太陽の君

 外の会話は、すべて聞こえていた。

 紫貴と尊の会話。紫貴と酒呑童子の会話。そして──紫貴から咲耶への言葉。

 暗い闇の底へと引き込まれていた咲耶の胸の内が、あたたかくなった気がした。けれど、返事はしなかった。

 目の前には、恭一郎と香世子の遺体が横たわっている。二人は無惨な最期を遂げ、この世を去ることになってしまった。その怒りを忘れてはならない。あたたかさなど、必要ないのだ。そうして再び、暗い闇の底へと沈んでいく。

 今もまだ、紫貴は石窟の前にいるのだろう。だが、こうして返事をしなければ。閉じこもっていれば。何れ、諦めるはず。

 ──元より、釣り合うわけがないのだ。

 紫貴は帝。この国で誰よりも偉く、誰からも敬われる存在。

 咲耶はと言えば、間引かれなければならなかった忌み子。今は八十神家、神森家以外の者には知られていないが、もしも広まってしまったらどうなることか。それだけ、忌み子というのは受け入れがたい存在。

 傍にいると言ったものの、本来であればいてはならない。この世にすらも、いてはならないのだ。

 ならば、ここでこうしていよう。恭一郎と香世子と共に、ここで眠ろう。咲耶は再び、目を瞑った。


かんなぎとして生きると決めたのなら、しっかりとそのお役目を果たしなさい。そう言ったわよね?」


 聞き覚えのある声に、ハッと目を開く。

 どれだけ眠っていたのだろうか。暗闇が広がる石窟の中では、時間の感覚がわからない。それにしても、この声は。

 ──ありえない。咲耶は頭を振る。何故なら、もう二度と聞くことができないはずなのだ。夢、そう、これは夢だ。

 膝を抱え、そこに顔を埋めてもう一度目を瞑ろうとするが、またしても声が聞こえてくる。


「ここで閉じこもって過ごそうなど、母は許しませんよ。立ち上がりなさい、咲耶」

「太陽は姿を隠し、暗闇が広がっている。今こそ、巫としてその役目を果たすときだ」


 おずおずと顔を上げると、そこには優しい光を纏った恭一郎を香世子の姿があった。

 しかし、二人は口を揃えてここから出るようにと諭してくる。今こそ、巫として役目を果たすべきだと。

 わかっている。そんなことはわかっているのだ。巫として生きることを決めた。陽葉の力を無駄にしないと誓った。それでも、と咲耶はゆるゆると頭を振り、涙を滲ませる。


「わたしは……わたしは、お父様とお母様と一緒にいたいです。ここにいれば、一緒にいられる。一人に、ならなくて済む」

「貴女は一人じゃないでしょう。帝様が、お傍にいてくださるわ」

「……っ、お父様とお母様がいないじゃないですか!」


 言い終えると同時に、二人に強く抱きしめられた。そのぬくもりは、まさしく本物。恭一郎と香世子のものだ。


「私達も、咲耶と一緒にいたいわ。でもね」

「それでは、お前の未来が失われてしまう。私達は、お前に未来を歩んでほしい。楓様も、そう望まれて私に託されたのだから」


 ──恭一郎と香世子の言葉が、咲耶の胸の奥に響いた。

 忌み子である自分が、どうして生きているのか。わかっていたはずなのに、怒りで頭の片隅に追いやられていた。

 咲耶が生きているのは、三人の愛があったから。

 このままではいけない。停滞していてはならない。ここを出て、未来を生きなければ。巫として、陽葉の力を無駄にしないためにも。これ以上、人々の未来を奪わせないためにも。

 されど、本当にそれでいいのだろうか。ここから出れば、もう恭一郎と香世子とは共にいられなくなる。こうして抱きしめてもらうことも、話すことも、何もかもできなくなってしまう。何より、二人を失った怒りを、鎮めるわけにもいかない。

