第四章

咲耶と太陽

 紫貴と共に、魑魅魍魎と戦うようになった。恭一郎に教わった剣術と体術。そこに力を乗せて戦う方法にも慣れてきたところだ。

 思えば、恭一郎は「自分がいなくなっても身を護れるように」と考え、幼い頃から教えてくれていたのだろう。想定していた場面とは異なるかもしれないが、おかげでこうして戦うことができている。紫貴や、皆の力になれている。

 しかし、新たな問題に直面していた。


「で、制御できるようになったのかよ」


 正宗がぶっきらぼうに話しかけてくる。こういう話し方をする人物なのだということは十分にわかってはいるのだが。どうしても、怒られているような、責められているような、そんな気分になってしまう。


「……その、努力はしているのですが」

「わ、わわ、待って待って!」


 剣の手入れをしていた尊が突如大きな声を出した。何事かと振り向けば、慌てた表情で窓を指差している。視線を向ければ、差し込む陽光がか細いものになっていた。


「雲が出てきちゃったよ! 太陽が隠れちゃう! さくちゃん、何か明るいこと考えて!」

「尊、落ち着きなさい。それにですね、いきなりそんなことを言われても、出てこないのが人間です」

「うるさいなあ、清孝さんは! じゃあ何か面白いことの一つや二つ今すぐ言って、さくちゃんを笑わせてよ!」


 無茶を言わないでください、と清孝と尊が口喧嘩を始めてしまった。正宗はそんな二人を止めることはせず、椅子の背もたれに背中を預けて大あくびを一つ。仕方なく咲耶が割って入るも、その存在が目に入っていないのか、構うことなく続けている。

 もういいか、と仲裁は諦め、尊が言っていたように「明るい話」を探し始めた。何かそれらしい話はないだろうか。心が明るくなるような、そんな話は。

 うんうんと唸りながら考えていると、街を視察しに言っていた紫貴と勇が戻ってきた。途端に尊と清孝は喧嘩をやめ、声を揃えて「おかえりなさい」と口にした。


「声が廊下まで漏れていたが、何を言い争っていた」

「清孝さんが悪いんですよ」

「いいえ、尊が悪いです」


 額を擦り合わせ、睨み合う二人。これまで特に何もせずに呆けていた正宗が「これだよ」と窓を指差す。陽光はもうほとんど差し込んでいない。


「俺はただ制御できるようになったか訊いただけなんだがよ、嬢ちゃんが気にしちまって」

「す、すみません」

「まあ、正宗さんは言い方が雑だもんね。怖いよね」

「ぶん殴るぞてめえ」


 チッ、と舌打ちをすると、椅子から立ち上がり、尊の胸倉を掴んでグラグラと前後に大きく揺らす。

 尊の相手が正宗へと替わったことで解放された清孝は、眼鏡をくいっと上げると腕を組んだ。


「咲耶様に明るいことを考えるようにと尊が申していたのですが……突然そう言われても考えられませんよね。というところで喧嘩になった、というのが事の顛末です」

「それを得意顔で報告されてもねえ……で、咲耶ちゃんは言われたとおりに、明るいことを考えようとしてたのかな?」


 困ったような笑みを浮かべる勇に話しかけられ、咲耶は小さく頷いた。


「は、はい。何かないかなと……ですが、なかなか」

「そうか。ならば、簡単だ」


 紫貴が足早に近付いてくる。何をするつもりなのだろうと思っていると、両手で顔が包まれ、軽く上げられると唇が重ねられた。

 熱が顔へと集中し、人前で何をしているのかと頭が混乱する。優しく啄まれてから離されるも、紫貴は顔を真っ赤にする咲耶を見て嬉しそうに笑うばかり。


「しっ、紫貴様、一体何を」

「きゃっ、きゃああぁぁあぁぁあ!」


 誰の悲鳴かと振り向けば、頬を赤く染めた尊だった。そんな尊の胸倉を掴んで揺さぶっていた正宗は、そのままの状態で固まっていて何だか面白いことになっている。


「まったく、破廉恥ですよ」


 そうは言うものの、清孝の視線はしっかりとこちらに向けられており、勇はと言えば「青いねえ」と笑っている。

 身体の熱がどんどん上がっていくのがわかる。恥ずかしい。恥ずかしすぎる。

 それなのに、紫貴からこうして口付けされることが嬉しいと思ってしまうなど。いや、さすがに人前では駄目だと頭を振っていると、頭上からくすくすと紫貴の笑う声が聞こえてきた。

