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第5話 小川美月
「もしもし、お母さん?……うん、うん、元気だよ。そっちは?」
仕事終わりに母から電話が来て会話中。
両親とは過去の出来事があってからギクシャクしてしまった時期もあったけど、離婚してからというもの、なんか妙な結束力?みたいなのが生まれてこうした何気ない通話をする機会が増えた。
———りょーすけと離婚してから5年以上の時が過ぎた。
あれから特に変わったこともなく、仕事や家事に打ち込む日々を送っている。あとりょーすけの写真鑑賞。
変わったことがあるとすれば、派遣から正社員になったことくらいだ。
以前勤めていた派遣先とは残念ながら契約終了になっちゃったんだけど、次の派遣先で頑張ってたら契約満了時に正社員へのお誘いを受けたのだ。
最初は仕事の量も責任も増えて大変だったけど、できることの幅が格段に増えて仕事の楽しさってのを知ることができた。
何よりお給料もアップしたしボーナスも出るようになったから貯金が捗ってホクホクしている。まぁずーっと独り身だし、大した使い道もないんだけど。
つまり異性関係も相変わらず。
前の派遣先でアプローチされまくった反省を活かして、今の職場では左手の薬指にりょーすけとの結婚指輪を付けるようにした。
たまに「ご結婚されてるんですね」みたいなことを聞かれることがあるけど、「前の旦那との指輪です」って答えると「あっ……」みたいに気まずそうな顔をされて会話が終わる。我ながらナイスアイディアだと思っている。
そんな感じの生活をずっと続けてて、このまま仕事に打ち込む人生も悪くないかなぁなんて思っているところだ。
「……ちゃん、美月ちゃん、聞こえてる?」
ぼんやりと過去のことを考えてたところを母に呼びかけられ、ハッとして意識を通話に戻す。
「ごめんごめん、ボーッとしちゃってた。何の話だった?」
「あぁ、そう。あのね、亮介くんのことなんだけど……何か聞いてる?」
「え、りょーすけ?りょーすけがどうしたの?」
りょーすけの話題が突然出て来て驚いちゃったけど、俄然興味が出て来てがっつくように返事してしまった。
「その様子だと何も聞いてないみたいね。亮介くんが最近どうしてるかを小耳に挟んだんだけど……美月ちゃん、聞きたい?」
「聞く。聞かせて」
食い気味にそうやって答える私。
「そ、そう。なら話すけど……」
両親の認識としては、私は不倫の被害者だからあまりりょーすけのことを良く思ってない、って感じらしくて、彼の話になるといつもこんな感じで歯切れが悪くなる。全然そんな風に思ってないないって何度も説明したんだけど。
それから母が続きを話し始める。
「……実はね。亮介くん、離婚しちゃったらしいの」
「…………え?」
り……離婚?りょーすけが?
りょーすけとは別れてから今まで一度も連絡を取っていないから、彼が今どんな風に過ごしているかなんて全く把握していなかった。
連絡したい気持ちは山々だったけど、元奥さんと連絡を取るなんて裕子さんからしたら面白くないだろうし、何より彼には同じような過ちを犯してほしくなかったから。
幸せになっていてほしいとだけ願っていたんだけど、ここでまさか離婚なんて言葉を聞くなんて思ってもみなかった。
「それで今、実家に帰って来てるみたい。仕事も辞めちゃったらしくて」
実家に?仕事も、辞めた?
「……な、何があったか知ってる?」
辛うじて母にそう問いかける。
「ごめんね、詳しいことは聞いてないの。ただ、すごい修羅場だったってだけ……」
「そう……」
それ以上は母も答えられないようだった。
……今の彼には子供がいるはず。
仕事を辞めたって、子供はどうしてるの?
まだそんなに大きくないよね?
裕子さんが育ててるの?一人で?
修羅場って、何が原因で?
私との件で両親とは揉めてたようだったけど、それでなぜ実家に?
