第2話
それからの日々、「死んでしまいたい」と思ったことは何度あったか分からない。
相変わらず外に出られず一日中自分の部屋に引きこもり、夜もろくに寝られず、ご飯も喉を通らず、何をしようにも無気力でやる気が起きず、ただただ無為に時を浪費した。
しかしそんな私を、両親は根気よくお世話してくれたんだ。
発覚当時はめちゃくちゃに怒られたんだけど、それから憔悴しきった私を両親は決して見捨てることはなかった。
「美月ちゃん、今日は調子どう?」
「美月、今日は父さんがご飯作ってみたぞ」
「美月ちゃん、そろそろまたお母さんが髪切ろうか」
「美月、買ってきて欲しいものがあったら何でも言ってな」
毎日優しく声をかけてくれて、食べられそうになくてもしっかりご飯を作ってくれて、私が八つ当たりしそうになっても見守ってくれて、私の回復だけをずっと願ってくれて。
それが本当にありがたくて、そうやって過ごしながら時間が経つ内に、少しずつ気力が湧いてきた。
まずやりたかったことは両親への恩返しだったから、私は家事を手伝うことにした。
掃除に炊事、洗濯など一通り教えてもらったんだけど、学校に通ってた頃はトイレ掃除とかお風呂掃除、皿洗いくらいしか手伝ってなかったから、家事がどれだけ大変なのか初めて知ったよ。
でも、家事で体を動かしてる時間は悪いことを思い出しにくくなってることに気付いて、それからは積極的に自分からできることがないかお母さんに聞くようになって、生活の知恵レベルみたいなものまでたくさん学んだ。
この経験は私の今後の人生でずっと活かされることになったし、本当に両親に感謝だ。
それからメンタルも回復して「このままじゃダメだ」と思えるようになった頃、私は自分の今後の進路について考えることにした。
いくつかの選択肢はあったが、私は県外で就職することに決めた。
高認試験を受けるのが安定かもしれないけど、それよりもこの街の居辛さが耐え難く、勉強に時間を使うよりも早く外へ出てしまいたい気持ちが強かったから。
両親はたぶん試験を受けて欲しかったんだろうけど、それよりも私が前を向いてくれたことが嬉しいみたいで、「私の選択なら」と応援してくれて。もう一生足を向けて寝られないよ。
しかし中卒の私ではなかなか仕事が見つからず、結局都市の方で派遣をすることになった。
それから初めての一人暮らしが始まって、家事はたくさんやってたからあまり困らなかったけど、やっぱりお金には苦労した。
生活費のやりくりなんて初めてだったし、一人暮らしにいくらかかるかなんて知らなかったし、お給料も正社員に比べれば少ないし、節約を余儀なくされた。
突発的な出費が結構あることにも驚いたし、生活が立ち行かなくなる恐怖も幾度か味わった。本当にマズイ時はさすがに両親に援助を頼んで、彼らは喜んで助けてくれるんだけど、こうなってしまった原因は全て私にあってその度に胸が痛んだので、極力お願いしないようにお金のやりくりに執心した。
オートロックやバストイレ別は贅沢と家賃を抑える。
自炊で安売りの食材を使って数日分をまとめて冷凍。
化粧品は全部100均やプチプラ。
服や靴はファストファッションで着回しと実用性重視。
髪はお手入れが楽できるショートスタイルで、限界がくるまでセルフカット。
日用品はネット通販のポイントをたくさんもらえるタイミングでまとめ買い。
ふるさと納税など使える制度は活用。
最初はちょっと虚しいなんて思ったこともあったけど、慣れてみれば意外と暮らしの満足感は下がってないことに気付いて、むしろ節約が趣味みたいになっていった。
たまーの贅沢に気分転換でヘアカラーなどして、ストレスを極端に溜めないようにしていたのも良かったみたいだ。
だけどやっぱり、仕事が終わって暗い部屋に帰ってくると、なんか現実みたいなものが押し寄せて悲しくなっちゃうことはあった。
それでも私には、最高のお守りがあるから頑張れた。
今日も蛍光灯の薄灯の下でりょーすけの写真を眺める。実家からわざわざ持ってきたのだ。
一番のお気に入りは、高校受験合格の瞬間を撮ってもらった1枚。
たぶんこの時が、私の人生のピークだったと思う。
この写真を見るだけで、彼との楽しくて輝かしかった思い出に浸らせてくれて、私を鼓舞してくれるんだ。
※
「えっ、りょーすけ?」
再会は本当に突然だった。
仕事で郵便局へお使いに行く途中、なんか目を離せない男性がいるなと思ってよく見たら、まさかのりょーすけだった。
「お前……美月か……?」
彼もすぐに私のことに気付いてくれたみたいだ。
一瞬夢なんじゃないかって思ったけど、確かに目の前に、あのりょーすけがいる。
あ、でも今日お化粧手抜きしちゃってるかも。ヘアカラーしたの結構前だからプリン気味なのに。リップ塗ったっけ?唇カサカサじゃないかな?
ずっと想い焦がれていた人にせっかく会えたというのに、なんかテンパっちゃってそんな変なことばかり考えてしまって、思わず口を手で隠しちゃった。
そうして何も言えずにいるウチに、りょーすけが上司に連れられて行ってしまった。
「あっ……」
何も話せなかった。彼とは話したいことがたくさんあるのに。
でも彼は仕事中だしあんな一瞬じゃ何も話せなかったか。
その後はなんか今起きたことの現実感がなくて、足元がフワフワしててなかなか仕事に集中できなかった。
なんでこんな場所に?
仕事で来てたってこと?
