助けたい。救いたい。護りたい。

 ──流れる沈黙に、自分が大それたことを言ってしまったと気付いた。咲耶は慌てて頭を下げる。


「す、すみません」


 何も考えず、ただただ見たままの感想を口にしただけなのだが、太陽といえば、天照大神。

 八百万の神がおわすとされている日本で、最も尊い神だ。

 忌み子の自分に、依り憑いてくれるはずがない。コノハナサクヤヒメが依り憑いてくれていたことすらも、奇跡のようなものだというのに。考えて発言すべきだったと後悔していると、紫貴がくすくすと笑う声が聞こえた。


「謝ることはない。初めて見たときから、俺もそう思っていた」


 誰か自分と同じ意見の者はいるだろうかと様子見していたそうだ。不敬だと怒られるかと思っていたため、咲耶は胸を撫で下ろしつつ顔を上げる。


「ですが、もしも太陽をあらわす紋様だったとしても……わたしは、忌み子なのに」

「神が依り憑くのはかんなぎであって、忌み子かそうでないかで決まるものではない。そもそも、忌み子自体は人間が作り出した概念だ」


 それに、と紫貴は楽しそうに笑みを浮かべる。


「天照大神様を依り憑かせているとすれば、俺達は太陽を味方につけたことになる。とても頼もしいとは思わないか」


 魑魅魍魎は太陽を嫌うため、闇夜にだけ姿を見せる。その闇夜に太陽は昇らずとも、力を借りられるのであれば。確かに、紫貴の言うとおり「とても頼もしい」だろう。

 しかし、本当に天照大神を依り憑かせることができるのだとして。これは陽葉が亡くなり、彼女の力を受け継いだことで結果的にそうなっただけのこと。最初から双子のどちらかに巫の力を与えていれば陽葉は、と考えてしまう。

 そんな思考を振り切るように、咲耶は頭を振った。

 咲耶が考えていることは、事実とは異なることを仮定し、後悔するもの。しても仕方のないものだ。

 以前、紫貴も言っていた。咲耶が間引かれていたとしても、陽葉が巫として今も生きていたかどうかは誰にもわからないと。どちらか一人だけが巫だったとしても、それは変わらないはず。

 陽葉の死は、これからも付き纏う。それでも、こうあればよかったのに、と悔やんだところで、過去はやり直せるものではない。現実を受け入れて、今を生きていくしかないのだ。

 忌み子でありながら巫として生まれたのは、きっと意味がある。悔やんでもいいが、すぐに切り替える。忌み子だからと卑屈になってはならない。咲耶は自分にそう言い聞かせた。

 陽葉の力を、無駄にはしないと決めたのだから。


「……力を使いこなせるよう、頑張ります」

「それなら、俺が」


 紫貴が口を開き何かを言いかけるが、正宗の右手の拳で左手の手のひらを叩く音で掻き消される。


「手合わせしてりゃ、力の扱いなんかすぐだ。いつでも大歓迎だぜ」

「僕もそれなりに戦えるから、気軽に言ってね」

「ありがとうございます。正宗様、いさみ様」


 二人に礼を言ってから紫貴を見るも、彼は眉間に皺を寄せ、僅かに唇を尖らせていた。

 ──おそらく、ふて腐れている。

 話を遮られたからだろうか。紫貴の様子に気付いていない正宗と勇は、真っ二つになった灯籠のことで盛り上がっている。

 手合わせはありがたい。こちらからもお願いしたいと思っていたところだ。が、力の扱いについては、こういっていいのかはわからないが、先約がある。咲耶はちらりと遠慮がちに紫貴を見た。


「前に……力の扱いであれば教えてくださると、仰っていましたよね」


 紫貴の表情がふて腐れていた顔から一転、嬉しそうな笑顔へと変わる。


「覚えていてくれたのか」


 そう、咲耶の人生が一変したあの日。紫貴に抱きかかえられ、神森家へ向かったときのこと。

 力の扱い方を教えると、彼はそう言ってくれていたのだ。

 ふて腐れていたのは、力の扱い方を教えるつもりで言おうとしたところを正宗に遮られ、先に言われてしまったからだろう。こういうところで拗ねてしまうのは、紫貴という十六歳の少年が顔を出しているように思える。


