第20話 捜査会議を食堂で

「あははははは」

 男たちの笑い声の中、公女はハイヒールを脱ぎ、近くにきちんとそろえて置いた。

 スッ

 公女が木刀を構えた瞬間、男たちの笑い声が止んだ。 

 初めて見る構えだ。

 軽く膝を曲げているのか、ドレスの裾が地面につき、足の位置が見えない。

 一番大きな男の眉間に向けて、両手で正面に木刀を構える。

 後ろからでも、覇気が伝わってくる。

 静かで、冷たい。

 公女の瞳の色を連想させる。

「マルク。お前だ」

「親父、マルクを行かせるまでもねぇよ。俺が」

「黙ってろ」

 後から、片方の目に傷を負った、体格の良い男が出てきた。

 マルクと呼ばれた男は木刀をひろうと、右手で構えた。

 真剣な目をしている。

 構えからして、この男は剣術の心得があるのだろう。

 場数も踏んできている。

 木刀とはいえ、公女の細腕で叶う相手ではない。

 それでも、なぜだろう。

 僕は公女がしようとしていることを、側で見守りたいと思ってしまう。

「宜しくお願いします」

 公女が声を上げると、緊張感が辺りを包む。


 夕日が、沈む直前に明るく輝き、スッとその頭を隠した。

 刹那。

「やぁああ」

「うおおお」

 ダン カツン

 二人が一瞬ですれ違い、立ち止まる。

 公女のローブがずれ、一つに束ねた黒くしなやかな髪がなびく。

 薄暗くなった路地裏で、二人はピクリとも動かない。

 カラン

 どちらかが、木刀を落とした音がした。

「くっ」

 マルクが、右手の甲を押さえ、背中を丸める。

「おい、まじかよ」

 マルクに仲間が駆け寄る中、公女は背を向けたまましゃがみ、刀を納めるような動作をして立ち上がった。

 凄い。

 公女は、片足を音がなるほど強く踏み込み、その勢いを殺すことなく、相手の手の甲を正確に打ち抜いた。

 こんな剣術を公女は一体どこで…。

 大きな男が、公女に近づく。

「マルクは、俺の仲間の中で、一番剣術に長けている」

「真剣だったら、こうはいかなかったでしょう」

「ははは。謙虚な一面もあるんだな。おかしな奴だ」

「そんなおかしな奴に、雇われてもらえませんか?」

「俺はガブリエルだ。お嬢ちゃんは?」

「エイヴィル・デ・マレと申します」

 周囲が一気にざわつく。

「な。さっきそいつが公女様って呼んでたのは…本当に…」

 公女は、ニッコリと微笑む。

「雇い主として、不満はありますか?」

「はっ。ねえよ。大金持ちのお嬢様だ」

 ガブリエルという男も、ニッと歯を見せる。

 どうやら交渉が成立したようだ。



 公女は、ガブリエルといくつか取り決めをした。

 まず、公女が彼らに、

  領地に、いくつか詰め所を建てること。

  制服を支給すること。

  学習や訓練の場を与えること。

を約束し、代わりに

  領地で事件が起きたら、公爵邸に書面で報告すること。

  犯人を確保した場合、手荒な拘束はしないこと。

  処分は教会に委ねること。

を求めた。

 ガブリエルは、まだしっくり来ていないようだが、受け入れた。

 公女は、彼らに何をさせようとしているのだろうか。

 そして、ガブリエルとマルクに、明日公爵邸を訪ねるように伝え、その場を後にした。

 公女は、ハイヒールを手に持ったまま、僕の前を歩いている。

 大通りに出て、ガブリエルたちの視線が切れた瞬間、僕は公女を抱きかかえた。

「わあ!カーライル卿!急に何を」

「恋人の設定は、もう終わっていましたか」

「自分で歩けます」

「裸足で歩く公爵令嬢だなんて、聞いたことがありません」

「靴が汚れてしまうかと思いまして」

「ははは」

「何ですか」

「いえ。さっきのガブリエルという男も言っていましたが、公女様は頭の回転が早く、毅然とした態度で誰に対しても物怖じせず、剣術まで得意でいらっしゃるのに、とても謙虚だ」

「だったらカーライル卿こそ、強くなるために、血の滲むような努力をされてきたのに、それを微塵も表に出さない、心の強さまで兼ね揃えているじゃないですか」

「…」

「…」

「あははははは」

 僕たちは、同じタイミングで吹き出した。

「私達、お互いのことが好き過ぎる恋人設定でしたっけ?」

「はい。確かそうでした」

「あははははは」

 小さく、華奢な体が、ケラケラと揺れている。

 愛おしくて、胸が締め付けられる。

(お前は、あいつが誰かに抱かれている時でさえ、部屋の外でお座りしてるんだろ?)

