第二話「翌日、昼下がり」
私の通っている空井高校は偏差値で数えれば全国で平均を上回るか下回るか行ったり来たりの共学だ。
地元の由崎市からバスで通える距離にあるが、私は自分のお小遣いの無さから早めに起床し、歩いて登校している。三十分歩けば着く距離ではあるので、自宅から比較的には近い。
クラスである一年三組は総合的に見れば比較的静かで平和である。
つい先週まで行われていた期末テストも終わってしまい、周りは少しだけ浮かれ初めていたのか、いつもより緩い空気の中、目の前で先生がのんびりと声を出した。
「昨日は七夕でしたね。みなさん、お願い事はしましたか? そうだ、七夕の笹に因んだ雑学のようなものを。『笹の葉に鈴』ということわざがあります。このことわざは、笹の葉に鈴を付けると、風が吹いて鳴り続けることから、『よくおしゃべりをする人』という意味があり……」
四限目は古文の時間で、私は中央の一番前の席でクラスの皆を見渡すことは出来ないが、おそらく誰もかれもが俯き、傾き、舟を漕ぎながら白髪の生えたおじいちゃん先生が長々とのんびり説明しながら黒板に書いていく文字が書き終わるのを待っていたように感じていた。
鈴山天音は私の左斜め後ろ辺りに座っている。……いつもなら。
今日はなぜか、気配がない。
席に彼女がいないのだ。サボタージュでもしているのだろうか。
昨日少し会話をしただけで、彼女のことを思うのは、図々しいだろうか。しかし、やはり気になる……。
などと思っている内に、澄み切った青空に眩しい日差しが教室の窓に直接差し込むほど日が真上にやってきた頃、鈴山天音が登校して来た。
彼女の登場は、漕ぎ途中であった頭が突如として浮上し、あるいは盛大に机に頭を打ち付け、音を立ててクラスメイトたちが起きてしまうほどだった。
「こんにちは、先生」
さらっと昼の挨拶をする鈴山天音は、楽し気に笑みを浮かべていた。
私だったら、こんなに大きく時間を遅らせて教室に到着してしまうものなら、恥ずかしくて先生はもちろん、生徒にも遅刻した生徒だと認知されないように隠れながらそそくさと席に座るだろうに。
彼女と来たら、平然と先生と挨拶をしても、クラス全員の視線を集中させようとも、全く気にしないかのように優雅である。
突然の遅刻者の来訪に、あんぐりとした顔をした古文の先生は乾いた声で一度咳払いをする。
「いいから早く座りなさい。盛大な遅刻ですからね。鈴山天音さん」
「はーい」
聞く耳もほぼ持たないままに堂々とした様子で教室のドアを閉め、凛とした顔で自分の席へとやって来たため、教室の誰もが彼女に声を掛けられずにいた。
異様なまでに存在感を放つ彼女は、そのまま着席し、授業は多少の動揺を残したまま、先へと進んでいく。
鈴山天音という人物の印象は、私の印象で言うと、このクラスから浮いていた。
浮いているのは私も同じだ。
しかし、存在感無く空気のように浮いている私とは違うのだ。
彼女は、存在感を放ちすぎて浮いている。
艶やかなニキビ一つ無い肌。睫毛を上向きにぱっちりと開いた意志の強い瞳。
強気に口角を上げるその唇には紅が微かに乗っている。
極め付けには金色の髪の毛をまるで自分を主張しているかのように高く二つに結って存在感をこれでもかと放っている。
『主張』、そう。彼女は外見全てを主張してこの個々の集まりの中で群を抜いて『鈴山天音』を演出していた。
初めて見かけた時はどこも欠けていないかのような存在に満月のような人だと思っていたが、彼女のツインテールが緩やかに動くときに流れ星、否、天の川のような人なのかもしれないなとも、勝手に想像していた。
とにかく、宇宙の果てにいるような遠い距離を感じる人物なのに変わりなかったので、私は彼女と高校に入学してすぐの頃から顔を合わせることは一度も無かった。
昼休み。午前中の授業の疲れを吹き飛ばすため、徐々にボリュームを大きくしていく教室から逸れて、いつものように一人で座っていた私は、そのままランチョンマットでくるんだ弁当を開いた。
