ラスプーチン又失敗
増田朋美
ラスプーチン又失敗
なぜか台風が来るというのに、ちょっと雨が降った程度で済んでしまった。それなら良かったと、みんなホッとして、少しづつ外へ出る人口が増えてきたかなと言う感じの風景になって来ているその日。
小杉道子は、今日も病院勤務の仕事を終えて、自宅に帰るところであったが、なんだか今日は、素直にまっすぐうちへ帰ろうと言う気持ちにはなれなかった。本当になんでこういうときに限って、嫌なことが起きてしまうんだろうと思う。だけど、起きてしまったことは起きてしまったことだから、なんとかしないと行けないというのは確かなのだが、正直なところ、どうしたら良いのかわからなかったという感じであった。
仕方なく、道子は、夜遅くでもやっているカフェで、ぼんやりとコーヒーを飲んでいたが、明日どうしようかなと考えて、何も浮かばなかった。なので、どうしようかと、大きなため息をついていると、隣で車椅子の音がした。
「ようラスプーチン。しばらくだな。最近は、元気かい。」
そう言われて道子が振り向くと、隣にいたのは杉ちゃんであった。
「もう、歴史上の悪役と一緒にしないでよ。あたしは、これでも小杉道子っていう名前があるんだから。」
杉ちゃんに向かって、道子はそういうのであるが、
「そういうことが言えるってことはまだ元気だな。本当に辛いと、それも言えなくなっちまうからな。」
と、杉ちゃんはカラカラと笑った。
「もう、そういうこと言わないで頂戴よ。こう見えても、悩んでることとかいっぱいあるんだから。」
道子は嫌そうに言うと、
「そうか。ラスプーチンが悩むとは、大変なことだな。それでは、何でも吐き出して楽になっちまえ。そのほうが、良いってもんだぜ。解決策が見つからなくても、話せばちょっと、楽になれるってこともあるからね。」
と、杉ちゃんに言われて、道子は、それもそうねといった。
「でも、杉ちゃんに話してわかることかしら。こういうことは、専門用語とかもあるし、ちょっと素人には、相談出来ることじゃないわね。」
「そうか。ほんなら、素人でないやつに聞いてもらえば良いんだな。ああわかったよ。じゃあさ、今から製鉄所に行って、水穂さんや、他の人に来てもらおう。」
杉ちゃんの答えは単純であった。すぐに、答えを出してしまうのが杉ちゃんである。道子は、こんな時間に?と言おうと思ったが、杉ちゃんの気持ちもわかったので、杉ちゃんの言う通りにした。杉ちゃんはすぐに製鉄所に電話をかけて、これからラスプーチンと二人で行くからといった。応答した水穂さんは、お茶を用意して待っているといった。製鉄所と言っても鉄を作るところではない。ただ、居場所のない女性たちが、勉強や仕事をするための部屋を貸している福祉施設である。そんなわけで、杉ちゃんと道子は、杉ちゃんの用意してくれたタクシーに乗って製鉄所へ向かった。
「こんばんは、夜分遅くすまないね。ラスプーチンが、すごく悩んでいるみたいだから、連れてきたんだよ。まあ、人間は誰でも、悩むよねえ。お医者さんという身分の高い人でも時には悩んで袋小路に追い込まれることもあるさ。まあ、僕たち二人で、話を聞いてやろうな。」
杉ちゃんは段差のない製鉄所の玄関を平気で入った。中で応答した水穂さんは、とりあえず、道子と杉ちゃんを、製鉄所の食堂へ案内した。
「それでは、悩んでいることを言ってみな。ちゃんと、話をすれば、三人よれば文殊の知恵という言葉もあるぞ。」
杉ちゃんは道子に、お茶を渡して、そういった。
「そうね。実は、今日、モンスターペアレントならぬ、モンスターペイシェントに捕まっちゃったのよ。」
道子は、お茶を飲んでそういった。
「はあ、モンスターペイシェントって言うと。」
「変なことをいう患者が現れたということですか?」
杉ちゃんと水穂さんはそういった。
「そうなのよ。あたしが患者さんのことを話すのもどうかと思うけど、だけどこういうときだから言っちゃうわ。名前は野口美樹さんと言う女性何だけど、まだ、30代くらいの若い女性で。」
道子は、思い切って二人に話し始めた。
「はあ、それで症状はどんななの?」
「ええ。それでね。彼女のはなしではあるんだけど、彼女は通風ではないかって言うのよ。」
道子は大きなため息をついた。
「痛風。ああ風が吹いても痛いって言うやつね。じゃあ、アル中だったとかそういうやつか?」
