死んでも嫌
「……様、帝様! 目をお開けください!」
清孝の声に、紫貴は薄らと目を開く。心配そうにこちらを見ている尊、清孝、正宗、勇が見えた。どうやら、気を失っていたようだ。
いつからここで倒れていたのか。記憶が混濁していてわからない。額に触れてみるが、角がないことから呪いは落ち着いているようだ。勇に支えてもらいながら身体を起こしていると、正宗が声をかけてきた。
「帝様、何があった? 嬢ちゃんはどこだ?」
──咲耶。
刹那、乱れていた記憶が鮮明になる。
そうだ、咲耶は。紫貴は急いで立ち上がろうとするも、酷い目眩に襲われ、地面に片膝をつく。
呪いに蝕まれ、動けなくなった自分の代わりに、酒呑童子と戦ってくれていた。そして、どこかへ連れ去られてしまった。。
何故だ。何故、咲耶を連れ去った。解呪を仄めかしてまで、何故。
とにかく、今は一刻も早く連れ戻しに行かなければ。咲耶は、天照大神と同調している。太陽を嫌い、暗闇を好むあの鬼に、何をされるかわからない。
長めに息を吐き出し、両手で自身の顔を強く叩いて気合いを入れる。
「……咲耶は、酒呑童子に連れ去られた」
「えっ!? じゃ、じゃあ、早くさくちゃんを連れ戻しに行かないと!」
「俺が行く。皆は、帝都を護ってほしい」
紫貴は前方を見る。これまでその姿すら現さなかった魑魅魍魎が、闇からわらわらと出てきた。後方からも多数の気配を感じる。おそらく、紫貴の足止めをするために酒呑童子に遣わされたのだろう。
思わず、笑ってしまいそうになった。
この程度で、足止めをしているつもりなのかと。
静かに立ち上がり、剣に力を込める。どこからか風が吹き込み始め、刀身へ纏わせていく。柄を両手で強く握り締め、ゆるりと振りかぶると、右足を後ろへ下げた。
腸が煮え返る。酒呑童子に弄ばれている自分に。
何よりも、咲耶一人で酒呑童子に立ち向かわせてしまった自分に。
連れ去られてしまったのは、自分のせいだ。
「……っ、そこをどけ!」
勢いよく振り下し、刀身から暴風を放つ。それは、紫貴の前にいた数多の魑魅魍魎を巻き込み、切り刻んでいった。
叫び声を上げながら消えていく魑魅魍魎。これで道を塞ぐ輩はいないと、剣を鞘へと戻す。
「皆、頼んだ」
「もちろんお任せくださいな。咲耶ちゃんをよろしくお願いしますよ、帝様」
勇の言葉に、三人が頷く。紫貴も小さく頷き、落ちていた咲耶の剣を拾うと酒呑童子の後を追った。
* * *
──水たまりに、水滴が落ちるような音が聞こえる。
酒呑童子に一撃をもらい、連れ去られたところで意識が途切れてしまった。この音もそうだが、鼻につく腐敗臭も気になる。一体、どこへ連れてこられたのだろうか。咲耶はゆっくりと目を開ける。
「え……
手は後ろで縛られているものの、足までは縛られていないため、殴られた腹部の痛みに耐えながら身体を何とか起こす。
岩でできた広い空間。水滴は頭上にある岩を伝って落ちてきているようで、今もぽたり、ぽたり、と音を鳴らしている。松明は置かれているが、ほとんど意味を成していないため、周囲の様子がわからない。外もまったく見えず、ここであれば、日中は太陽から身を隠せそうだ。
「……もしかして、酒呑童子の拠点?」
「そうじゃあ。今はここを拠点としておる」
背後から聞こえてきた声におそるおそる振り向けば、酒呑童子が立っていた。これまで気配は感じなかったことから、どこかへ行っていたようだ。
気分がいいのだろうか、よくわからない鼻唄を歌いながら歩いてくる。気味が悪い、そう思いながら目で追っていると、咲耶の前でしゃがみ込んだ。
緊張が走る。手は縛られ、剣も落としてきた。何をされても、抗う手段がない。どうする、と必死に思考を巡らせていると、酒呑童子の右手が伸びてきた。
殴られる。顔を背け、目を強く瞑ったとき。ふわりと花の香りが鼻孔をくすぐった。
目を開け、視線を向ければ、花が差し出されていた。こう言っては何だが、全く以て似つかわしくない。
「くははっ、咲耶にやろうと思うてなあ。取ってきたんじゃあ」
意味がわからない。ぽかんとしていると、左手で顎を掴まれる。やはり遠慮のない力の強さ。表情を歪めていると、酒呑童子の顔が近付いてきた。
「喜べ。咲耶、お前のために取ってきた花じゃあ」
「……っ、いらないです」
「ああ? 儂がわざわざ取ってきてやったと言うのに……なんじゃあ、その口の利き方は!」