白ごはんの上に梅干し。おかずには昨日の夜に食べた残りの鮭と煮物を今日の早朝入れていた。
残り物を詰め込んだだけなので、お弁当と呼べるか分からないが、とりあえず昼に腹を満たすには十分な量ではある。
箸で中身を口に含みつつ、水筒に入った緑茶を飲みながら、昨日の夜のことを思い出したので、ちらり、と振り返って鈴山天音の様子を窺う。
彼女の机にはミネラルウォーターしか置いていない。
お弁当も購買で買ったらしきパンもサンドウィッチも、もちろん誰かと一緒に机を囲んでいる様子も無い。
スマートフォンにイヤホンを差し込み、彼女は持っているスマートフォンに夢中なようだった。今時珍しく、有線のイヤホンだ。音楽でも聴いているのだろか。
誰も彼女に話しかけている様子も無いことを確認して、残りのご飯を飲み込んでから、私は咀嚼音より談笑の声が重なり始める教室内から飛び出し、階段を下り、昇降口の前にある紙パックの自動販売機の前に立つ。
買い時から少し経っているので、生徒も疎らにしかいない。
自動販売機の前に立ち、上から二段目の右上にある苺が中央に描かれた紙パックのボタンを二度押し、ゴトンと音を立てて、字面を見るだけで甘ったるい「いちごみるく」の紙パックが出てくる。
そのまま長いスカートに突っかかりそうになりながら、階段を上り、廊下を上履きで音を鳴らしながら教室の前に辿り着く。
一つ深呼吸をしてから教室の開けっ放しになっていた前方の入口から入り、鈴山天音の席前に移動する。
「あれっ。笹川ちゃんじゃん」
パチリ、と鈴山さんの大きな瞳が私に射抜かれた瞬間、突然の名指しに驚いてそのまま数秒固まった。
「どうしたの?」
微かに聴こえる邦楽らしきロックが流れるイヤホンを片耳から外し、こちらに耳を傾ける鈴山さんの目の前に、私は左手に持っていた紙パックを手渡した。
「昨日の、お礼……」
教室の中は、男子の騒ぎ声で私の声はほぼかき消されているだろう。
多少、女子の視線が刺さる気がするのを、どうにか気にせずにバクバクと高鳴る鼓動を隠すのに必死だった。
こういう同じクラスの友人と話すこと自体、慣れていないから、余計に焦りが募る。
差し出した後、彼女は心当たりでも探しているのか、訝しげに何度か私といちごみるくの間を見つめたが、合点があったのか「あっ! 昨日の夜の?!」と口角を緩めた。
「お礼のお礼なんて変なの! でも嬉しい!」
「いや、私こそ、鈴山さんから突然もらってしまって……ありがとう」
「なんだよぉ。さん付けしないで良いよ」
さん付けしなければなんと呼べばいいんだ。
友人なんていなかった私に、彼女の名との距離感なんて掴めるはずもない。
突然天音ちゃんなんて呼ぶなんて、今の私には出来るはずがないし……。
私は考えに考えあぐね、出た答えが。
「……じゃあ『鈴山』?」
だった。
私の呼び方に一瞬きょとんとした顔でこちらを見つめた鈴山は、
「まさかの苗字呼び捨て?!」
と、豪快に吹き出し、けたけたと笑った。
こんなに、彼女は歯を出すほどに笑う子だったのか。
「あっはは、じゃあ笹川さんのことも、今度から笹川って呼ぼうっと」
どうやらお気に召していただけたようだ、と安堵したのもつかの間。
どこからか視線もいくつか感じてしまうし、「それじゃ昼休みも終わるから……」と言って自分の席に戻ることにした。
なんだか少しの時間だったのに、ひどく疲れてしまったな……と去ろうとした時、鈴山は「ねぇ笹川ぁ」と呼びかけた。
「笹川って、今日もあの河川敷の近くにいる?」
あの、ということは昨日会った河川敷だろう。
今日も一コマそういえば塾の授業が入っていた。
「いる、と思う。多分二十時くらいかな」
「わかった~」
「でも、なんで?」
私の問いかけに、彼女は何も言わず、いたずらを思いついた子供のように、楽し気に笑いつつ、いちごみるくにストローを差していた。
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