第8話 風見鶏令嬢、天使と悪魔の賭けにされる

「――っふ。まあ、貴方のような小娘に、悪魔除けなどという大役は務まらないでしょうが。まあ、今回は初回サービスです。プロの天使による悪魔狩りを良く見ていなさい」


 第三天使ガリンヌが、悪魔のトラストの目前に迫った。


「さあ、トラスト。遊びの時間は終わりです。覚悟なさい」


 対峙するトラストが、ごくりと息を呑む。迷子になっとった少女を背中で護る姿が、ウチからも見えた。


「よぉ、ガリンヌ。相変らず悪魔狩りかなんか知らねえけど、おめえがこの俺サマを滅することが出来るってぇのか?」


「無論ですよ、トラスト。私はそのために父様より命を授かったのですから。己の存在証明も出来ないような悪魔に、私の駒が崩せますかな?」


「……ん? こま?」


 今にも血で血を洗う天使と悪魔の闘争が始まる――。誰もがそう思うやん? せやけど、こいつらの場合は違った。


 天使と悪魔が対峙して座る。沈黙のまま、碁盤の上に乗せられた山から、すすーっと駒を一つずつ抜いていく。序盤も序盤、ガリンヌが抜いた駒により、一斉に山が崩れた。


「――ぐはぁっ……! ま、またもや、この私が将棋崩しで敗けるとはっ……!」


「はあ? 将棋崩し? まさかガッチャン崩しのことかいな?」


 天使と悪魔が何で戦っとんねん!


「フフフ、ガリンヌ。これで俺サマの321,356回目の勝利だぜぃ?」


「やったぁ! 黒猫ちゃんの勝利やぁ!」


 少女が嬉しそうにトラストの背中に抱きつき、ピョンピョン跳ねとる。


「32万……なんて? ガリンヌあんた、ボロクソに負けとるがな!」


 ウチのツッコミにも、ガリンヌは冷静に眼鏡の縁を上げ、「っふ」と笑った。


「まあ、喜ぶのは早計ですよ、トラスト。これは準備体操のようなものです。本番はここからですよ?」


 意味深に笑うガリンヌに合わせて、トラストも黒く笑う。


「ああ。本番はこっからだぜぃ? こっからが、悪魔と天使の将棋崩しだ」


 2人がウチに目を向けた、次の瞬間――。突如として、天使と悪魔がウチの前に現れた。天使は将棋盤と駒を持ち、悪魔は少女を背負っとる。


 なんや、この構図。おたくらホンマに天使と悪魔か?


「――という訳で、私が賭けるもの。それはこの救世主、風見鶏令嬢です」


「はああ? 賭け? まさかウチを賭けの景品にしようって腹なんか!?」


 理由もわからず、ウチは大声で訊ねた。


「そうです」


「そうなんかい! 何が悲しゅうて、ゲロ弱なアンタの賭けに使われなあかんねん!」


「おおっと、風見鶏。私は君に『プロの天使による悪魔狩りを良く見ている』ように言ったはずです。そう、私はプロの天使。悪魔風情に敗けるはずがありません」


「プロの天使ってなんなん? なら、アマチュアの天使もおるってこと? いやそれ以前に、アンタ悪魔に32万回以上敗けとるんやろ! そないなアンタの何を良う見とれ言うねんな!」


「決まっているでしょ? 321,357戦目にして、悪魔相手に初勝利を収める私の勇姿ですよ!」


「くっそダサい天使やん! いややウチ、こないなアホな天使の賭けにされんのぉ!」


 ウチがアホ天使の力説を真っ向から拒絶したのに対し、向こうさん……悪魔のトラストは背中から少女を降ろすと、「俺サマを信じてくれ、レディ。絶対に俺サマが勝利を収めるぜぃ」と幼い少女相手に、膝までついて宣誓しとる。


「ええなぁ、ウチもあっちがええわ……」


 マスコットキャラクター、ネコトラアクストンのくせに、かっこええやん。


 そう溜息を吐いた次の瞬間――。ウチと少女は、でっかい将棋盤の上におった。それも通常の1000倍はあるであろう、将棋の駒の一番上に埋もれるような形で。


「はああああ? なんや、この状況ーーー!!?」


「んー……うんっと!」


 ウチの隣で駒の隙間から顔を出した少女と目が合うた。


「か、かざみどりの、……おねえちゃん?」


「そ、そうです。ウチが風見鶏のおねーちゃんです」


 風見鶏の姿で駒の隙間から顔を出しとるウチは、滑稽やろうな。


 しっかし、ここはどこやねん? さっきまでおったハッタン教会堂の屋根やあらへんやろ。見るからに、異世界やん。なんやの、お空の上か(天使のフィールド)? それとも地下世界(悪魔のフィールド)か?


