傍にいさせてほしい
「咲耶!」
三人を覆い隠すように出来上がった石窟。声は届くだろうと呼びかけるも、中から返事はない。
これは、咲耶の怒りに呼応してできあがったものだと推測される。となれば、本人がここから出ようと思わない限り、閉ざされたままだろう。
天照大神の、岩戸隠れのように。
「帝様。もう、朝の六時です。太陽が昇っていても、おかしくない時間なのに……」
空を見上げながら、尊は不安げにそう口にした。
厚い灰色の雲に覆われながらも、太陽はいつも姿を見せてくれていた。だが、今は暗闇が広がるばかり。人々も、この異変に気付いて慌てている頃だろう。八十神家、神森家に殺到しているかもしれない。それは清孝が対応してくれると信じて、今は。
「これって、さくちゃんが隠れたからですか? でも」
「ああ。咲耶は天照大神様そのものではない」
しかし、咲耶が隠れたと同時に、太陽も隠れてしまった。それほどまでに、咲耶と天照大神は同調していたということなのか。
そのとき、ぞくりと悪寒が走った。
身の毛がよだつこの気配。尊や動ける者達は警戒を強めているが、紫貴は苛立ちが勝っていた。
この鬼は、どこかで高みの見物でもしていて、敢えてこの時を狙って来たのだ。今が、一番楽しいはずだと。
心底、腹が立つ。
「紫貴よ、伝説を目の当たりにした感想を聞かせてもらえるか?」
くつくつと笑いながら、暗闇から鬼が姿を現した。
「……酒呑童子」
「しっかし、茨木童子め。ここまでしておきながら首を取られるとは情けない。どうせ遊んでたんじゃろうなあ。こいつはそういう悪癖があるからなあ」
咲耶が斬った鬼──茨木童子の首を足で蹴飛ばしながら、酒呑童子は笑顔で近付いてくる。
酒呑童子もそうだが、魑魅魍魎は群れはするものの、仲間意識というものはない。死ねば悲しみに浸ることはなく、寧ろ蔑む対象となり、このように死屍に鞭打つような行為が平気でできる。胸糞悪い連中だ。
紫貴は剣を抜き、酒呑童子へ切っ先を向ける。
「くだらない話をするためにここへ来たのか。今ここで首を刎ねられる覚悟は、できているのだろうな」
「気力も残っていない奴が、どれだけ強がって吠えても無駄じゃあ。ああ、そうじゃ」
口角を上げ、歪んだ笑みを浮かべた。
「この一週間、どうだった? 暇じゃったからなあ、遊んでやったわけよ」
「何を、言って」
「察しの悪い奴じゃあ。……衝動に身を任せると、気持ちが良かったじゃろうて。なあ?」
息を呑んだ。
あの一週間。呪いが身体を蝕んでいく速度が、これまでと段違いだとは思っていた。咲耶の力で何とかなっていたが、抑えきれずに一度は喰らおうとしてしまったほど。
けれど、それは。藤村姓を魑魅魍魎に探させている間、酒呑童子が「暇だから」と紫貴にかけた呪いで弄んでいたから。
言葉を失っていると、酒呑童子は気分を良くしたのか、饒舌になっていく。
「毎晩のようにあの女子が呪いを抑え込もうとしていたなあ。仲は深まったか? ん?」
結果的に後押しすることになったか、と笑うが、何をいいように言っているのか。酒呑童子の暇つぶしのせいで、咲耶を喰らうところだったというのに。
剣を力任せに振り下ろすも、ひらりと躱される。酒呑童子の言うとおり、紫貴にはもう気力が残っていない。こうして立っているのもやっとな状態だ。
「やめとけやめとけ。それよりも、話の続きじゃあ。あの女子は家族といることを選んだのか。お前が傍にいると言ったのになあ。可哀想に可哀想に」
「そも、俺と彼女の家族では、共に過ごしてきた年月が違う。家族といることを望むのは、至極当然だ。……ああ、すまない。鬼にはわからぬか」
鼻で笑い飛ばすと、酒呑童子の額に青筋が浮かんだ。
「太陽は隠れたというのに、余裕じゃなあ。もう、この国は儂らの手中だというのに」
「暗闇にしただけで手中に収めたと思っているのか。めでたい頭をお持ちのようだ」
「実際そうじゃろうが。太陽という味方がいないお前達が、暗闇が味方をしている儂らに勝てると思うてか?」