 僕以外の男の腕の中で、この笑顔が転がる姿を想像しただけで、怒りで目の奥がチカチカする。

 たとえナイトの称号を賜ったところで、身分の差は埋まらない。

 だったら、もっと実績を積み、公女に選ばれる騎士になればいい。

「公女様」

「なんですか?」

「また、お供させてくださいね」

「はい」

 僕は、もうすぐ終わってしまう今日という日を、何度も何度も胸に刻み込んだ。



「だ~か~ら~、何でここに集まってるんだ!」

 ノアが一人で喚き散らしている。

 広い食堂に、見慣れない顔が並ぶ。

「丁度いい場所がなくてさ。ごめんねノア」

「お前が有名なノア・ウェールズか。食堂をやってるとはな」

 ガブリエルが豪快に笑う。

「公共の食堂じゃねぇからな!とにかく、俺はこいつに調理場について教えないとならないから、静かにしてくれよな」

「静かにって、そいつは言葉が分からないだろうが」

「うるせぇ!俺の気が散るんだよ」

 ノアは、昨日の店主に、身振り手振り一生懸命仕事を教えている。

 今朝一番にノアの元へ連れて行き、不審な顔をされたが、焼き鳥のようなあの料理を食べさせた途端、気が変わったようだ。


「あ、あの…続きを教えて頂けますか」

「おお、悪い。眉毛は、こう、太くてつり上がってて…鼻は…」

 イザベラが、スケッチブックを手に、ジルを襲った犯人の似顔絵を作っている。

 ちらりと覗くと、かなりの完成度だった。

「そうそう。あまりリアルに書きすぎないほうが、いいよ。抽象的な絵のほうが、似る場合が多いの」

(あと、腕のタトゥーも、こっそりスケッチしておいてね)

(かしこまりました)



