賜り、感激の極みでございま四五

 三時閒後の出擊の後は、潔よく散るのみ。

幸太郞の狙三三は、敵の巨大空母です。祖國の爲、必ず擊沈してみせます。

幸太の驅る一七機、零式艦上戰鬪機は一羽の鷹。これを以て、鷲を二十羽狩る。

大空を羽擊く鷹は、その高一四敏捷性と九九式二五番通常爆彈による魂の攻擊によって、鬼畜米兵供は好むと好ま三九一九とに關わらず、鐵屑と油と火の海二九體を投げ出し、その鮟鱇のような白四三身を黑く焦がし、海水をひどく染四四せ、赤子のように泣き喚く。

そのようにして、鷹は鷲に下剋上を果一五すのです。

 八日位經ったら、鹿兒島海軍航空隊國分第八基地第四分隊七班の二八野幾三君に便りしてくださ一六

 これは便宜上遺書という形式を取りますが、これ三七あくまで特攻する覺悟を認める三二めのものです。

つまり、己が二六を示し同情や淚を誘うための道具ではありません。

そもそもこのようにして最期、細島の二一二五、知己や恩人に向けて己が思いを屆けることを許二二れているの、な二三二〇國は寬大なことか。

郞はそれに甘二七じてはいけない。

その三四太郞は、これを受け取る人閒が、幸太三六後にこれを形見の如く扱い崇拜し、つまらな感情を抱く對象物に成り果ててはならないと考える。

 そこで二四三一があります。一度ここまで讀んでいただけましたら、これを幸三五郞の亡骸だと思って、燐寸の火で炙って火葬してやって一〇ださい。

 

 幸太郞は只今より東の海へ四二四〇一八

 

 では皆樣、黃泉の國で再び三〇う時まで、お休みなさ一二



 神風特別攻擊隊第七御盾隊第三次流星隊

 昭和二十年八月十三日 午后七時十七分

 海軍一等飛行兵曹 一三野 幸太郞


————————————————————



「やはり生野は、野菜の搾り汁を使ったな」

 由良木少佐は感心したのか、そう言って笑みをこぼした。


 そして、漢数字の振られた文字を、昇順しょうじゅんで読み上げていった。



——————


 一「幸」

 二「太」

 三「郞」

 四「は」

 五「弱」

 六「い」

 七「死」

 八「に」

 九「た」

一〇「く」

一一「な」

一二「い」

一三「生」

一四「き」

一五「た」

一六「い」

一七「愛」

一八「す」

一九「る」

二〇「お」

二一「母」

二二「さ」

二三「ん」

二四「お」

二五「父」

二六「さ」

二七「ん」

二八「友」

二九「に」

三〇「會」

三一「い」

三二「た」

三三「い」

三四「幸」

三五「太」

三六「郞」

三七「は」

三八「宮」

三九「ざ」

四〇「き」

四一「へ」

四二「征」

四三「き」

四四「ま」

四五「す」


——————



 由良木少佐は、全てを理解した。


 その後、生野幸太郎の遺書の入った封筒には、一枚の紙が追加され、再び糊で綺麗に閉じられた。

 追加された紙と言うのは、

生野幸太郞いくのこうたろう殿の上官である私由良木宗親ゆらぎむねちかが、誤ってランプを倒し、その火で遺書を一部燒いてしまったことをお詫び申し上げる」

 という言い訳じみた謝罪を記した添え状。


 翌朝、由良木少佐は、何事も無かったかのように、その封筒を郵便集配人に渡した。



***


 

——基地から遠く離れた海上。


 宮城県松島基地を発った、四つの日の丸を携えた青竹色の機体は、白い筋状の飛行機雲を、本州東方海上の目標座標目掛けて真っ直ぐには伸ばさず、西へ西へと弧を描いていた。


 操縦席を覆う透明な風防の向こうには、朗らかな笑みを浮かべる、飛行機乗りの顔があった。


〈完〉



【結びに】

 想像を絶するであろう葛藤の中、神風特別攻撃隊の一員として出撃し、若くして亡くなった方々に、哀悼の意を捧げますとともに、ご遺族の皆様のご多幸を深くお祈り申し上げます。


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