それはまるで
「俺、今日は手洗えないわ……」
八十神家の屋敷まで向かって歩いている最中のこと。目を輝かせながら自身の右手を握り締める正宗。それに賛同するかのように、紫貴の隣を歩いていた
「すごく気持ちがわかる。僕も今日は洗えない……いや、洗いたくない」
自宅へ迎えに来てくれるまでに、有名な方とでも出会ったのだろうか。咲耶はその辺りが疎いためよくわからないが、女学校の友人達もオペラなどで活躍する男性に会うと大はしゃぎしていた。自分が一押ししている人物に出会えたら尚のことだ。
その後は、まさしく心ここにあらず。出会えた喜びを噛み締め、素敵だったとあの一時の思い出に浸る。正宗と勇も、今まさにそのような状態だった。
「お二人とも、どなたかと握手でもされたのでしょうか。手を洗えないなんて、余程お好きなのですね」
「ああ、咲耶が来る前に恭一郎殿と」
「そうなのですね、お父様と握手を……え? お父様と?」
意味がわからない。何故、恭一郎と握手をしてああなるのか。
どうなっているのかと首を傾げていると、咲耶の隣にいた正宗が雑に肩を抱いてきた。
紫貴のような優しさはなく、体重がかけられ、絡まれているように感じて少し怖い。
何かしてしまったのだろうかと戸惑っていると、正宗は笑顔で話しかけてきた。
「なあ、恭一郎殿から剣術を教えてもらったのか?」
「え?」
まさかの質問に目を丸くしていると、正宗の腕が誰かの手によって外される。紫貴かと思って振り向けば、彼の隣にいたはずの勇がいた。
「正宗、咲耶ちゃん怖がってるから。……それで、教えてもらったのかな?」
「あ、あの」
「勇も離れろ。咲耶が怖がっている」
正宗と勇によって蚊帳の外にいた紫貴が割り込んできた。二人の謎の勢いに押され気味だったため、つい胸を撫で下ろしてしまう。
落ち着け、と紫貴に一喝されたことにより、二人は口を尖らせながら黙り込んだ。恭一郎から剣術を習ったかどうかが、そんなにも気になるものなのだろうか。
「恭一郎殿は腕が立つと有名だったようで、憧れている者が多かったようだ」
「そう、だったのですね。何も知りませんでした」
「そりゃもうすごかったんだぜ。守護隊は、八十神家の部隊が来るまで帝都を護るんだけどさ。部隊が来るまでに、恭一郎殿が倒しちまうんだ」
正宗が鼻高々に話す。その話を聞いていた勇もうんうんと頷き、咲耶に微笑んだ。
「僕達は幼い頃から剣を持たされるんだけど、何度か教えてもらったりもしたよ。その剣捌きがすごくてね、よく真似をしたものだ」
「わかります。いろいろと教わりましたが、お父様のような剣捌きには程遠くて」
「やっぱ教えてもらってんじゃねえか! なあ、戻ったら手合わせしようぜ!」
「わ、わたしで相手が務まるかどうか……」
謙遜するなよ、と正宗にバシバシと背中が叩かれる。
別に謙遜しているわけではない。戦えるように叩き込まれたとは思うが、恭一郎と手合わせをしてもその喉元に自分の剣が届いたことがないのだ。昨日も、恭一郎は「必ずできる」と背中を押してくれたが、通用するかどうか不安は拭えていない。
ましてや、今度の相手は八十神家の者。手合わせしかしたことがない咲耶に対して、彼らは戦闘経験が豊富だ。不安になっていると、肩に優しく手が置かれる。
「帝様……」
「不安に思わなくてもいい。咲耶には力の扱い方を教えようと思っていた。恭一郎殿から教わった剣術と組み合わせることができれば、正宗を打ち負かすこともきっと可能だ」
それに、と紫貴は年相応の少年のような笑みを浮かべた。
「俺も、恭一郎殿から教わったという剣術を見てみたい」
その笑顔にドキリと胸が高鳴るも、紫貴の後押しもあり、咲耶と正宗の手合わせが決まってしまった。
* * *
八十神家の屋敷へ戻ってすぐ、手合わせの準備が始められた。そこで手渡されたのは、木刀でも竹刀でもなく、まさかの真剣。
え、と目の前にいる正宗を見るも、彼もまた真剣を手にしていた。
「帝様、真剣でなければならないのですか?」
「そうだな。木刀や竹刀は力に耐えきれない」
持つこと自体は初めてではないが、それを相手に向けたことはない。もちろん、恭一郎にも。
「……正宗様を、傷つけてしまうかもしれないのに」
