第3話

 本当に夢のような時間がずっと続いた。


 小さい頃から知ってるりょーすけが、男らしく成長した姿で目の前にいてそれを思う存分触れることができる。後ろめたさなど何もない両思いの恋愛がこんなに素晴らしいのかと、酔いしれた。


 そして訪れた二人の初夜。


 抱き合うだけで頭が沸騰しそうだった。

 彼が私の体に触れる場所その全てが熱を帯びた。

 フーッフーッと荒げる息を止められない。

 秘部はかつてないような濡れ方をしていた。


 自分がこんなにイヤらしい女だったなんて初めて知った。


 本当に好きな人とのSEXってこんなに気持ちいいことなんだ。

 この世界に認められた快楽はこんなにすごいんだ。

 心も体も、何もセーブする必要がない。

 止めることもできそうにない。


 やがて彼が彼の物を私にあてがい、期待でどうにかなってしまいそうだったところで。


「……ぁ、あっ。ご、ごめ、ごめん」


 ……あれっ?

 もしかして、出ちゃった?


 そっか、初めてだもんね。そういうこともあるのか。

 先生との時とは違うもんね。ビックリしちゃった。


 でも、なんか可愛い。

 私でそんなに気持ちよくなってくれたってことだから嬉しい……


 なんて思ったところで、彼の顔を見て凍りついた。


 そこには、深い絶望が広がっていたから。


 初めてで失敗してしまったというだけでは説明がつかないほどの。


 え、何で?私何かしちゃった?

 この時はその理由を理解できてなかった。


 でも、このままじゃいけないということだけは分かった。


「……は、初めてだからしょうがないよね!よくあることみたいだし全然大丈夫だから、また次頑張ろうね!」


 だから、咄嗟にそうフォローしたんだ。

 でもあまり効果は無さそうで。


「ごめん、次は頑張るよ」


 そう言っていそいそとベッドを降りる彼。


 これから極上の快楽が待っているというところでお預けを食らってしまい、その夜はなかなか眠ることができなかった。瞼の裏には、あの時の彼の表情が焼き付いていた。


 そしてそれからも夜の生活はあまり上手くいかなかった。


 彼は常に焦ってる感じで、何かとずっと戦ってるようで。


 その様子を見て、私は察してしまった。


 ……きっとりょーすけは、先生に嫉妬してるんだ。


 私が先生に染められちゃってるかもしれないことを気にしてるんだ。


 だから彼は自分の力で私を満足しようとしてくれてる。だけどそれが空回りしちゃってるみたい。


 私も寄り添ってあげたいんだけど、体内を力任せに掻き回されるのはさすがに辛くて。


「ほ、ホントにごめんりょーすけ、ちょっとだけ痛いかも……」


 そうやって伝えると、申し訳なくて心がひどく痛む。


 私の方からどうすればいいか教えてあげたかった。


 でも私が気持ちいいと言うところは、先生に教え込まれたんじゃないかって。私があなたを気持ちよくさせても、そのテクを先生にも使ってたんじゃないかって。今の彼はそう思っちゃいそうで。


 そんな考えに至ってからは、私も身動きがとれなくなってしまった。


 彼を信じて、待つことしかできなくなっていた。



 ※



 悪いことに、日常生活でもすれ違いは見られた。


 几帳面な私に対して、りょーすけは家事やお金の管理に対して大雑把だった。


 流し台に置いていた使用済みのお箸をまたそのまま使おうとしていた時はヒャッと声が出てしまった。

 生活の余剰金のほとんどをソシャゲに注ぎ込んでたと聞いて絶句してしまった。


 凄いカルチャーショックを受けたけど、若い男の人の暮らしってこんなものなのかもしれない。足の置き場がないくらい汚いとかって聞くし、世の中貯金ゼロの人の割合はかなり多いらしいし。