 咲耶の反応を見て楽しんでいるのか。それとも、めいめいの反応を見て楽しんでいるのか。顔を上げれば、紫貴はニヤリと口角を上げながら窓を指差した。


「あ……太陽が」

「俺が傍にいれば、咲耶が暗く沈むことはないな」


 明るい日差しが差し込み、見ていて眩しいほどだ。よかった、と胸を撫で下ろし、紫貴へ視線を戻す。彼は普段の大人びた表情とは違い、年相応の少年らしい笑顔を見せつつ、どこか鼻高々だ。

 先程胸を撫で下ろしたところだが、よくよく考えると本当にこれでよかったのか。いや、太陽とはこうあるべきで間違ってはいないが、今後のことも考え、もっと他のやり方を模索すべきだ。

 でなければ、紫貴はその都度口付けをしてくる。きっとそうだ。


「いやあ、それにしても暑いねえ。うん、熱いじゃなくて、暑い」

「……私も勇に同感です。暑すぎます」


 確かに暑い。雲に覆われそうになったかと思えば、今度は真夏のような太陽になってしまったようだ。


「ここまで天照大神と同調しているとはな」


 紫貴の言葉に、咲耶は胸元で両手を握り締めた。

 そう、新たな問題とはこれだ。咲耶の感情一つで、太陽が左右されるようになってしまったのだ。

 悲しい、辛い、といった暗い感情を抱けば、太陽は厚い雲に覆われ、その姿を隠そうとしてしまう。

 嬉しい、楽しい、といった明るい感情を抱けば、太陽は眩しいほどに輝くものの、今のように季節外れの暑さを招くことがある。

 外では騒ぎになっているだろう。まだ夏は来ていないはずなのにと。

 咲耶自身は、天照大神ではない。ただ、天照大神を依り憑かせ、その力を借りているだけだ。

 されど、最近は、紋様がある部分にいつもの痛みを感じなくなっていた。あの痛みが、巫として神を依り憑かせるための切り替えのようなものだったのだが。

 今は、切り替える必要もなく、ずっと依り憑かせているような状態だ。紫貴も「前例がない」と驚いていたほど。

 とにかく制御できなければ、太陽が安定しない。せっかく戻り始めた人々の笑顔も、再び見れなくなるだろう。けれど、うまくいかない。


「咲耶、また曇ってきた。……するか?」

「し、しません」


 やはり、早急に力を制御しなければ。できないのであれば、速やかに感情を安定させる方法を見つけなければ。

 ──紫貴との口付けは、熱が上がりすぎる。

 窓から差し込む陽光を見つめながら、人差し指でそっと唇に触れた。



 * * *



 何故、こんなにも思い通りにいかないのか。

 うまくいっていれば、今頃は暗闇に包まれていた。太陽など気にせず外を歩き、喰いたいときに喰う。血を浴びたいときに浴びる。悲鳴を聞いて楽しむ。他にも好き放題にできていたというのに。

 また、我慢を強いられている。

 太陽のせいで。あの女のせいで。


「が、あ、ああ、はな、離して、酒呑、童子、様」

「黙れ」


 酒呑童子が右手に力を込めると、ぐちゃりと音を立てて肉片が飛び散った。

 こうして憂さ晴らしするしかできないことにも腹が立つ。今日もどれだけの同胞はらからを屠ったか。

 同胞と言っても、酒呑童子からすればただの道具。気に入らなければ壊す。必要なくなれば捨てる。そんなものだ。


「ああ、気に入らん。気に入らん気に入らん気に入らん!」


 天岩戸に隠れて出てこなければよかったのだ。それを神々が余計なことをし、出てきてしまった。

 だから、再現してやったというのに。これで二度と出てこないだろうと思ったのに。

 またしても、太陽は出てきてしまった。

 実の親、養父母が無惨な死を遂げたというのに。あの女はどうして立ち上がれた。どうして出られた。


『鬼にはわからぬか』


 紫貴の言葉が過り、酒呑童子は奥歯を噛み締めるも、ふとあることが思い浮かぶ。なんて良い考えだろうか。大きな口を開けて笑い声を上げた。


く夜となれ! ああ、楽しみじゃ楽しみじゃ!」


 これでいい。これがいい。

 今まで思い付かなかったのが不思議なほどだ。

 暗闇がほしいのであれば、太陽を手中に収めればいいのだ。そうすれば、自ずと暗闇が手に入る。


「待っていろ、女。儂のものに、してやるからなあ」


 そして、二度と。外へなど出してやるものか。

 今日の夜が楽しみだと、酒呑童子は酒瓶を手に持ち、酒をあおった。

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