「心配無用だぜ、お嬢ちゃん。本気でかかってこい。恭一郎殿から教わった剣術を、俺にぶつけろ」
「というわけだから、咲耶ちゃんは気にせず全力でぶつかるといいよ」
真剣だからと気にしなくていいということなのだろうが、それが逆に複雑な気持ちにさせた。
自分の剣が通用するだろうか。怪我をさせてしまったらどうしようか。そんな不安をこちらは抱えているというのに。
本気でかかってこいと言われ。全力でぶつかるといいと言われ。
まるで、咲耶では傷一つ付けられないようなそんな言い方。侮られているような気がして、沸々と怒りが込み上げる。
「咲耶。普段、力を使うときはどうしていた?」
紫貴に話しかけられ、我に返る。
「あ……えっと、こうなってほしい、こうしたい、というようなことを思い浮かべていました」
「なるほど。その要領で、剣へ力を流す想像をするといい。そうだな、身体の一部だと捉えるとよりやりやすいだろう」
「は、はい、やってみます」
言われたとおりやってみようと剣を両手で握り直したとき、紫貴が耳元へ顔を近づけてきた。
「……今のは俺も気に入らない。恭一郎殿が伝授した剣術を見せてもらえるというのに。あの二人に、目に物見せてやろう」
そうしたいところだが、はたしてできるかどうか。
深呼吸を一つして、咲耶は目を閉じた。紫貴が言っていたとおり、力を剣に流す想像を膨らませる。目に物見せてやりたいところだが、怪我をさせたいわけではない。刀身を折ることさえできれば、それで十分だろう。
いつものように、チリ、と首の後ろに熱が走る。が、不思議と身体も火照った。力が全身に漲っていくような感覚もある。
目を開け、音も出さずに構えると、正宗の顔から笑みが消えた。剣をしっかりと構えたことを確認すると、足に力を込め、勢いよく前へ走る。
身体が軽い。そのためか、普段よりも動けている。懐に入り、下から剣を振り上げた。
「そうだそうだ、この動きだ! 受け流して……」
正宗は自身が持つ剣で受け流す体勢を取るも、目を見開き、大きく身体を反らした。
次の瞬間、眩い光が咲耶が持つ剣の刀身から放たれ、それは正宗の後ろにあった灯籠を一刀両断する。
「え……!?」
何が起きたのか。咲耶自身も理解ができない。
ただ、言われたとおり力を流し込み、剣を振るっただけだ。このような力の使い方をしたことがなかったため、これでいいのかがわからない。そもそも、本当にこんなことを自分がやったのか。
大きな音を立てて崩れていく灯籠。だが、それ以上に心臓の音がうるさかった。
「融けているな」
「融けて? ……わ、わあ!」
紫貴に言われ、手に持っていた剣を見ると、刀身が融けてその形が変わっていた。近くに高温の熱を持つようなものはないはずなのに、どうして。
すると、紫貴が倒れた灯籠を指差した。
「そちらもだが、あれもだ」
よく見ると、切断面部分がどろりと融けている。
いつも使っていた火の力ではない。あれは何だ。言葉を失っていると、がしがしと頭を掻きながら正宗が隣に立った。
「最初は受け流してやるつもりだったんだがな。受ける前にわかった。これ、当たったら死ぬわって」
「……すみません。ただ、刀身を折りたかっただけなのですが」
「まあまあ、力の制御はこれからだよ。動きは恭一郎殿そっくりだったから、驚いちゃった」
それにしても、と正宗と勇が真っ二つに割れてしまった灯籠へ視線を向ける。
「陽葉様も火を操っていたけど、ここまではできなかったと思うよ」
「……ってことは、陽葉様の力を受け継いだからこその威力ってことか?」
「そうだろうな」
これまで黙っていた紫貴が口を開いた。
「紋様も変わっている。依り憑かせる神が変わっている可能性が高い。……それも、より上位の神に」
咲耶から刀身が歪んだ剣を受け取ると、紫貴は地面に円を描き始めた。その中にもう一つ円を描き、上、下、右上、左上、右下、左下に葉のような紋様を描く。
「これは、咲耶の首の後ろにある紋様だ。咲耶と陽葉の紋様が重なり、今はこのようになっている」
初めて見る自分の紋様に、咲耶は目を大きく見開く。
そして、ぽつりと呟いた。
「……太陽、みたいですね」
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