捕まえた
日が沈み、月が昇り始めた。ここ最近は綺麗な姿を見せてくれていたが、雲が多く、ほとんど見えない。
暗闇が深ければ深いほど、魑魅魍魎は動きやすくなる。月が見えない今日などは、まさにうってつけなのだが──。
「……不気味なほど、静かですね」
咲耶はそう呟いた。
人々にとって、魑魅魍魎が出てこないのであれば、それに越したことはない。が、あれだけ活発化し、脅かしていたはずの者達が。暗闇を好む者達が。こうも姿を見せないとなれば、違和感を覚える。
それは紫貴も同様だったようで、小さく頷いた。
「嫌な予感がする。何もなければいいが……」
周囲を警戒しながら、二人は歩を進めた。民家からは既に灯りが消えており、神森家が力を込めて作った護符が玄関に貼られている。
これは、最近導入したものだ。魑魅魍魎の活動が活発化したため、紫貴が編み出した。こうして護符を貼ることで簡易結界が張られ、魑魅魍魎は民家を襲おうにも弾かれるという仕組みになっている。
できれば自分達の手で人々を護りたいが、と紫貴は悔しさを滲ませていたが、この案は良いものだと思う。
守護隊も八十神家の部隊も、先の戦いで随分と数が減ってしまった。人々を護りたいが、活発化している上に、数で押されてしまえば手が回らない。それほどまでに、こちらは不利な状況に置かれている。だからこそ、この護符は必要だ。これがあれば、人々を護ることができるのだから。
でも、その不安までは拭うことができない。
護符で護られていても、人々にとって夜とは不安そのもの。長きにわたって、そう植え付けられてしまった。
だから、夕食後すぐに就寝する。家族で身を寄せ合って、早く夜が過ぎますように。早く朝が来ますようにと、祈りながら。
「……もしも、酒呑童子を倒すことができれば。わたし達は安心して、夜空の下を歩けるようになるのでしょうか」
「当然だ。元より、あいつらが勝手に夜を占領しているようなものだからな」
「占領して何が悪いんじゃあ? 夜だけが儂らの心安らぐ時間じゃというのに」
いやというほど聞いた耳障りな声。身の毛のよだつ気配。
──あの鬼だ。
全神経を集中させ、腰に下げていた剣の柄に触れると、いつでも動けるように構えた。
「その夜すらも奪うつもりか? 本当に、お前達は弱い者いじめが好きじゃなあ」
性格が悪い奴らめ、とくつくつと笑いながら、酒呑童子が姿を現す。咲耶と目が合うと、残忍な笑みを浮かべた。
「そこの太陽の真似事をする女子……咲耶と言ったか。両親の最期は、気に入ってくれたか?」
「……っ」
「あれは儂が考えたんじゃあ。茨木童子がどうしてもと言うから譲ったがなあ。勿体ないことをしたなあ。絶望と怒りに染まっていく瞬間を、この目で見たかったものじゃあ」
斬りかかろうと足に力を込めるも、紫貴の腕に阻まれる。
「落ち着け。あんな安い挑発に乗る必要はない」
「は、はい」
それが酒呑童子は気に入らなかったようだ。笑みが消えたかと思うと、眉を顰め、赤く光る瞳に鋭さが増す。
「今日は咲耶に用があって来たんじゃあ。紫貴ぃ、お前は引っ込んでいろ。邪魔をするな」
身体が震えてしまうほどの、殺気に満ちた低い声。しかし、ここで怯えを見せるわけにはいかない。毅然とした態度を取り続けなければと奥歯を噛み締めたとき、紫貴が膝から崩れ落ちた。
額からは赤黒い二本の角が生え、爪と牙が伸びて鋭く尖っている。咲耶は慌てて紫貴を抱きしめた。
「紫貴様!」
衝動と抗っているのだろう。歯を食い縛りながら、唸り声を出している。
「こいつに呪いをかけたのも腹いせじゃあ。儂は傷一つ付けられない身体を自慢にしておったのに、こいつは傷をつけてくる」
一歩、また一歩と酒呑童子が近付き、咲耶と紫貴を見下ろした。その赤い瞳は今も鋭く、紫貴を苦しめる。
「ぐ、う……っ!」
「ほれえ、疾く鬼となれ。な? 衝動に身を任せたときのことを思い出せ。気持ちよかったじゃろうて」
「やめて!」
