壁際の婆

奈須田相差

壁際の婆

 深夜に目が覚めた。

 目が覚めたつもりだが目が開かない。そればかりか身体が全く動かない。何か頭痛で頭の中がわんわん唸っているみたいな不快感。まさか脳卒中じゃないだろうな。せめて目を開けたい。そう念じたら薄目を開けることが出来た。

 後悔した。

 右目の端に、いるはずの無いものがいる。見知らぬ和服姿の婆が正座している。それも床から50cmくらいの空中で。となるとこれは金縛りというやつか。

 とにかく婆には消えてもらいたい。心の中でお念仏でも唱えようとして気が付いた。さっきから頭の中でわんわん唸ってるの、お経だ。婆がお経を唱えてやがる。普通あんたらお経で退散するんじゃないのかよ。それともお経とお念仏でラップバトルでも仕掛けられてるのか?受けて立つわけではないが他にどうしようもなくて、心の中でお念仏を必死に唱えながら何とか目は閉じた。

 どのくらいそうしていたのか、ふと気が付くと朝だった。婆は跡形も無く消えていた。


 数日後。

昨夜ゆうべ、夜中に変な婆さんが出た」

 いきなり弟がそんな話を始めた。

「枕元で着物姿の婆さんが正座してたから、不法侵入!って蹴飛ばしたら消えたんでそのまま寝たけど」

 それはまた頼もしい……と呆れながら、ふと思い付いて聞いてみた。

「その婆さん、どこにいた?」

「そこの壁際」

 その壁の向こう側は、この前婆が正座して浮いてたところだ。

 なんか気持ち悪いな……と弟が有名どころの御札をその壁が続く廊下の鴨居に置いた。それ以降婆を見たことは無いが、廊下の人感センサー付きの照明が度々変なタイミングで点いたり消えたりしていた。


 十数年後。

 実家の改築が済んだので、久々に訪ねた。

 隣接地を割安で譲ってもらったとかで、とはいえそんなに広くなってもいないが、カーポートの他に小さな庭が作れて、親が早速家庭菜園を始めていた。家の中を案内してもらっていたら、2階の廊下に真新しい御札が掲げてある。

「……あの婆さん、まだ出るのか?」

「いや、もう見ないね。そもそもあの婆さんが出た壁があったのって、今の玄関前のアプローチ辺りの上空だから、もう出る場所が無いよ。新しいやべーやつが来ないように御札は毎年頂いてるけど」

 弟は屈託無く笑う。

 そうかそれは良かった……と、至って正常な人感センサー付きの照明を横目に頷いた。……が、待て、おい。玄関前のアプローチ辺りの上空って、バルコニーの目の前じゃないかよ。夜中にバルコニーに出て流星群でも見ようと思ったのに。そっちが見た婆は普通に畳の上にいたみたいだが、こっちが見た婆は空中にいたんだぞ……。

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壁際の婆 奈須田相差 @Vicarya4471

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