「お手を煩わせてしまいますが、帝様さえよろしければ、ぜひともお願いいたします」

「言ったことへの責任は持つのが当然だ。一日でも早く力の扱いに慣れるよう、俺も尽力しよう」


 覚えていてくれたことも嬉しいが、こうして実際に果たそうとしてくれていたことが何よりも嬉しい。

 だが、紫貴から笑顔が消え、顔を曇らせる。


「今日の夜は、荒れると思う。明日からでもいいだろうか」

「帝様のご都合に合わせます。ですが……その、荒れるとは?」

「気に入らないことがあると、その晩に奴は姿を現し、好き勝手に喰い殺していく。陽葉が喰い殺された日もそうだ。太陽が顔を出したことが気に入らなかった」


 これまでも、陽葉が神楽を舞い、太陽が顔を出した日は犠牲者が多かったそうだ。なんて酷い、と眉間に皺を寄せていると、紫貴が倒れている灯籠へ視線を向けた。


「あの一撃に込められた力を、奴が察しないわけがない」


 それにしても、紫貴が言っている「奴」とは誰のことを言っているのだろうか。魑魅魍魎の中でもかなりの力を持つ者なのだろうか。首を傾げていると、険しい表情をした紫貴が咲耶を見た。


「奴の名は、酒呑童子。魑魅魍魎を率いる首領だ」


 ──そして、その日の夜。

 紫貴が危惧していたことは、現実となった。

 酒呑童子が現れたと一報が入り、慌ただしくなる。八十神家の部隊でも敵わない相手のため、権能を持つ紫貴が直々に出るそうだ。たける、正宗、清孝、勇も準備を始める。


「あ、あの、帝様。わたしも」

「咲耶はまだ力の扱いに慣れていないだろう。ここで待機だ」


 こことは、八十神家に用意されたねや

 誰もが酒呑童子や魑魅魍魎と戦っている中、一人何もせずに待っているだけなどできない。そう言いたいところだったが、紫貴の言うとおり、力の扱いには慣れていない。戦う術が身に付いているだけでは、足手纏いになるのが目に見えている。でなければ、紫貴達が出る幕などないはずなのだから。

 そうして、早急に準備を終えた紫貴達は、咲耶を残して酒呑童子が現れたとされる場所へと向かった。


「必ず帰ってくる。咲耶はここで俺達の帰りを待っていてほしい」


 帰りを待ってくれている人がいるだけで心強い、とそう言い残して。

 あれから、どれだけの時間が経っただろうか。部屋の中を行ったり来たりしては、壁に掛けられている時計をちらりと見る。

 まだ一時間も経っていない。されど、外の様子は騒がしくなるばかりで、心が落ち着かなかった。

 戸を閉めていても聞こえてくるのだ。大丈夫か、しっかりしろ、と必死に呼びかける声が。

 閨で待ち続けるだけというこの状況が心苦しく、申し訳なさで胸が締め付けられる。

 何かできることはないかと、自身の両手を見つめた。これまでは植物の力を借りて治癒もできていたが、今はできるのだろうか。

 わからない。だからと言って、ここでじっとはしていられない。咲耶は意を決して戸を開け、外に出た。治癒はできるかわからないが、手当てなら力を使わずにできると考えたのだ。


「──っ!」


 目に入ってきた光景に息を呑む。

 八十神家の広大な敷地に、怪我人が続々と運ばれてきていたのだ。

 寝転ばされているのは、襲われた一般の者、帝都の守護隊、八十神家の者達。咲耶は急いでその場へ向かった。

 そこには、会いたい人物の名を口にしながら涙を流す者、痛みに苦悶の声を漏らしながらもまだ立ち上がろうとする者。残念ながら、亡くなってしまった者もいた。


(これが、魑魅魍魎との……酒呑童子と呼ばれる存在との戦いなの?)


 心の中で謝罪しながら咲いていた花を手に取り、息がある者の傍へしゃがみ込む。植物の力を借りようとするが、何の反応もない。では手当てを、と見るも、どこもかしこも血が流れ、出血箇所が特定できず。

 じわ、と涙が滲んだ。

 あまりにも酷すぎる。惨すぎる。

 致命傷寸前の傷がいくつもあり、甚振られたであろうことが安易に想像できた。更に、この者は右腕を喰い千切られており、止血しようと手で押さえたところで止め処なく血が溢れ出てくる。


「……わたしには、どうすることもできないの?」


 巫だというのに、今はまだ戦うこともできず。癒やすこともできず。こうして、命の灯火が消えていくのを見ていることしかできないのか。

 ──嫌だ。助けたい。救いたい。護りたい。

 理不尽に襲われた者達を。人々を、日本を護るために戦ってくれた者達を。今も戦ってくれている者達を。紫貴を。みんなを。

 チリ、と首の後ろが熱くなる。


「お願いいたします、わたしに力をお貸しください! 天照大神様!」


 叫んだ次の瞬間、咲耶の身体が光り、辺り一面を包み込んだ。

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