突き飛ばされ、咲耶はごつごつとした硬い岩の上を転がった。受け身を取ることができず、転がるたびに角張った岩で全身が削られていくようだ。いつまで続くのかと歯を食い縛って耐えていると、壁にぶつかることでようやく止まった。
全身が激しく痛む。背を勢いよくぶつけたため、呼吸もうまくできない。浅い呼吸を繰り返しながら、咲耶は酒呑童子を見た。
あの行動は、何なのか。いきなり花を寄越されたかと思えば、喜ばなければ激怒され、こうして突き飛ばされてしまった。
何がしたいのだろうか。何を求めているのだろうか。何にせよ、応じる気はない。今の咲耶には何もできないが、この姿勢だけは貫いてみせる。
呪いに抗い続けている、紫貴のように。
(……紫貴様は、ご無事かしら)
意識を失う前のことを思い出しながら、目を伏せる。
咲耶の名を叫んでいた。全身を襲う痛みと、衝動に耐えながら。
あのあと、どうなったのだろうか。あれほどの騒ぎだ。尊達が駆けつけてくれているといいが。
(……会いたい)
そこで咲耶は目を開けた。この姿勢を貫くと決めたところなのに、痛みでもう心が揺らいでしまっていた。縛られている手で拳を作り、手のひらに爪を立てる。
弱気になっては駄目だ。心の隙を見せれば、必ずそこを突いてくる。深呼吸を繰り返し、酒呑童子を見据えた。相手も咲耶へ視線を向けており、視線が交じる。すると、こちらへ向かって歩き始めた。
次は何をする気だと身体を強張らせていると、優しく抱き起こされる。だが、油断してはならない。
このまま咲耶の身体を握り潰そうと思えば、できてしまうのだから。
「すまんなあ、儂はちいっとばかし短気でなあ。すぐに手が出てしまう。ほれ、見えるか?」
そう言って、酒呑童子は暗闇の向こうを指差す。この暗さにも慣れてはきている。おそらく見えるだろうが、嫌な予感しかしない。けれど、ここで言うことを聞かなければ、どうなるか。仕方なく視線だけを動かし、視界に入れ──息を呑んだ。
腐敗臭がしているとは思っていた。されど、このようなこと。
言葉を失っていると、酒呑童子は咲耶の頭に頬を寄せ、溜息を吐いた。
「何も思い通りにいかんし、苛立って数多の
この腐敗臭は、酒呑童子が魑魅魍魎を潰し、そのまま放置したために充満しているものだった。
わざわざ見せたのは、咲耶への脅し。こうなりたくなければ、言うことを聞けと言っているのだ。
「咲耶、儂はなあ……お前と子をなそうと思っておる。鬼と
甘い声で囁きながら、空いている手で咲耶の下腹部を撫でた。その手つきが気持ち悪く、眉を顰めて耐える。
「何で、子を……」
「親はどんな子でも見捨てられない。そうじゃろう? 畜生腹から生まれた咲耶よ」
「……っ、それ、は」
酒呑童子は、咲耶が忌み子だと知っている。間引かれるはずの忌み子が生きている理由など、少し考えればわかること。紫貴も言っていた、酒呑童子は頭も回る奴だと。
咲耶は親に間引かれなかった子。だから生きていると気付き、このような馬鹿げたことを言ってきているのだ。
どこまでも、本当にどこまでも嫌な奴だ。
「儂から離れようとすれば、子を潰す。嫌じゃろう? なあ、嫌じゃなあ? お前はいつまでも儂の傍にいるしかない。まあ、その前にお前が壊れてしまうかもしれんがなあ」
下腹部を撫でていた手が下りていき、大腿部へ触れる。
気持ち悪い。その手を払い除けたい。でも、そんなことをすれば命を奪われるかもしれない。
このまま、この鬼がすることを黙って受け入れるしか、生きる道は。
(……死んでも、嫌)
こんな力の使い方をしていいのかはわからない。
それでも、咲耶は全身に力を込めた。光の膜が、身体を包む。
「──っ、くそがぁぁぁあああ!」
再び突き飛ばされ、咲耶は壁に身体を強く打ち付ける。が、不思議とそれほど痛みを感じない。立ち上がり、服についた砂埃を落とすと酒呑童子を見た。
「咲耶あぁぁぁああ! もう許さん! 儂を、儂をこんな目に遭わせやがって!」
今し方まで咲耶に触れていた部分が、酷く焼け爛れていた。それが逆鱗に触れたのだろう。酒呑童子はあの一瞬で咲耶と距離を取り、怒りの形相で殺気を飛ばしてくる。
夜明けまではまだ時間がある。ここも暗闇で、力を全開までは引き出せない。戦う武器もない。それでも。
「貴方と子をなすなど、死んでも嫌です」
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