咲耶は剣を抜き、力を乗せて酒呑童子へ斬りかかった。大振りの攻撃となったため躱されたものの、眩い光が刀身から放たれ、その巨躯を掠める。
酒呑童子の右腕から流れる血。傷一つ付けられないと言っていた身体に、紫貴以外からの攻撃で傷を付けられたからか。腕から血が流れる様子を、唖然とした顔で眺めている。
紫貴を後ろに、体勢を整える。この騒ぎに気付いて、皆が来てくれるはずだ。それまでは、咲耶が一人で酒呑童子の相手をする。
「掠っただけでこの痛み。傷口がじくじくと熱い。まるで太陽に焼かれているようじゃあ。ああ、痛いなあ。痛い痛い痛い! 小娘がぁ! 儂に痛みを与えおって!」
酒呑童子が腕を振り下ろしてくる。力では劣るため、剣では受け止めきれないと、紫貴を抱えて後ろへ跳んだ。
その僅か一秒後、咲耶がいた場所へ拳が叩き付けられた。鼓膜が破れそうなほどの凄まじい音、立ち込める土煙。よく見えないが、地面が抉られているようだ。もしも、あれが当たっていれば。そう考えただけで、ぞっとする。
「に、逃げ、ろ」
「紫貴様!?」
よろよろと立ち上がり、紫貴は剣を抜いた。
「そのお身体では無茶です! ここはわたしが戦います!」
「俺は、大丈夫、だ。早く、逃げろ」
紫貴に呪いについて聞いたことがある。呪いは、全身に死にたくなるような激痛を走らせながら鬼へと見目を変化させていき、胸の内に衝動を芽生えさせるものだそうだ。
今の紫貴は、衝動を抑えながらその激痛に耐えている状態。一人置いて逃げるなど、できるわけがない。
「くははっ、咲耶の言うとおりじゃあ。無茶はするなて」
「黙れ」
「紫貴よ。せっかく儂が心配してやったと言うのに。生意気な口を利いてると……こうじゃぞ?」
赤い瞳が細められ、紫貴は再び地面へ倒れた。酒呑童子が呪いへ干渉し、蝕む速度を上げたのだ。
「中々強情じゃなあ。もうあの気持ちよさを知ったじゃろうが。衝動に抗うな、受け入れろ。鬼となれ、紫貴」
「うる、さ、い」
「まあよいわ。そこでだらしなく蹲っていろ。……さて、咲耶」
作ったような優しい笑みを顔に貼り付け、酒呑童子が手を差し伸べてきた。
「儂と共に来い。さすれば……そうさなあ。紫貴の呪いを解いてやらんこともない」
紫貴の解呪を仄めかしてきたが、甘い言葉で咲耶を釣ろうとしているだけに過ぎない。手を取ったところでこの鬼は約束を反故にする。
何故なら、紫貴が鬼になることを、こんなにも望んでいるのだから。
咲耶は剣を構え、戦う意思を見せる。お前の手など、取らないと。
「そうかそうか。では、力尽くで連れて行くしかあるまいて」
目にも止まらぬ速さで酒呑童子が距離を詰めてくる。繰り出される拳を何とか身体を捻って躱し、そのまま左足で蹴りを繰り出した。
だが、容易く受け止められ、そのまま強く掴まれてしまう。遠慮のない力の強さに顔を歪ませながらも、持ち上げられる前に力を乗せた剣を振り下ろし、光の斬撃を放った。先程この斬撃を食らい痛い思いをした酒呑童子は、盛大に舌打ちをしながら掴んでいた咲耶の足を離して避ける。
すぐに体勢を整え、次は咲耶が酒呑童子へ距離を詰めた。右下から左上へと斬り上げるが、手が掴まれ、がら空きになった腹部へ拳が打ち込まれる。
「──っ」
防御をすることもできなかったため、咲耶は大きく後ろへ吹っ飛び、地面を転がった。あまりの痛みに蹲っていると、髪の毛が掴まれ、引っ張り上げられる。
「う……っ」
「捕まえた。儂と共に行こうか。なあ、咲耶」
「や、やめろ。咲耶を、離せ」
「離せと言われて離す奴がどこにおるんじゃあ? さて、用は済んだ。じゃあなあ、紫貴」
そのまま咲耶を自身の肩に担ぎ、その場を後にしようと歩き出す。
「は、な……し、て」
「離すものか。決してなあ。儂という牢獄に、一生繋いでおいてやる」
逃れようにも、力が入らない。紫貴が咲耶の名を叫んでいるが、答えることができないまま意識を失った。
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