「それがねえ、お酒なんか一滴も飲んでいないっていうのよ。変に肉ばかり食べて野菜が何にも無いっていうことでも無いらしいわ。それなのに、足が非常に痛くて、これは絶対痛風だって言って、きかないのよ。」
杉ちゃんと水穂さんは顔を見合わせた。
「だから、尿酸値とか高くないかっていうから、あたし血液検査しよって言ったの。そうしたら、血圧正常、尿酸値も正常、脂質も正常、以上なんてどこにも見られなかったわ。だから私、数値を見ても、異常はないって正直に言ったのよ。そうしたら、野口さんは、そんなことは絶対ない、私は通風なんだって怒鳴りだして。ネットで調べて、そのとおりだからそうなんだって。だから私返事に困っちゃったのよ。」
道子がそう言うと水穂さんが、
「それでは、その女性には、異常がないと言って、その後どうされたんですか?」
と聞いた。
「ええ。あまりにも自分は絶対痛風だって言い張るから、明日もう一回検査して、異常がなかったら、もう帰ってくださいって言っちゃったわ。」
道子は困った顔でいった。
「それでは、他の病気が隠れている可能性も無いってことですか?」
水穂さんがそうきくと、
「そうよ!だって血液検査の数値見せたって、全く以上につながる数値は出なかったのよ。だから、あたしとしてみれば、異常なしというしか無いじゃない。とりあえず、痛み止めのバファリンだけだしたけど、それでなんとかしてって、あたしは神頼みしたいくらいだった。」
道子は、お茶をぐっと飲み干した。
「まあ、道子さんがそういうのなら、異常は他にないってことですよね。」
水穂さんはそう言うと、
「そうなのよ!だからあたし他に言いようがないわよ。それでは、どうしたら良いのかわかんないわよ。だって彼女の血液検査は、全く異常はないのよ。それなのに、それを曲げて、異常があるなんて言えるわけ無いじゃない。あーあ、明日もう一回検査して、それで異常なかったら、彼女になんて言われるか。ほんと、困っちゃうな。」
道子は、そう言って湯呑みをテーブルの上においた。
「そうですか。診療科が違うから、あまり精神関係のことは言わないのかもしれないですが、それは、精神疾患かもしれないから、そっちへ行くように促してあげたほうが良いのではありませんか?」
水穂さんが優しく言った。どうやら精神関係は、医学界でもタブー視されているらしい。
「そうだよなあ。全身に激しい痛みが回る線維筋痛症とか言う精神疾患もあるからな。」
と、杉ちゃんが、でかい声で言った。
「そうか。それは気が付かなかったわ。今は一般社会にも蔓延しているって聞くし。昔は限られた人しかかからないって聞いたけど。確かにそれがあったわね。」
道子は、杉ちゃんに言われてやっと気がついたようである。
「だから、明日もう一回検査して、異常がないようだったら、じゃあ精神関係の病院を紹介してあげようよって言うふうに持っていくのが医者の仕事じゃないの。まあ診療科が違っていても、偏見の強い診療科であっても、そこを必要としている患者はいるわけだしねえ。」
「そうねえ。あたしたちもさあ、精神って言うと、ちょっと話がしにくいなとか思っちゃうんだけどね。まあそうかも知れないわね。よし、じゃあ明日、そういうふうに彼女に言ってみよう。」
杉ちゃんに言われて、道子は、ちょっとため息をついて、そうすることにした。
「まあ多少、怒鳴られてもさあ。でも医者なんだから、それは必要なことだって、言ってあげるのも医者の勤めだよ。それは大事なことだから。もしかしたら、その野口さんという方は、痛風だと思い込むことで、なんとかしようとしているのかもしれない。そうじゃなくて、別の方向があるんだってことも、医者の勤めだと思うよ。」
「ありがとうね。杉ちゃんすごいわ。医者であるあたしも気が付かないこと平気で言うんだから。」
道子は、杉ちゃんに言われて、苦笑いを浮かべた。
「ほら!答えがでなくても、三人よれば文殊の知恵だろうが。そういうことならちゃんと、明日、患者さんの話を聞いてやって、それから、提案してあげるんだぞ。患者さんの話をちゃんと聞くと言うことを忘れないようにね。患者さんは、お前さんたちの実験台じゃないよ。」
「わかったわ。」
道子は、はあとため息をついた。
「今日は、ありがとうね。杉ちゃんたちに聞いてもらって、ラスプーチンは楽になったわ。それでは、あたし明日のことがあるから、もう御暇する。助かったわよ。ありがと。」
