黎明の筋肉

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　はじめに、筋肉がありました。

　なにもないはずの、「いつ」かも「どこ」かもないところに、まず、筋肉がありました。それは奇跡でした。ありえないことでした。

　けれども、必然でした。

　筋肉には自我がありました。なすべきことがありました。

「さあ、世界が始まるぞお」

　ビッグバンとはすなわち、筋肉の、最初の肥大化なのです。

　筋肉は、自分が世界を導いていくのだということを知っていました。ですから、自分の古くなった細胞を捨ててしまうことなどはせず、丸めて星にしては辺りに漂わせました。ええ、ほんとうに、捨てたわけではありません。

「筋肉さん、私たちを造ってくれて、どうもありがとう！」

「ありがとう！　仲間が増えて嬉しいな」

「星の仲間が増えたら、レースをやるんだ。筋肉さんも見にきてね」

　びゅんびゅん飛び回る星たちの、楽しそうなこと！　彼らは毎日のように新しいことを発見しては、筋肉に伝えてきます。

「ふんむぅ……」

　筋肉は気づきました。自分以外の存在が増えるということは、刺激的であるということに。筋肉には刺激が大事なのです。刺激があれば、もっと強くなれますから。

　あっというまに、星は数え切れないほどの群れになりました。

　筋肉はみんなの希望でした。

　繊維の一本一本が誰かの進むべき道筋であり、また、前へと進むエネルギーでありました。暗い顔をしている星にはぺかりと照らす笑顔を向けましたし、お腹を空かせた星にはその熱を惜しみなく与えました。

　そう、筋肉太陽の登場です。

　弾けるような明るさは、星に育つ草木たちの憧れ。多くの葉っぱがぐんぐんと太陽へ向かって伸びていき、その表面をつややかにきらめかせます。筋肉は、彼らが自分の真似をしてつやつやになるのが嬉しくて、よりいっそう筋組織を強くしました。

　太陽のことが大好きすぎてカラカラに乾いてしまった砂漠には、時々、汗を垂らしてやることも忘れません。そのわずかな水分によって腕を伸ばす生き物たちの強かさといったら……！

　こうして、筋肉が太陽として活動するようになると、世界は加速度的に成長していきました。

　情熱的で、温かくて、それはやっぱり、みんなの希望だったのです。

　いつしか筋肉は、世界を導いていくだけでなく、自分もみんなといっしょに遊びたいという思いを抱くようになりました。

　というのも、みんなが自身の形を鍛えて成長させるのを見ているうち、筋肉も自分の内側が疼いて疼いて、どうしようもなくなってきたからです。筋肉の胎動は、いつも突然やってくるものです。

　そこで筋肉は、無機（ムキ）物ばかりを造るのはやめにして、星々がしているように、有機物を造り、そのなかに入ってみることにしました。

　すると、どうでしょう。

　たちまち筋肉は複雑化し、体の部位にあわせた動きをするようになったではありませんか。激しい動きを得意とする筋肉、決まった動きを続けることが得意な筋肉。役割はいろいろありました。

　とくに、自分の意思では動かすことのできない筋肉が現れたとき、筋肉は自分のことながらひどく驚いたものです。

「むっはー！　わるいが、おいらはおいらでうごくぜ！」

「そうかい、そうかい。いいよう、そのおかげで、ボクは別のことに集中できるんだあ」

　筋肉は、自分とは異なる筋肉も認めることにしました。そのほうが、都合がよかったからです。適材適所というものです。効率化というものです。

　もうおわかりでしょうが、私たちの体に筋肉がついているのはその名残り――いいえ、もしかすると、あなたを動かすその筋肉は、はじまりの筋肉の一部かもしれませんが――なのですよ。筋肉の素晴らしい叡智を受け取ることのできた私たちは、なんと幸せなことでしょうね！

　それにしても、たくさん動くのって楽しいものです。これまでは周りからの刺激を受けて筋組織を育ててきた筋肉でしたが、今ではもう、自分で動くことでも鍛えることができるのです。