様々な疑問が頭に浮かんできて全然整理が追いつかない。
この数年間の間に、彼にいったい何があったのか。
それに母の話ぶりを聞く限り、あまり良い別れ方じゃなかったみたいだ。
知りたい。
りょーすけのことを、知りたい。
……直接彼に連絡を取ってしまおうか。
この話が本当なら、再び独身となったりょーすけには連絡を取っても構わないだろう。
でも、なんとなく通話で済むようなレベルの話でもない気がするし、私からの電話なんて出てくれない可能性だってある。
それならば。
「行く」
「へ?」
素っ頓狂な母の声。
「会いに行く。りょーすけの実家に。私が話を聞きに行く」
「え、いや、でも……」
母が何かゴニョゴニョと言っていたが、それを強引に言いくるめて、早速私は今週末に実家に帰ることにした。
この行動が正解かなんて分からない。
もしかしたら私が近付くことで、また彼を不幸にしてしまうかもしれない。
でも今回の件に関しては、なんか私が動かなきゃいけないような、そんな強い予感がした。
それに私は決めたんだ。
今、私が正しいと思う選択をしていくって。
※
そして週末、新幹線で数時間かけて私はりょーすけの実家の前に立っている。
子供の頃は何も考えずに押すことができてたインターホン。今はそれを押すのに、ものすごい覚悟が必要になってしまった。
長い年月が経ってしまったんだなぁという感慨と共に、これまでの自分の過ちを見せつけられているようで、とても複雑な気分だった。
でもここまで来て引き返すわけにもいかない。
数回深呼吸した後、意を決してインターホンを押した。
「……はい」
声の主はりょーすけではなく、おばさんの声だった。
「……あっ、おばさん、お久しぶりです。突然すみません、美月です」
「……!?み、美月ちゃん!?」
突然の訪問で驚かせてしまったが、「ちょっと待って」と告げてインターホンを切った後、慌ただしい様子で玄関に顔を出してくれた。
「……美月ちゃん……久しぶりね。突然どうしたの?」
出迎えてくれたおばさんの顔には戸惑いが浮かんでいた。
旧知の仲とはいえ、おばさんから見たら息子が不義理を働いてしまった相手だし、やっぱり色々思うところはあるのかもしれない。
「いきなりごめんなさい……実は、りょーすけのことを少しだけ聞いて。居ても立ってもいられなくて来てしまいました」
そう言いながら頭を下げる。
「……そう、亮介に会いに来てくれたのね……ありがとう」
それからお家に上がるように促され、とりあえず迷惑にしてる様子では無さそうでホッとした。
そのままおばさんに着いて行く形でリビングに入ると、そこにはりょーすけはいなくて、ソファにもたれかかっていたおじさんがいたので彼にも軽く挨拶をした。
そしてテーブルに座って彼らと向き合い、手土産を渡して軽く近況を話した後で、早速本題に入る。
「……お母さんに、りょーすけが離婚して実家に帰ってるってことだけ聞きました。ただ、それ以上のことはお母さんも知らなかったみたいで」
私が知ってる情報を彼らに話す。
「……えぇ。それなら、全部事実よ」
母から聞いたときは正直ちょっと嘘なんじゃないかと思ってたけど、それが事実だったことを改めて知り、心がズシッと重くなる。
「りょーすけは今どこに?」
「自分の部屋にいるわよ。ただ、ちょっと酷い状態で……」
「え、ひ、酷い?」
「えぇ、ちょっと引きこもりみたいになっちゃってるの……」
ひ、引きこもり!?
まさかそこまでとは思っておらず、激しく動揺してしまった
「りょ、りょーすけ、りょーすけに、何があったんですか?」
「……美月ちゃんにとってはあまり気持ちのいい内容じゃ無いと思うけど……それでもいい?」
やっぱり不倫で離婚したことの影響と遺恨は大きいようで、どうしてもギクシャクしてしまう。
「はい、大丈夫です。覚悟はしてここにいるつもりなので。それに、あのことは私が原因だと思ってるので、全然気にしてません」
そう、本当に私は全然気にしてないのに、この世界には私の真の理解者はなかなかいないみたい。
「……ありがとう。それなら、私の口からより亮介本人から話を聞いた方がいいかもしれないわね」
おばさんがそう話すと、寡黙なおじさんも同調するように頷いた。
「で、でも引きこもってるんですよね?大丈夫なんでしょうか?」
「えぇ、大丈夫だと思うわ。それに、亮介が美月ちゃんに謝りたいみたいなことをポロッと口にしてたことがあったから」
私に謝りたい?