「なるほど。貴様は、この暗闇が
紫貴の言葉に、今度は酒呑童子が鼻で笑った。肩をすぼめ、意地の悪い笑みを貼り付けたまま口を開く。
「なんじゃ、
酒呑童子が言っているのは、天照大神が隠れてしまった際に試したことだ。同じように試すのかと問うているのだろうが、それに律儀に答えてやる義理はない。紫貴は再び切っ先を酒呑童子へと向ける。
今すぐにでもその首を刎ねたいが、このままではこちらが命を奪われる。すべては、体調を万全にし、準備を整えてからだ。
とにかく、優先すべきは咲耶のこと。一旦、酒呑童子にはこの場を引いてもらわなければならない。
「太陽は再びその姿を見せる。いつまでも、この暗闇が続くと思うなよ」
「くははははっ! 言うておくが、儂らはこの機を逃さん。護りながら、その女子を外に連れ出せるかやってみるといい」
「貴様こそ、人間を甘く見るな」
「いいなあ、楽しくなってきた。儂らが帝都の人間すべてを喰い殺すが先か、お前が女子を外に連れ出すのが先か」
楽しみじゃなあ、と言い残し、酒呑童子は闇へと消えていった。
「すごい圧だった……帝様、よく酒呑童子と対峙できますよね。っていうか、戦闘にならずに済んでよかった……って、違う! これからどうするんですか!」
帝都の人間をすべて喰い殺す気ですよ、と尊が汗を拭いながら近付いてきた。紫貴は咲耶が隠れている石窟へ視線を移す。
「ここには俺が残る。尊は帝都を護れ」
「いやいやいや、帝様をお一人残していくなんてできないですよ! 何があったかは知りませんが、疲労困憊じゃないですか!」
戦えるかと言われれば、正直厳しい。何もできずに終わる可能性もある。されど、約束したのだ。
咲耶の傍にいる。決して、一人にはしないと。
「……っ、譲らないって顔ですね。じゃあ俺が何を言っても無駄か」
「すまない」
「いいえ、慣れてますよ。でも! 無茶だけはしちゃ駄目ですからね!」
「尊もな」
もちろんですよ、と尊は走って行った。その背を見届けると、紫貴は石窟へと歩を進める。
石窟の高さ自体は、紫貴の上背ほど。そこまで大人数が入れるような大きさもない。右手で石窟に触れてみるとひどく冷たく、指先が痛くなった。そんな中で、咲耶が二人の遺体と共に閉じこもっていることに、胸が締め付けられる。
石窟に背を向けると、その場へ座り込んだ。内側のポケットに仕舞い込んでいた緊急時に使用する護符を取り出し、結界を張る。これで、しばらくは魑魅魍魎が攻撃を仕掛けてきても耐えることができるだろう。
紫貴は暗闇が広がる空を見上げた。朝だとわかっていても、眼前に広がるのは暗闇なのだから変な気分だ。
「以前、俺の傍にいると言ってくれたことを覚えているか。……絶対に、一人にはさせないと」
呼びかけても反応はなかったため、聞こえているかどうかはわからない。それでも、紫貴は構わず話を続ける。
「一人で呪いに耐えていた俺の胸に、あたたかい何かが満ちた」
胸元へ手を当てる。咲耶のあの一言で、かつて感じたことのない安堵と力が宿った。
「それから、咲耶は言葉どおり傍にいてくれた。……どんなときも、ずっと」
酒呑童子に弄ばれたあの一週間。痛みと苦しみ、そして衝動に耐える毎日だったが、咲耶が傍にいて、抱きしめてくれていたから。喰われそうになっても、信じてくれたから。
こうして、今も人間として、八十神紫貴として生きていられる。
それに、と紫貴は目を瞑った。咲耶が見せる笑顔や、真っ直ぐな言葉、ぬくもり。それらに触れるたび、今までにないほど胸が熱くなり──いつしか、紫貴にとって唯一の安らぎになっていた。
「俺は、恭一郎殿に誓った。咲耶の傍にいる、絶対に一人にはしないと。その言葉に嘘偽りはない」
目を開けると振り向き、石窟へ右手を添え、額をそっと当てた。
「咲耶、俺を君の傍にいさせてほしい。咲耶と共に、未来を歩んでいきたい」
──好きだ。
消え入りそうな声で、そう呟いた。
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