道子は椅子から立ち上がり、自分でスマートフォンを回して、タクシーを呼び出して、自宅へ帰った。その後は、いつもと同じことをしただけであった。というかそのいつものことが出来るということは、道子も正常ということになったのである。悩んでいることがあると、いつもしていることができなくなってしまうので。
その次の日。道子は、勤務先の吉田病院に向かった。今は、そこの第一内科に勤める勤務医である。吉田病院は予約制を取っていないので、誰が来るのかよくわからないのであるが、道子が診察室からこっそり待合室を除くと、野口美樹さんが座っていた。なんでこんな早く来るんだろうと思ってしまうけれど、それだけ苦しんでいるんだなと考え直した。隣にはご主人と見られる男性も座っている。日本人でない雰囲気があるので、なるほど、国際結婚だったのかと、道子は納得した。
診察開始のチャイムが鳴った。道子は、勢いよく、診察室のドアを開けて、
「野口美樹さん!」
と、声高らかに言った。野口美樹さんは、ご主人に肩を貸してもらいながら、一生懸命やってきた。
「どうですか。まだ足は痛みますか?」
道子は、そう聞いてみた。
「ええ、風が吹いても痛いどころか、光があたっても痛いです。痛風は足の親指の付け根が痛いそうですね。それ以外にも、足首とか足の甲が痛くなるとネットに書いてありました。先生、それでもあたしのことを、診察してくださらないのですか?」
そういう野口さんに、道子は痛いところを見せてくれませんかと言った。看護師が足乗せ台を用意すると、野口さんは、その上に右足をおいた。
「痛いのは、右足だけですか?」
道子は聞いた。野口さんがハイと答える。道子は靴下を脱いでくださいと言った。野口さんは、触っても痛みますといったが、隣にいたご主人がそっと靴下を脱がせてくれた。道子は彼女の右足首を観察したが、痛風にある、赤く腫れ上がるようなものも無いし、痛風結節などもない。
「そうですねえ。なにも腫れていませんので、痛風ではありません。昨日の血液検査でも尿酸値が極端に高いとか、そのようなことは全くありませんでしたから、痛風ではありません。別の病気が隠れている可能性があります。」
道子は、しっかり言った。
「別の病気ってなんですか!だってこれほど痛いんだから、痛風に決まってますよ。それしか無いでしょう?」
野口美樹さんはそういうのであるが、
「でも、足の関節に激痛が走るというのは痛風ばかりではありません。それに、あなたはビールを大量に飲んでいるわけでは無いのでしょう?そういうことなら、痛風は起こりませんよ!もし、答えられないなら隣のご主人にお聞きします。奥様は、お酒を大量に飲むことはありますか?」
道子は、急いでそう聞いてしまった。隣にいたご主人は、
「ええ、ありません。僕も美樹もお酒は嫌いなんです。」
と言った。
「じゃあこの痛みの原因は何だと言うのですか?昨日の検査では異常はないって冷たい顔して言うくせに、今日はえらく態度が違うじゃない。やっぱり私のことを、バカにしているのね。あたしは、真剣に考えているんですよ。ずっと足が痛くてどうしようもないって、何度も自問自答してるの。自業自得だって言われても、何も解決できないから病院へ来ているんですよ。それなのに何で、私は、医者にまで馬鹿にされなければならないんですか!」
「美樹さん。あなたは、心のことには関心がありますか?人間は体だけではありません。」
道子は静かに言った。
「心なんて、あたしがどうでもなるものですし、だからどうしても治らないから痛風だって、、、。」
野口美樹さんはそういう。
「そうかも知れないけれど、心だって自分の意思でコントロールできるものではありません。それだって病むことはあるんです。それが原因で足に激痛が走ってしまうことだってあります。人間の意思でコントロールできることなんて、本当に僅かなことなんですよ。あなたは、痛風だと思いこんでいるようだけど、それは心が原因で痛いんだと思います。」
道子は、そう言った。そんなことわからないと、美樹さんは思っているようであったが、隣にいた美樹さんのご主人は、なにか感じ取ってくれたらしい。それはやはり、海外から来た人でなければわからないのだと思う。
「いや、美樹。それはよく分かるよ。人間なんて、解決しようがないモノは、いくらでもあるさ。だからこそ神様にお祈りしてるんじゃないか。」
なるほど、そういう考えもあるか。道子は、そう思った。日本人はなかなかそういう考えは思いつかないが、西洋人なのでそう思ってくれたのだろう。