 ドアが開き、更に人が増える。

「公女様。マルク氏に訓練場の案内をしてきました」

「カーライル卿。ありがとうございました」

 カーライル卿の顔を見たら、昨日の楽しかった思い出が蘇ってきた。

 だが、カーライル卿は、私の顔を見た瞬間、青い顔で謝罪をする。

「公女様、本当に申し訳ありませんでした」

「カーライル卿、何度も言いましたが、これは自業自得なので」

 昨日、裸足で強く踏み込みすぎたせいで、私は利き足と両手首を負傷してしまったのだ。

 一振りで、全治二週間の捻挫。

 エイヴィルの身体、か弱すぎる…

「公女様の剣。学びたい」

 マルクが、小さくつぶやく。

「おいおいまさかそいつ、近衛騎士団と一緒に訓練をするわけじゃないだろうな」

 ノアが口を挟む。

「ううん。近衛騎士団員は、皇室に所属している騎士団だもん。一緒に訓練はしないよ。ただ、場所だけお借りしたの」

「じゃあ、誰が訓練するんだよ」

「私がマルク氏に教えて、マルク氏が皆に教えるの」

「だから今日はそんな格好なのか」

 私は、乗馬服を着ている。

「で、何を教えるんだよ」

「逮捕術だよ」

「逮捕術?」

「そう。逮捕する側も、される側も、なるべく怪我をしない方法で犯人を捕まえる方法を教えるの」

「何で犯人まで庇うんだよ」

「教会で処分が決まるまで、犯人と決まったわけじゃないからね」

「はぁ」

 司法制度が確立してないこの帝国において、私の考えが受け入れられないことはわかってる。

 それでも、少しずつでも、皆を理不尽や不条理から救いたい。

 エイヴィルのためにも。

「公女様の剣、学びたい」

「あ、マルク氏お待たせしていましたね。行きましょう。ノア、あとよろしくね」

「お、おい」

「公女様、そのお身体で大丈夫なのですか」

 私は、マルク氏とカーライル卿と一緒に、外にひょこひょこ歩いていく。




「公女様。また何か始められたようですね」

「ああ」

 二階の廊下の窓から、公爵閣下と共に、訓練場にいる公女を見下ろす。

「領地の中心街で、人を雇いたいと言ってきた」

「領地でですか。ここではなく」

「ああ」

「あの男性はどなたでしょう。目元に古傷がありますね」

「マルクス・ハイント。以前西にあった男爵家の元私兵だ」

 相変わらず、情報が早い。

 いつの間にお調べになったのだろう。

 しかし、こんな昼時に公爵閣下のお姿を見られるとは。

 主治医として、本当に嬉しく思う。

 だが、回復に向かっている時こそ、慎重にならなくてはならない。

 心は常に一定ではない。

 必ず波がある。

 回復幅が大きければ、それだけ深く沈む可能性を帯びているのだ。

 だが、きっと大丈夫だろうと、根拠のない自信が湧いてくるから不思議だ。

 公女が記憶を失ってから、様々なことが変わった。

「そろそろお部屋に戻られますか」

「ああ。そうしよう」

 横目で公女を見る。

 汗を輝かせ、短めの棒を振り回している。

 その後ろで、カーライル卿がオロオロしている。

「まったく。捻挫を甘く見てはいけませんよ」

 以前では考えられないような光景に、思わず笑みがこぼれる。

 今度、またジルを連れて来よう。

 ワクワクした気持ちで、公爵閣下の後を追った。



 

 皇宮の端にある小さな塔の中、殺風景な部屋。

 夕日が容赦なく差し込む。

 石の壁がむき出しで、まるで監獄のようだ。

 その真ん中に、美しい鳥かごが吊られている。

 中には、エミリーのカラス。

 コツコツと、足音が近づいてくる。


 少し冷える。

 何か羽織ってくればよかったと後悔する。

 だが、日没まで時間がない。

 鳥かごを開け、餌を与える。

 その隙に、首についた小さな筒に、丸めた手紙を詰めた。

「お願いね」

 黒い鳥は、赤い夕陽に向って羽ばたいていった。

 何だか、ひとどく不気味な光景だと思った。

 私は鳥かごをチェストにしまい、足早にその場を後にした。

 エイヴィル。お願いだから、むちゃをしないで。



「皇帝陛下へ謁見を申し込みたい」

「皇太子殿下、申し訳ございません。皇帝陛下はお身体の具合が…」

「これで何日目だ。舞踏会の日からずっとではないか」

 公女を皇室に招いたことで、父上はご立腹なのだろう。

 父上や招待した貴族たちを欺く形にはなってしまったが、なぜそこまで公女を嫌う。

 いや、公爵を避けているのだろうか。

 二年前から、私の気持ちは何一つ変わっていない。

 エイヴィル。

「そなたは絶対に、私の妻になるんだ」




「それじゃあ、また連絡します」

 日没前。

 公女自ら正門まで赴き、路地裏から来た客人達を見送る。

「ああ。もう似顔絵は勘弁してくれよな」

「公女様。また手合わせしてください」

 公女は二人に笑顔を贈ると、その姿が見えなくなるまで手を振り続けた。


 公女が教えた武術は、人間の身体の構造をよく理解し、それをうまく利用しているものだった。

 それこそ、力の弱い女性でも、練度を上げれば大きな男を制圧することも可能だ。

 ラルク氏は、すいすいとその武術を飲み込み、自分のものにしている様子だった。

 その後公女は、ガブリエル氏に、仲間の中に文字の読み書きができる者が何人いるか、馬に乗れるものがいるかなど、細かな確認をした。

「夕食は、いかがいたしますか」

 僕は公女の後ろから声を掛けた。

 許されるなら、食堂で夕食を共にしたい。

「ノア達の様子が気になるところですが…。他の騎士達は、私がいると気まずいと思いますので、部屋に戻ります」

 公女は、笑顔で振り返る。

 その笑顔が、何となく切ない気持ちにさせた。

「申し訳ございません」

「カーライル卿が謝ることではないです」

「…」

「やはり、女性の地位は低いですね」

「公女様」

「ガブリエル氏やラルク氏は、私を受け入れてくれました。ノアやカーライル卿だって。でも、以前のエイヴィルはどうだったのでしょう」

「それは…」

 僕は言葉に詰まってしまった。

 昨日と同じく、真っ赤な夕日を浴びた公女。

 だが、身体の大きな男性に立ち向かっていったとは思えないほど、小さな少女がそこにいた。

 僕に守らせてほしい。 

 僕は、公女の手にそっと触れる。

「カーライル卿?」



「公女様!」

 公爵邸から、見慣れないメイドが走ってくる。

「エミリー!」

 自然と、公女の手が離れる。

「はぁはぁ。公女様、鳥が戻りました」

「!」

「はぁはぁ。こちらです」

「うん。カーライル卿、今日はお疲れ様でした」

「おやすみなさいませ」

 僕は敬礼をして、ひょこひょこ歩く公女を見送る。


 鳥が戻った。

 以前言っていた、軍鳩のことだろうか。

 この時僕はまだ知らなかった。

 皇女からの手紙で、事件が大きく動き出すということを。



       捜査会議を公爵邸で

       第一部 完

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捜査会議を公爵邸で YONe @YONe_pot

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