 長い、長い沈黙が流れる。すると、恭一郎と香世子から手が差し伸べられた。


「さあ、立ち上がって。貴女を待ってくれている人がいるわ」

「で、でも、お父様と、お母様が……」

「いつも、お前の心の中にいる。姿が見えなくとも、私達の愛は変わらない」

「それに、本当は帝様のお言葉が嬉しかったのでしょう? 貴女も、共に歩みたいと思ったのでしょう?」


 そうだ。香世子の言うとおりだ。嬉しかった。

 傍にいさせてほしい、共に未来を歩んでいきたいと言ってくれたことが、とても嬉しかったのだ。

 それなのに、二人を失った怒りを忘れないために、返事をしなかった。どうせ忌み子なのだから無理に決まっていると言い訳をし、暗い闇の底へ沈むことを選んだ。


「怒ってくれて、ありがとう。今度は、その怒りをあの鬼にぶつけてやりなさい」

「そうだな、こうして閉じこもっているよりもその方がいい。ぶつけてやれ、盛大に」

「……はいっ」


 咲耶は、差し伸べてくれている恭一郎と香世子の手へ自身の手を重ねた。


「ずっと、ずっと……見守っているからね」

「……帝様と幸せにな」



 * * *



 ──目を開けると、恭一郎と香世子は静かに横たわっていた。

 あれは、夢だったのか。それにしても、本物のようだった。今も抱きしめられたときのぬくもりや、手を重ねたときの感触が残っている。


「……お父様、お母様。ごめんなさい。こんな暗闇に閉じ込めてしまって」


 咲耶は恭一郎と香世子の冷たくなった手を取り、そっと重ねた。今も涙は溢れるが、二人は咲耶の心の中にいる。見守ってくれている。

 涙を拭うと、後ろを向き、石窟に触れた。あまりの冷たさに驚いたが、手を離すことはせず、目を瞑る。

 どれだけの時間が経ったかわからない。数時間か、数日か、それとも。もう、ここにはいない可能性もある。

 だというのに、何となくだが、この向こうに紫貴がいるような気がするのだ。目を開け、小さく口を開く。


「……帝様」


 静かな暗闇に、咲耶の鼓動だけが聞こえる。

 咲耶、と呼びかけてくれていたのに、それすらも無視してしまっていた。身勝手だとはわかっているが、彼は返事をしてくれるだろうか。


「咲耶か」


 紫貴の声に、咲耶は石窟へ身体を寄せた。


「帝様! ……っ、ごめんなさい、お声をかけてくださっていたのに、わたしは」

「聞こえてはいたのだな。それならよかった」


 ──何故、こんなにも紫貴は優しいのだろうか。その優しさを無下にしてしまった自分が、何とも情けなく、恥ずかしい。

 小さく溜息を吐いたあと、ちらりと恭一郎と香世子を振り返る。後悔することばかりだが、それよりも今は。


「……お父様と、お母様と話を、しました」

「そうか。何か仰っていたか?」

「私の心の中にいる、ずっと見守っていると……あと、わたしを待ってくれている人がいると」


 視線を戻すと同時に、石窟の向こうからくすりと笑う声が聞こえてきた。


「そうだ。ずっと待っていた。……早く、咲耶に会いたい」

「……わたしも、帝様にお会いしたいです」


 ピシ、と亀裂が入った。慌てて手を離すと、亀裂は瞬く間に拡がっていき、咲耶の前の岩が静かに崩れていく。

 紫貴に会いたいと、口に出したからだろうか。不思議な石窟だと思っていると、手が差し伸べられた。

 心臓が跳ねる。そのまま辿っていけば、紫色の瞳と視線が交じった。

 随分と、久しく感じる。彼を見ていると、胸が苦しい。自然と涙が溢れ、頬を伝っていく。


「……っ、帝様」


 差し伸べられた手に、右手を重ねる。紫貴に優しく引き寄せられ、咲耶は石窟から外へと出た。

 その瞬間、隠れていた太陽が姿を見せ、空に広がっていた暗闇を掻き消していく。


「咲耶、会いたかった」


 雲一つない晴天。

 燦々と降り注ぐ陽光の下で、二人は抱きしめ合った。



 * * *



「……お父様、お母様。安らかにお眠りください」


 紫貴の厚意で、楓と春水が眠る墓の横に、恭一郎と香世子の墓を建てることになった。墓が建つまでは、咲耶の閨に二人の遺骨を置いている。毎朝、こうして二人に手を合わせてから、咲耶の一日が始まる。

 廊下に出ると、紫貴が外を眺めていた。


「帝様、おはようございます」

「おはよう」


 戸を閉め、紫貴の隣に立つ。

 咲耶が石窟へ隠れていたのは、数日間。その間は暗闇に包まれ、魑魅魍魎がここぞとばかりに暴れていたそうだ。

 それでも被害が最小限に抑えられたのは、尊、清孝、正宗、勇と、動ける者達の奮闘のおかげだ。

 落ち着いてから尊達の元へ謝罪に伺ったが、咲耶の事情を慮って気を遣ってくれたのだろう。全員が口を揃えて「気にするな」と言ってくれた。ありがたい反面、申し訳なかった。

 紫貴は結界の中で体力の回復に努め、襲ってきた魑魅魍魎を倒しながら咲耶を待ってくれていたらしい。咲耶ならば絶対に出てくると信じていたと、そう言っていた。呼びかけにも答えず、酷いことをしたというのに。

 太陽はといえば、あれからは厚い雲に覆われることなく、その姿が見られる日が増えた。人々に笑顔が戻りつつあるが、まだ気は抜けない。

 咲耶が石窟から出たあの日から、酒呑童子は姿を見せないものの、魑魅魍魎の動きが活発化したからだ。

 紫貴曰く、は苛立っているのだろう、とのことだが。


「……咲耶」

「はい」


 振り向くと、紫貴はむっと拗ねたような表情でこちらを見ていた。


「いつ返事を聞かせてくれるのだ」

「返事……?」


 首を傾げると、更にむすっとしたような表情に変わり、距離が詰められる。その近さに一歩後ろへ下がるも、その分紫貴が迫る。

 気が付けば、壁があるところまで下がっていたようで、身動きが取れなくなってしまった。


「石窟でのことだ。俺の声は聞こえていたのだろう?」

「あ……」


 思い出した。

 瞬時に顔に熱が集中する。恥ずかしいと俯くも、紫貴の手によって顔が強引に上げられてしまう。


「俺は、咲耶の傍にいたい。共に、未来を歩んでいきたい」


 紫色の瞳は熱を帯びていて、胸が締め付けられる。


「わ……わたしで、いいのですか。わたしは、忌み子で」

「俺はそのように咲耶を見たことがない」

「……っ、ですが」

「言い訳よりも、咲耶の気持ちが聞きたい。聞かせてほしい」


 ──もう、紫貴には隠し通せない。

 咲耶は唇を震わせながら、気持ちを言葉にした。


「わたしも、帝様の……紫貴様の、お傍にいたいです。お傍にいても、いいですか?」

「もちろんだ。咲耶……俺の、太陽」


 紫貴の顔が近付く。お互いの鼻先が触れ、咲耶が目を瞑ると、二人の唇が重なった。

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