「きっと、僕らの意思で解決できない問題があって、それをなんとかしようと思ってもできないから足が痛いんだよ。そういうときは、そういうときだと思うしか無いんじゃないのかな。」
ありがとうございます!と道子は思った。そんなことを言ってくれる優しい人がいてくれるなんて、野口美樹さんはかなり恵まれている方だと思ってしまう。そうなれば、精神疾患に対しても偏見なく接してくれるだろう。道子は、美樹さんに向かって、こういったのだった。
「実は、最近患者さんの人数が増えているのですが、美樹さんのように、どこを検査しても異常が見つからないのに、体に激痛が走る心の病気があります。美樹さんは痛風だと思い込んでいるようですが、足には何も異常はなさそうですし、痛風結節も無いので、多分そっちだと思うんですね。その治療は、うちの病院ではできません。精神科の病院に行って頂く必要があるんです。そこで詳しく見ていただいて、しっかり、治療して頂く必要があると思います。」
「そうですか。では、あたしは頭がおかしくなってしまったのでしょうか?」
美樹さんは、つらそうに言った。
「いえおかしくなりそうな環境にいるから、そうやって痛みがあるんじゃないですか?精神関係はおかしくならないために、症状を出しているんだと思ってください。」
道子は、美樹さんに言った。
「もし、よろしければ、優秀な精神科医も紹介できますから、紹介状をかきましょうか?」
「でも、そんな病気にまさかあたしがかかるなんて。」
美樹さんは困った顔で言う。
「そんなものにかかってたら、あたしはもう、誰からも愛されることもなくなってしまうのではないですかね?」
「大丈夫ですよ。」
道子は、自信を持っていった。
「お隣に、そんな優しい方がいらしてくれるじゃありませんか。美樹さん国際結婚で本当に良かったわね。そういうふうに理解をしてくれるご主人なんてなかなかいませんよ。そういうところが美樹さんは運が強いって思わないとね。」
「そうですか、、、。」
野口美樹さんは、小さくなって、なにか考えるような顔をする。ご主人はそんな顔をしている美樹さんに、なにか偉そうな態度で接するわけでもなく、嫌な顔するわけでもなく、ただ微笑むだけであった。
「だから、大丈夫ですよ。じゃあ、あたしが紹介状かきますから、なるべく早く病院に行ってね。そしてちゃんと専門的な精神の治療を受けてください。それで物足りなかったら、カウンセリングとかそういうものを受けていただいても良いかもね。そのうち、痛みの原因とか、そういうものがきっとわかってきますから、何が来ても受け入れるんだっていう、大きな気持でいてね。」
道子はにこやかに笑って、そういった。野口さんたちは、なにか考えていたようであったが、
「はい。わかりました。」
と小さな声で言った。
「じゃあ、靴下はいて、受付でお待ち下さい。紹介状と、処方箋をお渡ししますので。」
道子は、そう言って、美樹さんにもう帰る様に促した。美樹さんは、
「ありがとうございます。」
と言って、靴下を自分で履き、道子に頭を下げて又ご主人に支えてもらいながら、診察室を出ていった。ほんとに痛風であれば、靴下を履くこともできなくなるはずだから、少なくとも痛風ではなかった。道子は、きっと彼女は大丈夫だろう、優しいご主人もいることだし、上手な医者が居れば必ず回復すると思った。変な患者だと思ったけれど、実際は恵まれているものだ。美樹さんが、そういうところに気がついてくれれば、もう少し症状も軽減するはずだ。
「それで、モンスターペイシェントはどうだったの?」
杉ちゃんに言われて、道子は、そうねと言った。
「きっと、自分のことは孤独だと思い込んでいるから、そういうふうになっちゃったのよ。でも一皮むけば、優しいご主人もいてくれるし、本人がそれに気がついてないことだけだと思うのよね。」
「なるほどね。まあ、良い身分だってことに気がついてないってことか。」
杉ちゃんもでかい声で言った。
「でもね、あたしは思うんだけど、そういう優しい人の存在って、そういう病気になって初めて教えて貰う人もいるんだなってことを、今回学ばせてもらったわよ。」
道子は教訓をいうと、
「ラスプーチンに乾杯だ!」
杉ちゃんは、道子の湯呑みにお茶をついだ。そして、自分の湯呑みを近づけてカチーンと鳴らした。
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