こういうの読むと、氷山じゃないけれど、日の当たる場所に現れるのはごく一部で、海面下にどかーんと沈んでいるものの重みをかんじますね言わずもがなのことだけれども、氷山の一角を正当化するために犠牲にされた浮かばれないものにも思いを馳せて弔う機会は定期的に必要ではそれで、日本だと、お盆とか、正月とか、神社行っておがむのはそれにあたるのかなこれはキリスト教ですね 異国情緒があってよろしいです