いってきます
咲耶と
清孝は静かに本を読み、
そろそろ帰ってくる頃だろうか。腕を組んで目を伏せていた紫貴がそっと瞼を開けたとき、大きな音を立てて戸が開いた。
「彼女、送ってきました!」
四人の視線が戸を開けた人物に集中する。
「ありがとう、勇」
お安い御用ですよ、と白い歯を見せて笑う尊に紫貴も笑みを返すも、よく見ると上着は手に持ち、白いシャツ姿になっている。
「外は暑かったのか?」
「え? ああ、上着を彼女に貸してたんですよ。ほら、寝間着だったじゃないですか。この服も目立っちゃうけど、寝間着姿見られるよりはいいかなって思って」
──やってしまった。
紫貴の顔から血の気が引いていく。
そうだ、咲耶は寝間着姿だった。着替えさせることなく、紫貴がここへ連れてきてしまったからだ。
ここにいた間も、寝間着姿で嫌だっただろう。早々に服の用意を、いや、そもそも着替えさせてから連れてくるべきだった。
気配りがまったくできていなかったと悔やんでいると、清孝が両手を鳴らした。
「帝様、私が女性への気配りの仕方などを手ほどきをいたします。ですので、今は」
「ふん、笑わせるぜ。清孝ぁ、お前も経験ねえだろ。ここは俺の出番だな」
「正宗……お前は何故私が話しているときに上から被せてくる。それに、経験はなくとも、補うほどの知識がある。馬鹿にするな」
清孝と正宗のいがみ合いが始まった。気が合わないのか、よくこうして衝突している。またかよ、と呆れている尊と共に紫貴も眉を顰めていると、勇が「そこまで」と割って入った。
「手ほどきは僕が適任ってことで、この話はここまでにして。ほら、尊も座るといい」
座る機会を逃していた尊もようやく席につくことができ、あれほど騒がしかった場が静まりかえる。
いつもは飄々としている勇だが、この中では年長者ということもあり、緩急の付け方がうまい。このままでは咲耶の話ではなく、紫貴の女性への気配りについてが議題になるところだった。
咳払いを一つし、紫貴は口を開いた。
「昨晩、俺が連れてきた女性は、陽葉の双子の片割れだ。名は、藤村咲耶」
神楽殿で導かれるようにして目が合ったこと、恭一郎から聞いたこと。陽葉の力が受け継がれたこと。──そして、咲耶が巫として生きると決めたこと。四人はしばし黙って話に耳を傾け、尊や清孝は神妙な面持ちで頷いていたが、正宗と勇は少し違った。
「じゃあ、お嬢ちゃんを迎えに行ったときにいたのってあの恭一郎殿だったのかよ。惜しいことしちまった。っつーか、お嬢ちゃんが羨ましいわ」
「突然お辞めになられたとは思っていたけれど……そんな事情があったなんてね」
彼らは、恭一郎が咲耶を引き取って育てていたことに驚いていた。
当時、紫貴は生まれておらず、尊も生まれて数ヶ月ほど。清孝も一歳を迎えた直後で知らなかったのだが、恭一郎は歴代の帝都の守護隊長の中でも腕が立つと有名だったそうだ。男児であれば誰もが憧れる存在だったと、勇は話してくれた。
楓が恭一郎に咲耶を託したのも頷ける。すべては、咲耶を護るため。
魑魅魍魎は人間を喰うが、特に神力を持つ人間を好んで喰う傾向にあるからだ。実際、それで巫覡の者達は喰われていき、今は神森家しかいなくなってしまった。
「恭一郎殿のことだし、彼女は剣術を叩き込まれているかもね」
「ありえるな。力の扱い方も知れば、かなり強いんじゃねえか?」
正宗と勇の言葉の節々から、羨ましいという感情が滲み出ている。そんなに腕の立つ人なのかと思っていると、清孝がくいっと眼鏡をあげた。
「それで、誰がその力の扱い方を教えるのですか」
「もしかして、もう使えるとか?」
「尊の言うとおりだ。彼女は巫としての自覚がないまま、力を使えていた。少し教えれば、すぐに戦えるようになるはずだ」
紫貴の言葉に目を丸くしながらも喜ぶ四人だったが、ふと気になったことがあった。
陽葉の力を受け継ぎ、紋様が変わった今。これまでと同じコノハナサクヤヒメを依り憑かせるのか。はたまた、別の神か。
どちらにせよ、咲耶には力の扱いに慣れてもらう必要がある。ここへ戻ってきたら、すぐにでも。
巫がいなくなった今、戦力が落ちているとここぞとばかりに襲いかかってくるはず。そうすれば、また犠牲者が増える。
もう、これ以上悲しむ人々の姿を見たくない。燦々と輝く太陽、煌々と照る月、笑顔で活き活きと暮らす国民達が見たい。
