咲耶の答え
八十神家の屋敷は、神森家のすぐ近くにある。
紫貴が言うには、
「帝様、陽葉様のことだけど」
前を歩いていた
「その子に代わりを務めさせる、なんてことはしないよね?」
これまでの紫貴の言動から、彼はそのようなことをしない──とは思うものの、そう言われると不安にはなる。おずおずと紫貴の様子を窺うと、むっとしたような表情を浮かべていた。
「咲耶にそんなことをさせるつもりはない。国民には陽葉の死を報せる。巫として、立派に戦ったと」
「僕らの帝様ならそう言うと信じてたよ。だけど、春水様は違うだろうから、気を付けといてあげないといけない」
「……そうだな」
紫貴と勇が懸念している理由は、今日初めて春水に会ったばかりの咲耶でも何となくわかる。
娘である陽葉を亡くしたばかりだと言うのに、その死を悲しむどころか
異常と言えば、陽葉も──咲耶は紫貴に気付かれないよう、自身の身体を抱きしめた。
巫として生きてきた誇り。それは十二分に伝わってきた。だが、その誇りは執着へと変わったように思える。
陽葉にとって、巫とは自分だけのもの。特別だったのだろう。
だから、彼女は許せなかったのかもしれない。死後、咲耶に自分の力が宿ったことが。
そして、恨み、憎んだのかもしれない。片方がいなくなることでその力を宿せるのであれば、咲耶が死んでいればこのような結末は迎えなかったはずだと。
すべて、憶測でしかないが。
そんなことを考えている間に、紫貴の足が止まった。前にいる勇を見ると、彼も扉の前で立ち止まっている。
「さーて、着きましたよ。ちょっと準備するのでお待ちを」
「ありがとう。勇、それが終わったら陽葉の紋様を確認してほしい」
おまかせあれ、と軽い返事をしながら勇は中へ入っていった。少し時間がかかりそうだ。今なら訊けるだろうかと「帝様」と呼びかけた。
「陽葉様が仰っていたことが、気になっていて。わたしに陽葉様の力が宿ったというのは、本当なのでしょうか」
「陽葉も言っていたか。俺もそのように考えている。恭一郎殿が、君の紋様が変わっていると言っていた。痛みが始まった時間も、陽葉が亡くなった時間とそう変わらない」
咲耶はおそるおそる左手で首の後ろに触れた。
「……消えているのかもしれないのですね。陽葉様の紋様が」
「それを確認してもらうために、勇に頼んだ」
己の意思ではないとは言え、陽葉の力が宿ったのなら。
(わたしの答え次第では、無駄にしてしまうことになる。それはよくない。ああ、でも、どうすれば)
扉が開き、中から勇が出てきた。
「中へどうぞ。救援要請が出たら僕達はどうすればいい?」
「結界を張る者と救援へ向かう者と分かれ、対応してほしい」
「承知しました」
気にせずゆっくり休んでね、と咲耶へ笑みを向けたあと、勇はその場を後にした。彼の背を見送り、見えなくなってから紫貴と共に閨へと入る。
男性の、それも帝の
帝の閨であれば、目にすることなどなさそうな装飾品に溢れ、それはそれは豪華なのだろうと想像していた。
が、違った。実際は、必要最低限のものしか置いていない、とてもつづまやかな閨。それもそうか、と咲耶は紫貴を見上げた。
古くから魑魅魍魎と戦い続けている人達。帝も、八十神家も、巫覡の者達も。魑魅魍魎を倒すことに全力を注いでいると習った。贅沢などするはずがない。──そんな余裕がない、ということなのかもしれないが。
「あ……お布団が一組しかありませんね。帝様がお使いください」
「あれは咲耶が使う布団だ。俺のことは気にしなくていい。仮眠を取るくらいでいい」
え、と驚いている間に、布団へ寝転ばされ、掛け布団がかけられる。紫貴はというと、布団の近くに腰掛けた。
「……すみませんでした。抱きかかえていただいただけではなく、お布団まで」
「構わない。護符を作らなければと思っていたところだ」
紫貴は胸元のポケットからボロボロになった紙を一枚取り出した。今も下の方からほろほろと崩れ、塵となって消えていっている。
「これは、魅了を防ぐ護符だ。数時間しか効果がなく、最後はこのように塵となって消える」
「帝様を見ると、魅了されるのですか?」
「歴代の帝もそうだったようだ。神々の力を継ぎ、権能を持つからなのか。その理由は今もわからない」
神力を持たない人間は魅了されてしまうため、こうして護符を持ち歩くようにしていると紫貴は話してくれた。他にも、護符を持っていても目を合わせないようにしたり、不必要に人前にはでないなど、対策は講じているそうだ。
ただ、と紫貴は視線を天井へ向ける。
「今日は違った。導かれるように視線を咲耶へ向けて、目が合った」
