この闇を、断ち切る(前編)

 ──どこからか、太陽を感じた。

 紫貴は足を止め、空を見上げる。厚い雲に覆われ、月すらも見えない夜空が広がっている。まだ日が昇る時間でもないため、朝焼けすら見えない。

 だが、これは紛う事なき太陽。こうしている間も、感じることができている。


「咲耶……!」


 このようなことができるのは、咲耶しかいない。彼女の身に、何かが起きている。

 本来、咲耶の力が大いに発揮されるのは太陽が昇っている間。太陽が沈んでしまう夜は、日中と比べるとどうしても力が落ちる。それでもここまで強く太陽を感じるのだから、相当無理をしていると推測できた。

 足に力を込め、走り出す。酒呑童子の妖気を探しながら追っていたため時間がかかっていたが、太陽を感じる方へ向かえば、そこに咲耶がいる。

 早く、早く、と気だけが急く。普段なら更に速度が出せるのだが、今は体力が削られてしまっているため、これが限界だった。

 なんてことない移動だと言うのに、息が持たない。胸が痛い。肺が苦しい。されど、どれだけ身体の至るところが痛もうが、苦しもうが、足を止めることは決してしない。

 咲耶の傍にいると誓ったのだ。絶対に、一人にはしないと。


「すぐに行く。だから……っ」


 無茶だけはしないでほしい。咲耶を、失いたくない。

 焦りを滲ませながら、紫貴は咲耶の元へと急いだ。



 * * *



(身体が熱い。まるで、燃えているよう)


 酒呑童子の猛攻を躱しながら、咲耶は自分の身体に起きている異変について考えていた。

 相手が誰でもそうなるのか、それは現時点では不明だ。ただ、咲耶が酒呑童子に触れるか、酒呑童子が咲耶へ触れるかすれば、その部分は焼け爛れる。激痛が走るのが気に食わないのだろう。触れるたびに酒呑童子は大きな声を出し、苛立ちから攻撃が単調になってきている。おかげで躱しやすくはなったが、一つ問題があった。

 咲耶の身体を包む光の膜。攻撃と防御を兼ねているが、その内側にいる咲耶自身も熱に当てられていた。いわば、諸刃の剣のようなもの。

 少しずつ、少しずつ。咲耶の身体に負担が蓄積していた。

 できれば早く決着をつけたい。このままでは、先に灰になるのは咲耶だ。しかし、体術では決め手に至らない。


「なんじゃあ、精彩を欠いてるぞ? それで儂の命を取ろうなど、片腹痛いわ」

「……っ、まだこれからです」

「強がりおって。そうだ、謝れば許してやろう。儂との子をなすと言え。な? 今なら優しく愛してやろうて。……それとも、そのまま命を燃やし続けて死ぬか?」


 冷酷な笑みを浮かべ、酒呑童子は拳を繰り出してきた。

 この鬼は、気付いている。咲耶にも何かしらの負担が蓄積し始めていると。だからこそできるこの挑発。触れて焼け爛れるたびに叫んでいるくせに、と心の中で悪態を吐きながら、咲耶は構えた。

 身体は動かさず、左手の手のひらで拳の手の甲をはじいて内側にいなす。触れた部分が焼け爛れ、痛みから怯む酒呑童子に、すぐさま右手を顔面に当て強く押した。


「く……っそがぁあああぁぁ!」

「──っ!」


 反動を利用して後ろへ跳ぼうとしたが、右手を掴まれてしまった。


「この儂を、虚仮こけにしやがって!」


 右手を掴む手に左手を押しつけようとするも、それすらも掴まれ、そのまま後ろへ押し倒された。

 皮膚が焼けるにおいがする。あれだけ痛みに声を出していたのに、まさか自ら掴んでくるとは思わなかった。こうしている間も、凄まじい激痛が酒呑童子を襲っているはず。それなのに、手を離そうとしない。


「儂は人間が絶望に染まる瞬間がたまらなく好きでなあ。つい手の込んだことをしてしまう。悪い癖じゃあ」


 困ったと言いたげな調子で話すが、焼け爛れた顔に表情はない。不気味だと思っていると、顔が近づけられる。


「お前も、儂の手で絶望に染め、手中に収めてしまおうと思うておったんじゃあ。じゃがなあ、ここまで虚仮にされたらもう我慢ならん。……その首、喰い千切ってやる」


 口が大きく開けられた。

 掴まれている手は、咲耶の力では解けそうにない。激痛に耐えている理由もようやくわかった。咲耶を喰い殺せばすべて終わる。そう考えているからだ。

 ここまでなのか。悔しさから涙を滲ませたとき。


「咲耶!」


 思わず、息を呑んだ。

 いつも隣から聞こえていた声。呪いに蝕まれ、体力を消耗しているはずなのに。彼は、ここまで追いかけて来てくれた。


「酒呑童子、貴様……何をしようとしている。彼女から離れろ!」

「ぐぅ……っ!」


 突如、暴風が吹き荒れたかと思うと、咲耶に馬乗りになっていた酒呑童子を呑み込み、壁へと叩き付けた。身動きが取れるようになった咲耶はすぐに立ち上がり、声がした方向を振り向く。

 珍しく汗を流し、肩で息をしている紫貴。体力もない中、無理をして来てくれたことがわかる。


「紫貴様……!」

「遅くなってすまなかった」


 それでも、彼は咲耶に心配をかけさせまいと笑みを絶やさない。急いで駆け寄ろうとするも、その足はすぐに止まった。


「咲耶?」

「……今のわたしに触れてしまうと、紫貴様に酷い火傷を負わせてしまうかもしれません」

「そうなのか?」

「光の内側にいるわたしも、熱に当てられています。光に触れているものを焼き尽くすのかもしれません。……どうすればいいかもわからず、灰になることでしか止められないのでしょう」


 無茶なことをしてしまったとは思う。けれど、穢されることなく、尊厳を守ることができた。あとは、この身が燃え尽きて灰となるまでに、紫貴と共に酒呑童子を倒せればそれでいい。

 後悔はない。そう、後悔など──。

 唇を噛み締め、顔を俯きかけたとき。優しく抱きしめられた。


「し、紫貴様! 駄目です、離れてください!」


 衣服が焦げる音が聞こえ、皮膚が焼けるにおいがする。


「灰になどさせない。……大丈夫。これは、咲耶を護ろうと、熱心になりすぎているだけだ。その身を焦がしていることにも気付かずに」


 じわ、と紫貴の力が流れ込んできた。これは、首の痛みに襲われていたときと同じだ。

光の膜による熱とは明らかに違うあたたかいものが、身体に浸透していく。

 あたたかい。気持ちがいい。やがて、ゆっくりと、光が消え始めた。同時に、咲耶に当てられていた熱も感じなくなり、身体が楽になり始める。衣服を焦がす音も、皮膚が焼けるにおいも、もうしない。

 紫貴と身体が離れる。焦げてしまった衣服。顔は無事なようだが、咲耶に触れていた手は火傷を負っていることだろう。


「わたしの、せいで……」

「これくらいなんてことない。それに、あの力には感謝している。おかげでここがわかった」


 さて、と紫貴は咲耶へ剣を手渡すと、鋭い視線で前方を見据える。咲耶もそちらを振り向くと、ガラガラと音を立てながら岩を掻き分け、傷だらけの酒呑童子が出てきた。


「どこまでもどこまでも儂を虚仮にしやがって……許さんぞ紫貴ぃ! お前はそこで這いつくばっていろ!」

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