 だから私もあまりうるさく言わないようには努力した。


 気付いた人がやればいいような、いわゆる”名もなき家事”みたいなヤツは私がやるようにして、なるべくりょーすけ自身にも影響がありそうなことだけ注意した。


 お腹壊すかもしれないから、「お皿は油汚れのヌルヌルまでしっかり洗ってね」

 あなたの服が傷んじゃうかもしれないから、「洗濯回すとき、ブラジャーとかオシャレ着は洗濯ネットに入れてね」

 雑菌で汚くなっちゃうから、「シャンプーとかは詰め替える前に容器を洗って乾燥させるといいよ」

 あなたのお肌が荒れちゃうかもしれないから、「シーツとか枕カバーは週に2回か3回は取り替えようね」

 健康のために良くないと思うから、「寝てる時のいびき対策した方がいいかもね」

 あなたが病気で倒れたりしたときのために、「貯金できるくらいには制限できないかな?」


 りょーすけは私から見たら大雑把だったけど、今まで意識してなかったっていうだけで、彼は優しい性格だから、注意したらちゃんと聞いてくれるし改善しようとしてくれる。


 これは私も知ってる彼の姿で、私が彼を好きな理由の一つだ。


 だけど時折、私の知らないりょーすけが顔を出して驚いた。


 注意したら、一瞬だけどものすごい目でジロリと睨み返されることがあった。


 機嫌が悪いとかを通り越して、まるで憎悪を向けるかのような。


 私も人間だから、そんなことされたら「何さ」なんて強く言い返しちゃくなっちゃうときもある。


 でもそれはしないように努めた。


 なんとなく心当たりもあったから。

 夜のわだかまりが、多分日常生活まで影響しちゃってるんじゃないかって。


 だから彼の言いたいことがわかるような気がした。


『うるさい鬼嫁でごめんね』

『私の給料がもっと多ければよかったのにね』

『私がはしたない女だったからいけないんだよね』

『私が愛してるのはあなただけなんだよ』


 お互いの思いをしっかり話し合いたかった。

 りょーすけの全てを曝け出して欲しかった。


 でも、できなかった。


 私だって先生以外に付き合った経験はないし、あれだって一方的な関係でもはや経験と言えるのか怪しくて、こんな時どうやって恋人に寄り添えばいいかなんて知らなかった。


 それに今のりょーすけからすれば過去は触れられたくないだろうし、それをすれば再び築いたこの絆もまた壊れてしまうような予感があった。


 だからお互いにずっと踏み込めず、どこか遠慮したような空気感の中で過ごすことになってしまった。



 ※



「美月、今夜どうかな?」


 しばらく夜の行為ができていなかったある日、突然りょーすけが誘ってきた。


 もちろん私が断る理由なんてない。

 むしろ待ってたくらいだから嬉しい。


 ただ、前みたいなことになっちゃうんじゃないかって一抹の不安はあった。


 でもそれは完全に杞憂だった。


 いざ始まってみると、それはもうすごかったから。


 相手を気遣う繊細なタッチ、

 思わず陶酔してしまうような舌使い、

 私の弱点が全て知られているかのような的確な攻め。


 何度も絶頂に導かれて、恥ずかしいくらい乱れてしまった。


 事が終わった後、ハァハァと息を荒げながら彼に問う。


「と、突然どうしちゃったの?なんか今日すごかったよ……」


「あ、あぁ。自分で勉強したんだ」


「勉強?自分で?どうやって?」


「ほら、これ見て」


 そう言って彼が差し出したスマホの画面にあったのは、動画サイトToutubeの一つのチャンネルだった。


「これは?」


「AV女優の人がやってるチャンネル。職場の人に教えてもらったんだけど、SEXのことを詳しく解説してくれててすごいんだよ」


「え、そんなのあるんだ?」


「ちょっと見てみるか?」


 いくつかの動画を再生してくれる彼。


 女性のどこが気持ちいいか、どのくらいの力で触るか、どんなリズムで舐めるかなどをプロの視点で懇切丁寧に解説している。


 なるほど、これはたしかに勉強になるし、あんなに気持ちよくされちゃったのも納得だ。


「こ、こんな直接的なワード出してるのに動画消されたりしないんだね……」


「だよな、俺もビックリした。でも勉強になるし、実際経験のなかった俺は助かったし、有益なチャンネル扱いなんじゃないか?」


「ふーん、そんなもんなんだ。あ、これ男の人の気持ちいいところを解説してる動画もある!」


「本当だ。そっちの動画は全然見てなかったな」


「わ〜、これで私もりょーすけのことをたくさん気持ちよくできるね?」


「お、お手柔らかに頼む……」


 裸で寄り添いながらキャッキャと盛り上がる二人。


 そっか、私のために勉強してくれてたんだ。

 過去にもしっかりと向き合って、私を喜ばせようと努力してくれてたんだ。


 嬉しい、本当に嬉しい。

 彼を信じててよかった。

 彼を待っててよかった。

 天にも舞い上がりそうな気分だ。


 それにこれからは私も彼を満足させてあげられるかもしれない。動画をいっぱい見て勉強しなきゃ。


 それからは、夜がやってくるのが楽しみになった。



 ※



 きっかけは本当に些細なことだった。


 いつものように行為に勤しんでいたときのこと。


 彼が背後から私の胸を揉もうとしたときに、その手が空を切ったのだ。


 ……え?何、今の。


 ちょっと狙いがズレたとか、そんな感じではなかった。


 本来あるはずのものが無い。そんな戸惑いが、そして誤魔化しが、本当に一瞬だけどその手つきにあったと思う。


 私はAカップ寄りのBカップで、胸に関してはあまり大きいとは言えない。


 それはりょーすけも知ってるはずだし、私しか経験がないはずなので、大きな胸の触り方なんて知らないはずなんだ。


 でも先程のそれは、まるでいつも触っているかのような、慣れきったもののように思えた。


 ほんのちょっとした違和感からの疑念でしかなかったが、それをきっかけに彼の行動を観察してると、不審な点がどんどんと出てくるようになってしまった。


 ホワイトな職場が自慢だって言ってたのに、最近残業多くないかな?

