背負うべきものは

 咲耶の手を掴んでいた陽葉の手が離れた。が、それで終わるはずがなく、そのまま首を掴まれ、両手で強く締め付けられる。

 苦しさから呻き声を漏らす咲耶に、陽葉は目くじらを立てながら顔を近づけてきた。


「これまで頑張ってきたのは私なのに。喰い殺されて、挙げ句の果てには私の力がお前に宿って……ふざけないでよ! かんなぎは私だ! お前じゃない!」


 首を締め付ける力が強くなる。何とか陽葉の手を剥がそうとするも、咲耶の力ではびくともしない。陽葉のこの力の強さは、咲耶への恨みや憎しみの強さからくるものなのだろう。

 恨みたくなる気持ちも、憎みたくなる気持ちもわかる。

 陽葉はたった一人で巫の役目を果たしてきた。紫貴達と共に魑魅魍魎に立ち向かってきた。弱音を吐くことなく、巫としての自身の在り方に誇りを持っていた。

 だからこそ、志半ばで喰い殺されてしまったことは、無念でならないはず。

 そして、そこに突然現れた咲耶の存在は、さぞかし気に入らないことだろう。間引かれるはずだった忌み子が生きていて、実は巫だったと言うのだから尚更だ。

 そのとき、陽葉が目を細めて口角を上げた。


「お前のその身体、私に寄越しなさいよ。忌み子の身体なんて嫌だけど、寄越すのなら死んでいなかったことを許してあげるわ」


 陽葉は楽しそうに笑った。咲耶の身体から力が抜け、瞳からは涙が溢れる。

 恭一郎が言っていた。生みの母である楓は、忌み子と呼ばれようと、大事な娘なのだと恭一郎に託したのだと。

 紫貴も言っていた。本当の両親ではなかったとしても、過ごしてきた時間や愛情はすべて本物だと。

 咲耶は、生みの母からの愛、育ての両親からの愛で生きているのだ。されど、死んでいればよかったと言われ、身体を寄越せと言われ。

 生きていることが悪なのだと、言われたような気がした。


「ほら、さっさと寄越しなさい」


 薄れゆく意識。抵抗する気力もない。

 生きていてごめんなさい。謝罪の言葉を胸に抱きながら静かに目を瞑ったとき──肩を強く抱かれ、陽葉の手が首から離れた。

 せき止められていた空気が入り込み、ひゅう、と喉が鳴る。呼吸ができるというのは、なんてすばらしいことなのだろうか。身体も空気を求めている。咲耶は必死に吸っては吐いた。


「陽葉、無念なら俺が聞く。咲耶を巻き込むな」


 顔を上げると、そこには紫貴がいた。眉間に皺を寄せ、目を細めて陽葉を見てはいるものの、怒りは感じない。


「帝、様」

「虚ろな目で宙を見ていた。陽葉に呼ばれていたとはな」

「だって、おかしいじゃない。私が死んで、そいつが生きているなんて。何もしてこなかったくせに、私の力まで得て!」

「陽葉様の、力?」


 確か、首を掴まれたときも言っていた。

 忌み子である咲耶が死んでいれば、陽葉は力を得られていたと。すなわち、死んでしまったのは、力を得ていなかったから。咲耶が死んでいなかったから。


(……もしかして、あの首の痛みは)


 紫貴、と陽葉は微笑みながら名を呼んだ。


「私は生まれてからずっと巫として生きてきた。力の扱い方を知っている。そいつよりも、うまく扱える。貴方からも言ってよ。身体を譲り渡せって」


 言っていることは間違ってはいない。巫としては、陽葉の方がはるかに優れている。紫貴もきっと同じことを思っているはずだ。ぐっと目を瞑って紫貴の言葉を待っていると、咲耶の肩を抱く手に力が込められる。


「陽葉、君は誇り高い巫だった。責任の重さに誰よりも苦しんだだろう。それでも、決して弱音を吐かなかった。己の役割を誇りにし、全うしようとしていた」

「違う……違う違う違う! そんな言葉がほしいんじゃない!」


 陽葉は何度も首を横に振り、違う、と繰り返した。けれど、紫貴は真っ直ぐに陽葉を見据えて言葉を紡ぐ。


「陽葉の強さが、我々を護り、支えてきたことは決して忘れない。今はただ、安らかに眠ってくれ」

「嫌、嫌よ、ねえ、まだ死にたくない!」

「行こう、咲耶」


 紫貴が手をかざすと、白い光が辺りを照らし始めた。暗闇を掻き消していくかのようにそれは拡がり、咲耶と紫貴を包んでいく。

 ふわりと身体が浮かんだとき、陽葉が目から血を流しながら咲耶を見ていた。


「許さない。私から巫を奪ったこと、紫貴を奪ったこと。絶対に、許さない」



 * * *



 ──瞬きをすると、視界に入ってきたのは木目の天井だった。

 戻ってくることができた。そう胸を撫で下ろしたのも束の間、手を掴まれていることに気付き、慌てて引き抜き胸元で抱きしめる。

 またしても、陽葉が。おそるおそる視線を向ければ、顔に打ち覆いがかけられていた。手も布団から出ていない。


「接触しないと入れなかったのだが、気に障ってしまったのならすまない」


 その声に振り向けば、隣に座っていた紫貴が申し訳なさそうに顔を俯けていた。どうやら、紫貴の手だったようだ。手を掴まれたときの恐怖が消えず、つい不躾な態度を取ってしまった。