今はなんの仕事してるの?
どこに住んでるの?
私を見て何を思ったの?
なんてことをずーっとグルグル考えてたら、
「あっ、小川さん」
と、先ほどりょーすけと打ち合わせしてた上司だ。
「はい。どうされました?」
「○○社さんとの打ち合わせ終わったから。さっき彼と話の途中だったでしょ?なんか小川さん話したそうにしてたから、一応声かけようと思って。ホント今終わったばかりだし、追いかけたら間に合うよ」
「え……でも、仕事中ですし」
「いやいや、ちょっとくらいなら大丈夫だよ。俺も今からタバコ行くから、息抜きに話してきたら?」
そして「アハハー」と軽く笑いながら扉へと向かう上司。
この職場は先月から派遣されてきたばかりだけど、人間関係に恵まれて働きやすくてすでにお気に入りになってる。
もしかしたら、りょーすけからしたらもう私の顔なんて見たくもないかもしれない。
でも、上司の心遣いも手伝って、やっぱりここで勇気を出してみようと思えた。
すぐにイスから立ち上がってエレベーターまで小走りで呼び出しボタンを数回連打。1階に着くまでの間に、ポケットの中にあったメモに連絡先を走り書き。
そして見えてきた彼の背中に、声を掛けた。
「りょーすけ!」
※
そして次の日、早速居酒屋で二人で会う約束をした。
声をかけた時はすごい素っ気なかったから、本当に連絡が来るなんて思ってなかった。
夜に「やっちゃった……」って枕に顔を埋めながら後悔してたんだけど、、電話の通知がきた瞬間飛び上がって壁に頭をぶつけちゃったくらいだ。
最初はずっと一緒だった幼馴染とは思えないくらいぎこちなかったけど、お酒も入って話せばだんだんと昔の調子を取り戻していった。
りょーすけは高校を卒業して、地元近くの企業に就職したらしい。それで最近、こっちの営業所に異動になったばかりなんだとか。
私の派遣されたタイミングといい、なんか運命みたいなものを感じてすごい驚いちゃった。
ずっと再会できることを夢見ていたりょーすけと話す時間は本当に楽しくて、時間が過ぎるのは本当に一瞬だった。
そうして会話がひと段落して、頼んだ食事も一通り食べ終わった頃。
少しシン、とした静寂がその場を支配した。
あっ、伝えるなら今だ。
咄嗟に脳裏によぎって。盛り上がった場の雰囲気とお酒の力も合わさって。
私が10年以上かかえてきた想いを、止められそうになかった。
だから私は、その言葉を口にしたんだ。
「ホントは、あの頃私はりょーすけのことが好きだったの」
それを聞いたりょーすけは本当に困惑した様子で。
それでも一回吐き出したら、堰を切ったように溢れてくる。
もう、これで終わってしまうかもしれない。
いや、もしかしたらむしろ終わらせてしまいたかったのかもしれない。
毎日彼の写真を眺めるくらい未練に塗れて、彼との思い出に囚われて。
そんなのりょーすけにとってもきっと迷惑だから、今夜で全て断ち切ってしまいたい。
そんな破滅願望が、私の中にあったのかもしれない。
「りょーすけ、大好きだったよ」
あぁ、言ってしまった。
彼の顔を見るのが怖い。
軽蔑されるだろうか。
罵倒されるだろうか。
しばしの沈黙は、永遠のような時間にも感じられて。
私はただ、断罪の時を待った。
でも、彼が発した言葉は思わぬもので。
「……俺もあの頃、美月のことが好きだったよ」
「……え?」
一瞬、本当に言葉の意味が理解できなかった。
このタイミングでまさかそんなこと言われると思ってなかったから。
なんとなく両想いだったんだろうな、と思っていたけど、こうして実際に言葉にされると、それだけで私の心が満たされて一杯になって。
それだけじゃなく、私に向かって手を差し伸べてくれて。
そんなこと言われてしまったら、私はその手を取るしかなくて。
「……っ、ありがとう、ありがとう……!」
10年ぶん私の中に溜まってた様々な思いがゴチャ混ぜになって、お店の中なのに号泣してしまった。
ラストオーダーを取りに来た店員さんを困らせちゃって、ちょっと恥ずかしかったな。
※
それから私たちは急速に距離を縮めて行った。
お互い残業も少なく平日も顔を合わせることができたので、空いた時間はとにかくお互いのために時間を使うようになった。
気になった服屋さんに寄ったり、お互いのお家にお邪魔したり、ご飯を一緒に作ったり。これまでの隙間を全て埋めるように、色んな話をして、とにかく笑い合った。
りょーすけとの時間は、これ以上なく心地が良かった。
当たり前だ。あれだけ一緒にいたんだから相性が悪いはずがない。それに私たちは想いを確かめ合って両思いなことも分かっている。
もう、私たちが関係を進めることに何の障害も躊躇いもなかった。
「……俺たち、結婚しないか?」
震える声と手でのプロポーズ。もちろん私が断る訳なんてなかった。
それからはお互いの両親に顔合わせして、私たちの結婚をたくさん祝福してもらった。
昔は両家が集まることなんて当たり前だったのに、私のやらかしがあってから10年以上ぶりなので、皆の笑顔が見られて本当に感慨深かった。
お父さんとお母さんがお酒でベロベロになりながら嬉しそうに話してるのを見て、こんな私でもやっと親孝行ができたかもしれないって思うと、思わずちょっと泣いちゃった。
りょーすけの妻という最高の特等席にいられる喜びを、ずっと噛み締めていこう。
——このときは、そう思ってたんだけどな。
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