咲耶のせい
咲耶を抱えたまま、紫貴は廊下を足早に歩く。
「あ、あの、帝様。おろしていただけませんか」
「それはできない。まだ本調子ではないだろう」
言葉に詰まってしまう。紫貴の言うとおり、本調子ではない。歩くことはおろか、その場に立つことすらできないだろう。
とはいえ、帝である紫貴に抱えてもらうというのは如何なものか。このような場面を誰かに見られれば、不敬と罵られるかもしれない。
すると、後ろから「帝様」と恭一郎の声が聞こえてきた。
「帝様、咲耶はまだ混乱しています。今日のところは」
「わかっています。無理はさせません。ただ、確認と……
おそらく、恭一郎が言いたいのは「お引き取り願えないか」ということだ。だが、紫貴には伝わらず、会話がいまいち噛み合わない。
紫貴を止める術はなく、気が付けばもう玄関まで来ていた。腕の中にいる咲耶で足元が見えないはずなのだが、紫貴はそれを物ともせずに靴を履くと玄関の戸が勝手に開いた。これも帝の力なのかと驚いていると、一人の男性が顔を覗かせる。
紫貴と同じ濃紺の服を身に纏う、左右非対称の髪型をした青年。きっと紫貴の身内──八十神家の者なのだろう。幼さが残る笑顔を見せてはいたものの、咲耶を見て黒い目を大きく見開いた。
「わ、陽葉様にそっくりじゃないですか!」
その声の大きさに咲耶は両肩を震わせ、つい紫貴にしがみついてしまう。
「
「おっと、すみません。でも、これ誰が見ても驚きますって。ねえ、
尊と呼ばれた青年が振り向き名を呼ぶと、暗闇から苛立ちを露わにした男性が姿を現した。濃紺の服を身に纏ってはいるものの、二人とは違い着崩しており、無造作な髪型も相まって近寄りがたい雰囲気を漂わせている。
そんな正宗という男性だが、尊に促されて咲耶を見るとやはりその黒い目を大きく開き、髪を手で掻き上げた。
「陽葉様そっくりじゃねえか! 帝様、これはどういうことだ!?」
「声が大きい。説明は後程。それよりも行くぞ、尊、正宗」
「行くって、どこにだよ」
「神森家だ」
確認したいことがある、という紫貴の言葉は、二人の「はあ!?」と驚く声に掻き消される。
紫貴は最後まで話を聞けと言いたげに息を吐き出すと振り返り、恭一郎と香世子へ軽く頭を下げた。
「恭一郎殿、香世子殿。彼女を……咲耶殿をお借りします」
どんな言葉をかけたところで、もう止められない。そう判断したのだろう、二人は深く頭を下げる。
「……っ、咲耶を、よろしくお願いいたします」
「もちろんです」
恭一郎の言葉に紫貴が力強く頷いた次の瞬間、咲耶が見ていた景色が変わった。
「え!?」
今し方まで目の前にいたはずの恭一郎と香世子の姿がない。
あの一瞬で、一体何が起きたのか。今、自分はどこにいるのか。顔面に当たる風の勢いもすごく、息もまともにできない。目の前の景色はめまぐるしく変わり、再び目が回りそうになる。
ぐ、と奥歯を噛み締めて耐えていると、頭上から「大丈夫か」と声が聞こえてきた。顔を上げると、紫貴と目が合う。
「目を瞑っているといい。すぐに着く」
「は、はい」
言われたとおり、目を瞑る。
何も視界に入れないというのは不安もあるが、目が回るような激しさで移り変わる景色を見続けるよりはいい。
ただ、顔面に当たり続ける風だけは目を瞑っても避けられない。申し訳ないと思いつつ、顔を紫貴の胸側に向けさせてもらう。
息ができるようにするためで、他意はない。けれど、微かに伝わる鼓動、ぬくもりが、心地良かった。
* * *
目を瞑ってから数分後。紫貴が止まった。
着いたのだろうかと咲耶は薄らと目を開けて、顔を前に向ける。そこには、日中に恭一郎達と来た神楽殿があった。
「気分は?」
「あ……大丈夫です。ありがとうございます。あの、どのようにして、ここまで」
「走っただけだ。何も特別なことはしてない」
嘘でしょう、と言いたくなる口を両手で押さえながら、咲耶は紫貴を見上げた。
鉄道でもここまでは速くない。一度、友人の親に乗せてもらったことがある自動車もそうだ。
人間業ではない。神々の血を継ぐ八十神家だからこそ、成せるものなのだろうか。今日は知らなかったこと、驚くことばかりで頭が変になりそうだ。そう思っていると、後ろからぜいぜいと喉を鳴らす音が重なって聞こえてきた。
「はあ……やっと、追いついた。帝様! 俺達のこと、忘れてましたよね!」
「もう嫌だ。俺は今日何もしねぇ。っつーか、恭一郎殿ってあの」
「春水殿の元へ急ぐぞ」
肩で息をする尊と正宗を一瞥すると、紫貴は咲耶を抱えたまま歩き出す。休ませてくれ、と彼らの叫び声が聞こえてくるが、耳を傾ける気はないようだ。
気になって何度か振り向いていると、満身創痍になった身体を引き摺りながら歩いてくる二人の姿が見えた。
「帝様も、お疲れではないですか?」
そう言って、咲耶は視線を紫貴へ向ける。
家から神楽殿までは距離があったというのもあるが、咲耶を抱えてあの二人よりも速く走っていた。