 前は服を脱ぎ散らかしてたのに、今は毛取りのコロコロまでするようになったね?

 動画で学んだエッチの方法って、そんなすぐに迷いなく実践できるものなの?


 こうなると、どうしても頭によぎってしまう。


 ——浮気。


 りょーすけが他の女を抱いてる姿を想像するだけで、心臓が灼き裂けるようにズクズクと熱を帯びて、全身の血がキューッと引くように青ざめて、頭がズキズキと割れるように痛み出して、気が狂ってしまいそうだった。


 緊張しながらプロポーズしてくれたこと、居酒屋で好きだったと言ってくれたこと、ソファで愛を囁いてくれたこと、私を満足させるために勉強してくれたこと、それら全てが嘘だったんじゃないかと猜疑心でいっぱいになった。


 彼に寄せていた信頼が全て崩れ去って、嫉妬と怒りで自分が自分じゃなくなりそうだった。


 ……いや、でも、決めつけるのはまだ早い。もしかしたら私の勘違いかもしれない。


 そんな希望だけが私を冷静にさせてくれた。


 そもそも浮気だったとして、一体どこの女が相手?


 彼の生活スタイルは会社と家の往復だけだし、職場はおじさんばかりで女性は日照りだと言っていた。


 今はマッチングアプリとかSNSとかあるから、それ使ったのかな?


 でもスマホ触ってる時はソシャゲばっかりで私に隠れてやる素振りなんてなかったし、なんなら彼のスマホで一緒に動画を見たりしてた。アプリやってるならそんなことしないんじゃないかな。


 あ、もしかしたら風俗とか?


 それなら気持ち的にはまだ……マシだけど、お金を使い込んでる様子もないし、前に行ったことあるか聞いた時はなんか怖いって言ってた気がする。


 でも、変わっちゃったのかな。

 もう、私に愛想尽かしちゃったのかな。

 教師に乗り換えちゃうような、ろくでもない女だからかな。


 ……


 そこまで思考が巡ったところで、気付いてしまった。


 彼もきっと今の私と全く同じ思いを抱いていたんだってことを。


 先生と付き合い始めたと聞いた時、彼はどんな気持ちだっただろうか。

 委員会に向かう私の背中を見て、彼はどう思っただろうか。

 先生とデートしてる休日、彼はどんな気持ちで過ごしただろうか。

 先生の授業を、彼はどんな気持ちで受けていただろうか。

 彼が見ている私が喘ぐ姿は先生も知ってる事を、彼はどう思っただろうか。

 私の破瓜する瞬間の表情は先生しか知らないことを、彼はどう思っただろうか。


 もしかしたら、今私が感じてるコレを超えるような苦しみと憎しみだったかもしれない。


 ……そっか、全部私が悪いんだ。


 りょーすけが先生に嫉妬してるのは頭では理解してたつもりだったけど、それが真に何を意味するのかを感情で理解できていなかったみたい。


 浮気されているかもしれないという状況になって初めて、全てが私の中で腹落ちした。


 好きだったのに先生と付き合いましたなんて言っちゃったら、りょーすけからすれば浮気されたみたいなもんじゃん。


 そんな女のことを一生信じろなんて、そんなの難しいに決まってる。


 それなら、りょーすけが浮気をしてても、マッチングアプリをしてても、風俗に行ってても、私が怒ったりする資格なんてないんだ。


 これは、私が一生背負っていくべき罪なんだ。



 ※



 それを自覚できてからは、全てを見て見ないふりして過ごすようにした。


 今日も残業?この時期は忙しくなるんだよね。

 スマホの通知も全部、やってたソシャゲの広告だよね。

 お気に入りのボディソープって詰め替え用を持ち歩きたくなるよね。

 最近暑いからスーツ用の消臭スプレーが減るスピードも早くなるよね。

 抱きしめてくれる時の手を置く位置は、背中じゃなくて腰の方がよくなったんだよね。


 そうやって考えながら私たちの夫婦生活を俯瞰してみると、全てが上手く回っていることに気付いた。


 ……なんだ、最初からこうすれば良かったのか。


 こんなことで、この先ずっとあなたの隣にいられるんだね。


 それからはもう全部吹っ切れて、今を全力で楽しむようになった。


 デートでは旦那の腕をギューッと抱きしめっぱなし。

 新しい写真立てが欲しいからと、雑貨屋さんまでグイグイと強引に引っ張っていく。

 どれにしようかうんうん吟味しまくる私を、苦笑いしながらも優しく見守ってくれて嬉しいよ。

 ディナーのオシャレなレストランであーんなんてして浮いちゃってたかな。

 〆はムード満点なラブホテルだ。


 あぁ、本当に最高の夜だった。


 ——初めて味わうような彼の情熱的な腰使いは、涙が流れるほど気持ちよかったから。


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