その日、ノックは止まなかった

花野井あす

2019年、神奈川にて


 台風が迫ってきたので、2019年の時の思い出を少し語ろうと思う。

 

 あのころ僕は、新卒でとあるIT系の会社に就職し、神奈川某所で初めての一人暮らしを満喫していた。

 つまり僕は平成最後の新卒にして、令和最初の新卒だったのだが――まあそのことは今回のお話には関係ないので語るのはよしておこう。

 

 さて、僕は人生で初めてひとりで台風を凌がねばならなかったわけだが、場所的には避難は不要な場所であったので、停電に備えて懐中電灯や水を置いておく、くらいしかやれることはなかった。後は外に傘を置きっぱなしにしていないかだとか、そのくらい。あとは寝るだけ!僕は「すごい強いらしいけどいったい如何ほどのものなのだろう?」と不安になりながらも布団に入った。ここからが恐怖の始まりとも知らず……。

 

 ガダガタガタ!

 

 それは突然に鳴り出した。想像を絶する強風で玄関の扉もベランダの窓も揺らされて、それはもう恐ろしい音がした。

 だがこの程度のことはまあ、あることだろう。

 僕の恐怖はこの音に混ざって聞こえた、別の音にある。

 

 コンコン……

 コンコンコンコン!

 

 何かがしきりにノックしているのである。

 もちろん、来客なはずがない。半額くらいを会社が出してくれるからと僕はオートロックの、かなりいいマンションに住んでいたので、来客があればまず、「ピンポーン」と鳴るはずなのだ。

 それに自慢ではないが、僕は訪ねてくるような知人友人が少ない。では家族かと考えられるが、その当時きょうだいは地方の部署に配属されて関東にはいない。母はその時確か、そのきょうだいを訪ねていて不在。父は関東の別場所にいるのだか、「風すごいねー、そっち大丈夫ー?」みたいなLINEを今まさにしているのだから、訪ねてくるはずがない。

 

 コンコン!

 コンコンコンコン!

 

 だがこのノックは止まらない。僕は何事だとそわそわしながら、心霊現象か!?などと非科学的なことを考えたわけだが、ハッとひとつの事実に気がついた。


 ――傘じゃないか?


 僕の傘はもちろんのこと、回収済みである。だがよそ様はどうだろうか。そのマンションは傘を干す部品が玄関近くに備わっていたためか、傘を干す習性のある方々が多い。勝手に、台風が来るのだからみんな中に入れただろうなんて思い込んでいたわけだが、うっかり忘れただとか、そもそも不在で家を空けているだとかもあるだろう。

 ――え。傘で扉に傷いったら、弁償するの僕か?

 そこからは別の恐怖の始まりだ。布団の中で目をかっ開いて神様仏様にひたすらお祈りだ。

 

 ――頼むから、弁償レベルの傷はつけてくれるなよ!

 

 結論から言うと、なんだか白いかすり傷みたいなのが付いた程度で済んだ。だがあの時の恐怖は今も忘れない。翌日すべての電車が止まって、ブルーラインしか動かず、横浜で迷子になったということよりもずっと鮮明に覚えている。

 

 さて皆さま。

 皆さまは傘、ちゃんと片付けていますか?

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その日、ノックは止まなかった 花野井あす @asu_hana

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