6.説得

 古びた建物の隙間を強い風が吹き荒れている。アルマは重たい空気の中で窓の外をじっと見つめていた。新市街は夜の暗闇の中に沈み、静寂に包まれていた。昼は賑わいに満ちていたこの街も、夜は革命前夜のように張り詰めた空気に支配されている。ヴァレンシュタイン家と帝国の対立は、騎士団によってヴァレンシュタイン家の屋敷が捜索されてからというもの、あからさまに表面化したようだ。下にいる兵士たちはアルマの正体を知らないが、口々にそのことを噂し合っている。


 アルマの手には一通の手紙が握られている。それは未だ旧市街に潜伏しているニュンからの手紙であり、そこにはエリスのアジテーションが記録されていた。アルマはその手紙を何度も読み返している。文字は淡々とした筆致で綴られていたが、その内容は胸に深く刺さっていた。


 エリスの言葉は明快である。文字にされたそれは、単なる感情的な叫びというより、明らかに計算されたものだ。その一言一言が、自らの中に秘められた決意を揺さぶり起こすのを感じていた。


 アルマは無言のまま手紙を折って振り返ると、静かにセリーナとカラムに手渡した。


「読んでください」


 声は穏やかであったが、その裏に隠された緊張感をセリーナとカラムは感じ取っていた。セリーナは手紙を受け取って、カラムと共に黙々と読み進めていく。部屋の中には、紙がヒラヒラと揺れる音が小さく響き、窓の外の風の音がますます大きく聞こえてくる。


 セリーナの顔に一瞬の硬直が見られた。手紙に書かれた言葉の重さが、彼女の心に負荷をかけていたのだろう。カラムもまた、何度も目を走らせてその内容を確認していた。だが彼の顔は無表情を保ったままだ。何も考えを表に出さず、ただ深く、内心での葛藤を続けていた。


「同志エリスの意見について、どう考えますか」


 アルマは、そう静かに切り出した。


「カラム、私たちには自由都市防衛隊の協力が必要です」


 セリーナの言葉もまた冷静だったが、その背後には明らかな焦りが感じられた。彼女はカラムの反応を見守りながら、その重苦しい沈黙が破られるのを待っていた。


 カラムはしばらくの間、口を閉じたままでいた。カラムの心中には、過去に何度も見てきた戦争や反乱の影がちらついていた。それらがもたらす混乱と悲劇を知っていた。だからこそ軽率に答えを出すことができない。


「セリーナ……私は君のことを理解しているつもりだし、戦友としてニュンを尊敬している。しかし、これを短期的な軍事作戦として見るのは非常に危険だ。現場での力の行使は、短期的には確かに効果をもたらすかもしれない。だが、目指すべきなのは一時的な勝利ではなく、長期的な安定と平和だろう。戦略的思考を欠いた軍事行動は、必ずや我々の首を絞めることになる。敵の背後にある意図、政治的な影響、そして市民の利益を見極めた上で動く必要がある」


 長年にわたる軍務経験がにじんでいた。彼はただの兵士ではなく、戦争とその後に続く廃墟を見続けた者だった。カラムは軍人でありながら、単なる力では解決できない問題が多いことを知っていたのだ。経験は常に慎重を求める。


「騎士団や近衛兵をエリューシオンから排除すること自体は不可能ではない。だが、それで問題が片付くわけではないんだ。貴族連中は自分たちの地位を守るためなら手段を選ばない。すぐに各地から軍勢をかき集めて戦力を整えることで反撃体制を構築するだろう。防衛隊の戦力では、そうした攻撃をすべて受け止めることは不可能に近い。今の状況を考えれば、大きな戦略的転換が必要だ。目先の勝利にとらわれず、長期的な戦略を練らなければ我々の側が崩壊する恐れがある」


 アルマの顔はわずかに曇った。それでもカラムの言葉には正しさは、エリスによって育まれた決意を打ち倒すには至らない。


「私たちにはヴァレンシュタイン家の支援があるのです。あなたもご存知の通り、ヴァレンシュタイン家は帝国最大の貴族であり、ダルカンディアとの最前線で鍛え上げられた軍を擁しています。ただの一部隊を得るという話ではないんです。彼らの戦術と経験は貴族軍と比較しても計り知れないものがあるでしょう。単なる防衛ではなく、攻勢に転じることさえ可能なのではありませんか。あなたの決断は自由都市の未来を左右します。共に力を合わせ、勝利を掴み取りましょう」


 アルマの声には毅然とした響きがあったが、その裏にはハッタリが隠されていた。アルマは、頼るべきヴァレンシュタイン家の支援が完全に整っていないことを知っていた。マティアスからの指示は「各自で判断せよ」という消極的なものであり、彼女の背後にある軍事力が確実なものではないことを、よく理解していた。


 カラムは鋭い目でアルマを見据えた。その視線は、アルマの内心を深く抉るかのようだった。数秒間沈黙を保ち、そして重々しく首を振った。


「望みは分かった。しかし条件が満たされない限り、貴族の力を借りることはできない。それがたとえマティアスであろうとね」


 カラムは、この自由都市の未来について、単なる軍事的な問題ではなく、市民の意志によって決定されるべきだという信念を抱いていた。彼は、力に頼るだけでは真の変革は実現しないと考えていた。


 セリーナが問いかけた。


「条件とは何ですか?」


 カラムは深く考え込んだ後、静かに答えた。


「条件とは、市民議会の命令だ。明日、秘密会が開かれる。そこで議員たちを説得しろ。我々は市民の意志にしか従うことはない組織だ。議会の支持を得なければ、何も動かすことはできない」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

転生悪役令嬢は婚約破棄と断罪をされたので転生革命聖女と共に封建体制を打倒する りりあに @ririani

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