追いかけたが間に合わず、護符の効力も切れていて周りの人達を魅了してしまい、散々だったと紫貴は笑みを溢した。
「家に来られたときは、驚きました。お父様と……いえ、恭一郎様とどのようなお話をされたのですか?」
「楓殿の話を聞きたいと言ったところ、嘘はつけないと判断されたのか、忘れ形見を託されたと教えてくれた」
それよりも、と紫貴は困ったような笑みを浮かべて咲耶を見る。
「咲耶にとって恭一郎殿は父上に間違いない。それでも、他人行儀に呼ぶのか?」
「……いいえ。お父様と、これからもお呼びしたいです」
「では、これまでどおり呼ぶべきだ」
本当に、優しい人だ。出自がわかった今でも、藤村咲耶として接してくれている。巫として生きることを強要せず、咲耶に判断を委ねてくれている。
とはいえ、巫の力を失いたくはないはず。それなのに、咲耶の意思を大切にしてくれているのだ。
ここへ来る前、紫貴は「巫というものを知ってほしい」と言っていた。されど、陽葉のことは話すものの巫については一向にない。
おそらく、彼は待ってくれている。咲耶が巫を知ろうとするまで、ずっと。
咲耶は静かに深呼吸をし、紫貴を見た。
「……巫とは、神を依り憑かせる者。帝様や八十神家の方々と、共に戦うのですよね」
「その認識でほぼ間違いはない。神を依り憑かせ、その力を借りて前線に立つ。陽葉は、コノハナサクヤヒメ様を依り憑かせ、火を操っていた」
「あ……わたしも、火を操ることができます。植物の力を借りて、怪我の治癒なども。コノハナサクヤヒメ様を、依り憑かせているのでしょうか」
ふむ、と紫貴は腕を組む。
「双子であれば、あり得る話なのかもしれない。ごく稀に、陽葉は神を依り憑かせられない日があった。そのときは、咲耶が依り憑かせていたのだとすれば納得がいく」
「……邪魔を、してしまっていたのですね」
「依り憑かせられないからと言って、何もできないわけではない。巫覡の者は多少なりとも神力を持ち合わせている。結界で護りに徹したりと、いくらでもできることはある」
つまりは、そういう捉え方をするな、ということだろう。気持ちはありがたいが、やはり卑屈にはなってしまう。
少しばかり落ち込んでいると、咲耶、と名を呼ばれた。
「先程、巫は神を依り憑かせる者だと言っていたな。実は、少しだけ違う」
「え?」
「巫は、八百万の神が日本を護るために生み出した存在。その神意を宿す者。神を依り憑かせることができるのは、こういう理由からだ」
* * *
──薄らと目を開けると、座ったまま眠る紫貴の姿が目に入った。
(……あのあと、そろそろ眠るといいと言われて、それで)
紫貴の手が咲耶の目を覆ったところまでは覚えているが、気が付けば朝になっていた。音を立てずに身体を起こし、掛け布団を紫貴に被せる。
眠れるとは思わなかった。今でも暗闇が、目を瞑るのが怖い。陽葉が出てくるのではないかと勘繰ってしまうからだ。けれど、すんなりと眠ることができた。覚えていないだけかもしれないが、夢も見ていないように思える。
咲耶はそっと立ち上がり、扉の外へ出た。外は明るくなりつつあるものの、厚い灰色の雲が太陽を覆い隠している。人々の中にある魑魅魍魎への恐怖や不安があらわれているようだ。
そんな中で生まれた、百年ぶりの巫。八百万の神が、日本を護りたいと今も思ってくれているからこそ、生まれたのではないだろうか。
(……昨晩の話は、背中を押してもらえた。勇気をもらえた)
もう、迷うことはない。
「おはよう。よく眠れただろうか」
振り返ると、紫貴が腕を組みながら扉に背を預けて立っていた。
「おはようございます。……はい、よく眠ることができました。ありがとうございます」
「礼はいい。咲耶が眠ったあと、勇から報告があった。陽葉の紋様は、消えていたそうだ」
「……そうですか」
「それにしても、いい顔をしている」
昨日とは違う、と紫貴は笑みを溢すも、すぐにその表情を変えた。咲耶を真っ直ぐに見据え、姿勢を正す。
「今一度問おう。咲耶はどうしたい。生みの母、育ての親からの願いを受け、一人の女性としての幸せを享受したいか。それとも、巫として生きていくか」
心の中で三人に謝りながら、咲耶は口を開く。
「忌み子でありながら巫として生まれたのは、きっと意味があると思いました。なので、巫として、わたしにできることをしたいです。陽葉様の力を、無駄にはしません」
そうか、と紫貴はどこか誇らしげな笑みを浮かべた。
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