一体何なのか気になるけど、それは話を聞けばわかるだろう。
それからおばさんに2階のりょーすけの部屋の前まで案内される。
「亮介?美月ちゃんが来てくれたわよ」
おばさんが扉をノックしながら何度か声をかけても、シンとしたままで返事はない。
「やっぱり返事ないわね……これはいつものことだから、美月ちゃん入っちゃって……あっ」
「?どうかしました?」
おばさんが何か思い出したような声を上げたので不思議に思って、そう聞き返す。
「そういえば亮介、しばらくお風呂入ってないかも……」
「あ、全然平気ですよ。私が突然来ちゃったのが悪いので。りょーすけとお話しさせてもらえるだけでも嬉しいです」
「そう?でも無理はしないでね?じゃあそのまま扉開けて、声かけてあげていいから。私はお邪魔だし、下にいるわね」
何かあったら言ってね、と告げながら階段を降りていくおばさん。
……さて。
りょーすけの部屋は、結婚したときに軽くお邪魔させてもらって以来だ。
さっきインターホンを押した時の何倍も緊張する。
引きこもりって、本当にいったい何が……?
少し怖いけれど、おばさんにお願いされたことを思い出しながら、手に少しだけ力を入れながらドアをゆっくりと開ける。
「……うっ」
その瞬間、ムワッと籠った空気と独特な臭気が溢れてくる。
決して良い匂いなどではなかったのだが、これには私も覚えがあった。
私が学校を中退して引きこもりになってしまい、何日間もお風呂に入っておらず、髪や体が皮脂で包まれてギトギトになってしまっていた、あの頃と同じ。
人間が動物であると改めて意識させられる、そんな臭い。
「……りょーすけ?」
小声で呼びかけながら部屋の中を覗き込むと、りょーすけがいた。
たしかにいたんだけど、なんか存在感がすごく薄い感じがして、日中でありながらカーテンを閉め切った部屋の暗さも相まって一瞬気付けなかった。
イスに腰掛けるでもなく、ベッドに寝てるわけでもなく、ただ部屋の中央の床にポツンと座ってる。
髪はボサボサ、無精髭もボーボーですぐにはりょーすけだと判断がつかなかった。
その目線は何を見つめるでもなく、ただただ虚ろ。
「……りょーすけ?聞こえる?」
改めてそう呼びかけると、りょーすけはゆっくりこちらを振り向いく。
「…………………………美月?」
やっと返事をもらえたが、ずっと心ここにあらずという様子。
「うん、美月だよ。急に来てごめんね?お母さんにりょーすけのこと少しだけ聞いたから……。迷惑だったかな?」
慌てて少し早口になりながらそう告げても、ボーッとこちらを見つめるだけ。
それから少し待ってたら、やっと私のことを認識してくれたみたいで。
「そっか……来て……いや、美月……来た、のか……」
独り言みたいに、ずっとブツブツと小さな声で呟いている。私の質問とも微妙に噛み合っていない。
元々無愛想で言葉数が多い人ではなかったけど、これはもうそういう問題では済まされない。
「うん、来たよ。……ねぇ、りょーすけ、どこまで踏み込んで良いのかわからないけど……今のりょーすけ見てると、なんかすごく心配だよ。私でよかったら、話を聞かせてくれないかな?」
今の彼に強い刺激を与えると本当に今にも壊れてしまいそうで、言葉を慎重に選びながら尋ねる。
するとりょーすけは顔をうつむかせてしばらく黙った後、急に涙をボロボロと流し始め、嗚咽まで漏らし始めた。
「ごめん、美月……っ!ごめん!俺は……俺は、また、間違えてしまった……!」
それから震える声で、りょーすけは今まで何があったのかをゆっくりと話し始めた。
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