　いい汗をかくと、お腹が減って、ご飯が美味しくて、たまりません。

　筋肉はまたひとつ世界の秘密を知りました。

「美味しいもの、もっと食べるぞお」

　みんなの成長のため、そして味覚を満たすため。この世界に多くの栄養素が存在しているのは、筋肉の気遣いなのです。

　さまざまな物質が誕生し、世界がより複雑になってきても、筋肉がすべてのはじまりであることに変わりはありません。

「ボクは、世界のなにもかもを知っているんだなあ」

　ですから、筋肉が全知の極みに達したと勘違いするのも、仕方のないことでしょう。

　ええ、それはもう、まったくの勘違いでした。

　あまりに強く世界を照らしていましたので、すべてが見えているように錯覚してしまったのです。

「闇が……こんなにあったのかあ」

　いつのまに現れたのでしょうか。それとも、はじめからあったのでしょうか。気づけば世界のあちこちに、どこまでも深い暗黒が広がっていました。

　星のひとつが近づいてみると、すぐに吸い込まれ見えなくなり、またいつまで待ってみても出てきません。

　それに、筋肉が、自慢のツヤでぎんぎらぎんに照らしてみても、暗闇のなかを見ることが叶わないのです。さて、どうしたものでしょう。

「おうい」

「――……」

　呼びかけても、消えてしまった星は戻ってきません。返ってくるのはひたすら、沈黙ばかり。はて、困りました。世界に、なにもない場所があるのは、とても困ります。穴が開いてしまっていては、力が抜けてしまうではありませんか。

　――いいえ。

　そこで、なにかに気づいた星たちがいました。彼らは口々にこう叫びます。

「筋肉さん、沈黙が、返ってきているんだよ！」

「無いけど、在るんだ！」

「暗黒という物がッ！」

　そう、それは無ではありませんでした。ただ無いだけのようで、無いという気配がちゃんと、あったのです。

　星たちがわいわいちかちかと瞬く傍らで、筋肉は「ふんむう」と考えました。

「無い、気配……無の気。無気、ムキ。ムキ……そうかあ、この暗黒も、ボクの一面なんだあ」

　筋肉は、その暗黒の物質をマチョと呼ぶことにしました。

　マチョは世界中にありました。それらが世界を支えるという同じ志を持った仲間だと知り、筋肉は気をよくしたものです。

　光の筋肉、影のマチョ。

　こうして、世界はバランスというものを覚えました。

　バランスを上手くとろうとすればするほど、筋肉が鍛えられることは言うまでもないでしょう。

　とりわけ内側の筋肉が頑丈になるので、筋肉を持つ生き物たちは、脳筋とも呼ばれる、物事を考える部分がよく発達しました。

　そう。時が流れ、星々にもっともっとたくさんの生き物が誕生すると、すべての起源である筋肉のことを理解しようとする学者が出てきました。みなさん知ってのとおり、私たちの惑星の、哲学者たちです。

　彼らはよく鍛えた思考で、筋肉からなる世界の形についてたくさんの議論を交わしました。

「宇宙はこれからも広がり続けるんだ！」

「いいや、違うね。ある程度まで大きくなったら、今度は縮んでしまうのさ」

　彼らは自分たちのいる世界を知ることにたいへん熱心でしたが、いささか熱が入りすぎることもありました。熱を持つのは素晴らしいことでありますが、そうするとすぐに喧嘩が始まってしまいますから、筋肉は慌てて止めに入ります。

「筋肉は柔軟性が大事なんだよお。伸び続けたり、縮みきったりしたら、いけないんだあ」

　マチョとの出会いで、筋肉は自分が硬直してしまうことがいちばんの問題だと知りました。そういうわけで、筋肉はこれからも動き続ける気まんまんでした。

　つまり、簡単に言ってしまえば、未来のことは誰にもわからないのです。

　ところでみなさんは、この惑星で、太陽の光を一身に浴びるサボテンという生き物を見たことがありますか？

　彼らの腕が筋肉を見せつけるように掲げられているのは、すべてのはじまりである筋肉に感謝を捧げているからなのです。

　さあ、みなさんもご一緒に。

　上腕二頭筋にありったけの力を込めて。

「筋肉むきむき！　筋肉、ばんざあい！」

　おしまい。