だからこそ、自分の代で終止符を打ちたいのだ。日本の安寧秩序を乱す魑魅魍魎との、長きに渡るこの戦いに。──あの鬼に。
今頃、恭一郎と香世子は、咲耶の話を聞いて反対しているかもしれない。それでも、彼女の気持ちは揺るがないだろう。何故かはわからないが、そのような自信があった。
「必ず倒すぞ、魑魅魍魎を。……酒呑童子を」
今度こそ、誰も死なせはしない。
* * *
咲耶と恭一郎は、縁側に座って庭を眺めていた。後ろからは、トントンと小気味良く野菜を切る音が聞こえてくる。
「……私が帝都の守護隊に志願したのは、今の咲耶と同じ年頃のときだ」
灰色の空を見上げながら、恭一郎がぽつりと呟いた。
「八十神家、巫覡の者と魑魅魍魎との戦いの歴史は長い。自分も力になれないだろうかと、そう思ってな」
両親には反対された、と寂しそうな笑顔を浮かべる。
八十神家、巫覡の者は戦うことが使命であり、恭一郎が気にすることではない。危険な仕事に就かずとも、誰かの力になれる職業は数多にあると、そう言われたそうだ。
「でも、お父様は反対を押し切って、帝都の守護隊へ志願したのですよね」
「幼い頃から剣術を学んでいてな。腕っ節には多少の自信があった。自分の剣で、何かできることはある。だから、無駄にはしたくなかった」
聞き覚えのある言葉に、何だか嬉しくなる。
巫として生きていくと決意したときの咲耶と同じだった。血は繋がっていなくとも、親子としての絆はしっかりと紡がれていたのだと実感する。
咲耶は両膝の上に置いていた両手を握り締めた。
──ゆえに、恭一郎は気付いている。咲耶が言わんとしていることを。でなければ、このような話はしない。
「楓様から咲耶を託され、親となって……ようやく両親の気持ちが理解できた。子が危険な戦いに足を踏み入れようとしていれば、止めたくなる」
「……っ」
「だがしかしだ。咲耶は私の娘だからな。反対したところで、押し切るだろう」
少々乱暴気味に頭に手が置かれ、わしわしと撫でられる。
「戦う術、身を護る術はとうに教えてある。日本を、魑魅魍魎どもの手から取り戻してこい。咲耶なら、必ずできる」
その言葉で涙腺が崩壊し、いくつもの涙が頬を伝ってこぼれ落ちる。恭一郎は優しくも切なげな笑みを浮かべると、咲耶の身体を引き寄せて幼子をあやすように背中を叩いてくれた。
その後、久しぶりに三人で食卓を囲んだ。しばらくは家に帰ってこられないだろうからと、咲耶の好物ばかりが並び、母の味を堪能する。
片付け後に、巫として生きていくことを決めたと話すも、やはり香世子も気付いていたようだ。されど、特に止めることはせず、恭一郎を見て肩を竦めると、彼女は小さく息を吐き出した。
「そういうところは、恭一郎さんに似ちゃったのね」
「……そうだな。だが、芯の強さは楓様と香世子に似たのだろう」
本当はね、と香世子は咲耶の手に自身の手を重ねた。
「楓様が望まれたように、生きてほしい。だけど、それは私達の望み」
「お母様……」
「巫として生きると決めたのなら、しっかりとそのお役目を果たしなさい。でも……楓様も、恭一郎さんも、私も。貴女の幸せを願っていることだけは、決して忘れないでね」
──そして、翌朝。
これまでのように朝食を終えると、咲耶は着替えなど持っていくものの準備を始めた。ショールを手に取るも、もう必要はないかと引き出しにしまう。
ただ、一つだけ。神楽殿へ行くときに香世子からもらった新しいショールは持っていくことにした。
鏡の前で、桜のような淡い桃色のショールを首に巻く。服は、神楽殿へ行ったときと同じものだ。
「咲耶、帝様がお迎えに来られたわよ」
「あ、い、今行きます」
荷物を持ち、急いで玄関へと向かう。そこには、恭一郎と、いつもの濃紺の服を身に纏った紫貴と、正宗、勇の三人がいた。
「あの、ありがとうございます」
「俺が言ったことだ。気にすることはない。……そのショール、よく似合っているな」
「……母から、いただいたものです」
そうか、と紫貴達が先に外へ出る。咲耶も続くが、外へ出る前に足を止め、見送ってくれている恭一郎と香世子を振り向いた。
「身体には気を付けてね」
「……無茶だけはするな」
「はい。……いってきます」
咲耶は笑顔を見せると、外へ一歩踏み出した。
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