「さあ、トラスト。ここからが本気の勝負です。他の駒を崩さず、いかに自らの王将を自分の陣地に運べるか。音を出せば、順番は相手にまわります。宜しいですね、トラスト」


「ああ、分かってんよ。これは悪魔と天使の賭けだ。俺サマが勝った暁には、その風見鶏を大人しくこちらに渡してもらうぜぃ?」


「ええ、宜しいですよ。では私が勝利した暁には、その少女をこちらに渡してもらいましょう」


 ぐっとトラストの眉間が動いた。それでもふっと笑って、「いいぜぃ。永遠の敗者」とガリンヌを煽った。


「ちょ、待って! この子がガリンヌの手に渡ったら、どないなるの?」


「ああ、それはもちろん、悪魔狩りとしてのせんの――」


「絶対勝てや、トラスト!」


 アカン。こないな可愛らしい少女があの天使の手に渡ったら、悪魔狩りとして自我を失ってまう。恐ろしい漢字二文字を防ぐためにも、ウチは全力で悪魔のトラストを応援することにした。


「もっちろんだぜぃ、マイハニー!! ……さて、救世主が悪魔に味方してんだ。絶対勝たねえとな」


「異教徒風情が、勝利を口にするな」


 かくして、天使と悪魔による、超巨大ガッチャン崩し――将棋崩しが始まった。


 てっぺんから顔を出しとるウチと少女を、どちらが先に自分の陣地に運べるか。将棋の駒を一つ一つ丁寧に運びながら、沈黙の勝負が続く。


 天使の番――ガリンヌが不覚にも将棋の駒を抜き取る際、音を出してしもうた。


「っく、この駒は捨てますか。貴方の番ですよ、トラスト」


「わーってるよ! さあ、レディ。すぐに俺サマの陣地に運んでやるぜぃ?」


 巨大な駒からほとんど上半身を出した状態の少女を、トラストがゆっくりと引き上げていく。


 真剣な表情で互いに信じ合っとる2人。その傍らで駒に挟まれとる風見鶏。なんやこの状況。鶏やったら、モブにもならへんやん。悪魔と少女と風見鶏――。そないな場面のラノベ、カク◯ムでも読んだことあらへんで?


 あと少しで少女の体がすっぽりと抜けようとしたとこで、不覚にも靴先が足元の駒を崩し、音が鳴った。


「っち! 俺サマとしたことがっ……」


「ごめんなさいっ、黒猫ちゃん」


「違うよ。俺サマがちょんぼしたってだけだぜぃ」


 少女を気遣うように笑うトラストに対して、ガリンヌは嘲笑を浮かべた。


「少女を元の位置に戻してください、トラスト。私の番ですね」


「わーってるよ!」

 

 今度はガリンヌの番。慎重にウチを抜き去ろうとするのを、ウチが邪魔をする。


「あ、堪忍。尻尾が駒にあたってもうたわ」


 もちろん、わざとやで?


「っく……! 仕方ありませんね。トラスト、貴方の番です!」


「次こそ俺サマが勝利を決めてやるぜぃ?」


 再びトラストが少女を慎重に抜き去る。次は足先も注意して、少女の方もハラハラドキドキしとるのが分かる。


 がんばれ、トラスト。あとちょっとで全部抜けるで?


「……ふぅ〜」


 すっぽり抜けたところで、ウチとトラストと少女が同時に息を吐く。


「やったやん、トラスト! このまま音を出さずに自分の陣地に運んだら、アンタの勝ちやで?」


「おうよ! そら、ゆっくり、ゆっくりと……」


 駒が乱立する不安定な足場を、トラストが少女を背負いながら、ゆっくりと駒の山を降りていく。


「あともう少し、あとちょっとやで!」


 本当にあと少しで陣地やというところで、トラストが将棋の駒に足を取られた。その瞬間、バランスを崩した駒が、バラバラと音を立てて崩れていった。


「なっ……!? あと少しやったのに!」


「残念でしたね、トラスト。貴方はそこから、私の勝利を眺めていなさい」


 ガリンヌがウチを抜き去った。横抱きにしながらゆっくりと陣地に向かい、進んでいく。


 くそう、横抱きなんてしよってからに! これじゃ、邪魔出来ひんやん! 


「ちょっ、ガリンヌ! ウチはこれでも令嬢やで? モノみたいに運ぶなや! もっと丁重に運ばんかい!」


 最後の悪あがきで喚くも、「うるさいですよ、風見鶏。貴方は立派な産業廃棄物なのですから、横抱きされるだけ、有難いと思いなさい」


「誰が産業廃棄物やねん! いくら天使かて、失礼極まりないやろ!」


「はい、うるさい。そして、私の勝利です、風見鶏」


 その瞬間、ウチはガリンヌの陣地に突き立てられた。

 

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