「い、いえ。すみませんでした。助けて、いただいたのに」


 身体はここにあったようだが、あれは決して夢などではない。手を掴まれた感覚が今も残っている。首を締め付けていた陽葉の手の感触も残っている。

 陽葉に植え付けられた恐怖が、身体に染みついている。

 カタ、と身体が震え出す。あれほどの恨み、憎しみを向けられたのは、死ぬことを望まれたのは初めてだ。

 生きていることを責められたのも、初めてだ。

 ぽた、と涙がこぼれる。


「……ごめんなさい。生きていて、ごめんなさい」

「咲耶?」


 紫貴が来ていなければ、ここにいたのは咲耶の身体に入った陽葉だっただろう。

 ──その方が、よかったのかもしれない。何故なら、咲耶は間引かれるはずだった忌み子。生きていることがむしろ奇跡だ。


「わたしが、死んでいればよかった」


 咲耶はまだ回復しきっていない身体で立ち上がり、走り出した。

 名を呼ぶ紫貴の声が聞こえるも、立ち止まりはしない。ぐらぐらと揺れる視界の中、もつれそうになる足を必死に動かす。

 しかし、限界はすぐに訪れた。万全ではない体調、精神的疲労。そこに、止め処なく溢れる涙。咲耶は欄干らんかんに手をかけ、ずるずるとしゃがみ込む。


「陽葉に、何を言われた」


 咲耶を追いかけてきたのだろう。紫貴が後ろから声をかけてきた。出会ったときと同じ、静かであたたかみのある声で。


「わ、わたしが生きているから、陽葉様は死んでしまった。わたしが死んでいれば、陽葉様はきっと……きっと、巫としてもっと長く、生きていたはずなのに!」

「君が間引かれていたとして、陽葉が巫として今も生きていたかどうかは誰にもわからない」

「どうしてそう言い切れるのですか!? わたしがいなければ、陽葉様は……!」

「咲耶が生きていることに、何の罪もないからだ」


 思いがけない言葉に、胸が詰まる。

 陽葉に生きていることを責められ、存在するだけで罪なのだと思っていた。けれど、紫貴は。

 足音が近付き、それは咲耶の前で止まる。片膝を床につけて座り込んだかと思うと、手が差し出された。


「咲耶。君が背負うべきものは陽葉の死ではない。君自身の命だ」

「……っ、はい」


 涙を流しながら頷き、咲耶は差し出された手にそっと自身の手を乗せる。

 さまざまな感情で黒く渦巻いていた胸中が落ち着いていく。暗闇から紫貴が救い出してくれたときと同じ、白い光が灯されたような、そんな気がした。


「帝様、また小鳥を追いかけられたのですか」

「……清孝」


 その声に振り向くと、きっちりと真ん中で前髪を分け、丸眼鏡をかけた男性が立っていた。これまでと同様、彼も濃紺の服に身を纏っている。


「今回は尊と正宗を連れて行かれた点については良しとしますが……ご説明をお願いいたします」

「そうしたいが、今日は咲耶を休ませてやりたい」

「承知しました。そちら……咲耶様のねやはどうされますか?」

「それは神森家で用意いたしましょう!」


 清孝という男性の更に後ろから、春水が現れた。つい、視線を逸らしてしまう。実の父親だとわかっているが、あの無神経な発言から嫌悪感を抱いていた。

 なので、閨を用意してくれるのはありがたいのだが、正直なところ神森家で過ごしたくないというのが本音だ。


「帝様、春水様がご用意されるとのことですが」

「もちろん、名も用意いたします。明日にでもご報告できるかと」

「……名前、ですか?」

「そうだ、お前には名前をつけていなかったからな。神森家の巫として、相応しい名をつけてやろう」


 ──思ったとおり、春水とは相容れない。

 春水の中では既に「神森家の巫として生きていく」ことが決まっている。咲耶自身のこれからの在り方は、まだ答えを出せていないというのに。

 それに、と咲耶は顔を俯け、唇を噛んだ。

 今の名を、捨てろと言うことなのか。恭一郎と香世子が考えて贈ってくれた名を。

 春水殿、と紫貴はどこか呆れを滲ませながら名を呼んだ。


「彼女の名は告げたはずです。藤村咲耶だと」

「育ての親が付けた名ですな。それが何か」

「彼女は、藤村咲耶です」


 紫貴は咲耶の手を離すと、神楽殿まで来たときと同じように抱きかかえる。ひゅう、と口笛が聞こえ、視線を向けると、後ろの髪の上半分を紐で結んだ男性が壁に凭れて立っていた。この男性もまた、濃紺の服を身に纏っている。


「閨、準備しましょうか?」

「そうだな。勇、よろしく頼む。俺の閨でいい」

「え?」

「承知しましたよっと」


 それと、と紫貴はわなわなと身体を震わせている春水と、尊、正宗、清孝へと視線を向ける。


「陽葉は明日、火葬して埋葬する。それまでは、結界を張って陽葉を保護しておいてほしい」

「いいけどよ、理由を教えてくれ」

「魑魅魍魎どもが好むからだ」


 どういう意味かはわからなかったが、正宗は理解したようだ。承知した、と目を瞑り、頭を下げる。


「では、行こう」


 勇という男性と共に、咲耶は紫貴に抱えられたまま彼の閨へ向かうことになった。

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