「あれくらいで疲れはしない」
「あ、あれくらい、ですか」
「君も、力の扱い方を知ればできるようになる」
そのときは俺が教えよう、と前を向いたまま視線だけを咲耶に向け、紫貴は微笑んだ。
──つい、まじまじと見てしまう。
初めて見た、紫貴の笑み。どこかあどけなさを感じ、そんな顔をして笑うのかと面食らってしまったのだ。
よくよく考えれば、先日十六歳の誕生日を迎えたばかりのはず。大人と子どもの狭間のような年頃。あどけない部分もあって当然だ。年齢以上に大人びて見えるのは、彼が帝であろうとした証のようなもの。
そこでふと視線に気が付き、我に返る。
視線を向け続ける咲耶を不思議に思ったのか、紫貴が首を傾げてこちらを見ていた。慌てて「ありがとうございます」と礼を言って顔を背ける。
今はそれどころではないと言うのに。それはそうと、と気を取り直す。
紫貴は「力の扱い方を知れば、咲耶もあのように走れる」というような言い方をしていた。てっきり、神々の血を継ぐ八十神家だからできるものだとばかり思っていたが、どうやら違うようだ。
ならば、陽葉は。陽葉も紫貴達と同じようなことができたのだろうか。気にはなるものの、口にはできず。
それからは無言で歩き続け、やがて二人は神森家の広間へとやってきた。
目に入ってきた光景に、咲耶は思わず息を呑む。
中央に白い布団が敷かれており、そこに安置されている遺体。顔に打ち覆いがかけられてはいるが、あの遺体は陽葉で間違いない。
震える両手を胸元で握り締めていると「陽葉!?」と彼女の名を呼ぶ声が聞こえた。振り向くと、そこには咲耶を見て青ざめる男性が立っていた。
その後ろにも濃紺の服を纏った二名の男性。青ざめてはいないが、二人とも尊と正宗と同じように目を丸くしていた。
「春水殿、落ち着いてください。彼女は藤村咲耶。貴殿が楓殿に間引くように言った、陽葉の片割れです」
「あのときの忌み子ですか!? 何故生きて……いや、そんなことはどうでもいい。よくぞ生きていた!」
青ざめていたはずの顔はいつの間にか紅潮しており、春水は興奮気味に咲耶と紫貴の元へやってくる。
「私も心を痛めていたのだ、巫でありながらも忌み子であるがために間引かなければならなかったことを。だが、生きていた! これで巫は失われない! そうだ。陽葉がいなくなった今、忌み子はひ」
「言葉はよく選ぶことだ。そこに陽葉がいるのですよ」
紫貴の冷たい声が、広間に響く。その声に興奮も一気に冷めたのか、再び顔を青ざめた春水が後ろへ下がった。
──信じられない。咲耶の胸中は、そんな想いでいっぱいだった。
こんな、こんな身勝手な男が実の父親など。
「春水殿、陽葉の顔を見ても?」
「は、はい。もちろんです。見てやってください」
「咲耶、陽葉の元へ行こう」
紫貴に抱えられたまま、眠る陽葉の元へと向かう。
頭上では香炉が置かれ、線香が立てられていた。立ちのぼる煙、微かな香りが僅かに心を落ち着かせてくれる。
陽葉が眠る布団の傍に下ろされると、咲耶のすぐ隣に紫貴が座った。二人は正座し、姿勢を正して両手を合わせると、目を瞑る。
手を両膝の上に置いたところで紫貴が咲耶に頷き、打ち覆いをゆっくりと取った。
「あ……」
眠るのは、自分の片割れ。
これまで、直接会ったこともない、話したこともない。
そのはずなのに、顔を見ただけで何かを感じ取ってしまうような、そんな感覚に囚われる。
「陽葉様は……どのような方だったのでしょうか」
「よく頑張っていた。百年ぶりの巫、その責任は重かったはず。それでも、弱音は吐かなかった。巫である自分を誇りに思っていた」
「……誇り」
帝様、と後ろから呼ばれ、紫貴はそちらを振り向く。
咲耶も両膝の上に置いている手に視線を向けた。少ししか聞けていないが、陽葉は強い人だったのだろう。
一度、話してみたかった──と思ったそのときだった。
白い手が、咲耶の手を強く掴んだ。
ひゅ、と喉が鳴る。まさかと陽葉を見れば、瞑っていたはずの目が開き、咲耶を見ていた。
紫貴を呼ぼうとするも、咲耶の視界が徐々に暗くなり、周囲の音が消えていく。そうして拡がった暗闇は、咲耶と陽葉以外を呑み込んだ。
息苦しくなるほどの暗く冷たい闇。冷や汗が頬、首筋と伝っていく。浅い呼吸を繰り返していると、陽葉が身体を起こした。
白装束の腹部辺りが赤黒く染まっている。その場から逃げたくなるが、手を掴む力が強く離すことができない。
「私が双子だなんて知らなかった。あなたが私の片割れ?」
もう片方の手が咲耶へ伸びてくる。そして、咲耶の首を掴んだ。
「忌み子のお前が死んでいれば、私は力を得られていたはずなのに。死ななかったはずなのに! お前のせいだ、お前のせいで私は死んだんだ!」
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