出自と願い

「帝様!」


 恭一郎が姿を見せ、紫貴しきの近くで片膝をつき頭を垂れる。香世子もそれに倣い平伏するも、咲耶は痛みから起き上がることすら叶わない。

 こんな夜に、どうして帝が家に。夢ではなかったとは、一体──。


「う、あ、あぁぁぁあぁ!」


 疑問など抱いている暇などないと言わんばかりに、鋭い痛みが襲う。叫び声を聞いて顔を上げた香世子が背を撫でてくれるが、そのぬくもりすら掻き消されるほど。

 いつになれば、どうすれば、この痛みから解放されるのだろうか。

 もう、これ以上は耐えられそうにない。汗か涙かもわからない水滴が頬を伝ったとき、咲耶の視界に濃紺の服が入ってきた。

 視線だけを上げれば、そこにいたのは紫貴。

 彼は咲耶の涙を指で優しく拭うと、香世子があてていた布を取った。その際に痣を目にしたからか驚いたような表情を浮かべたが、すぐに平静を取り戻し、左手をあてる。その手は、香世子が用意してくれた布のようにひんやりとしていた。


「これで和らげばいいのだが」


 静かであたたかみのある、耳当たりの良い声。

 何をするつもりなのだろうか。あてられている左手はひんやりとしているが、と思っていると、不思議なことにじんわりとあたたかくなってきた。

 どういう原理なのか、何が起こっているのか。そのぬくもりは、じわじわと身体に浸透していく。左手があてられているところから、ゆっくりと湯をかけられているようだ。

 今は全身がぽかぽかとして熱い。痛みは和らぐどころか綺麗に消え、あれだけ苦しめられていたのが夢だったのかと思うほど。

 これが、神々の血と力を継ぐ、帝の力。


「まだ痛みはあるか?」

「い、いえ、ありません。ありがとうございます」

「そうか」


 紫貴は咲耶の首の後ろに置いていた左手を離した。ぬくもりが広がっていく感覚はなくなったものの、身体は熱を持ったまま。


「咲耶、もう大丈夫なの?」

「はい、ご心配をおかけしました」

「よかった……! 帝様、娘を助けていただき、本当に、本当にありがとうございます……!」

「礼には及びません。頭を上げてください」


 涙を流しながら再び平伏する香世子に、紫貴が声をかけている。咲耶も寝転んでいる場合ではない。

 急いで起き上がるも──視界が歪んだ。家が激しく回っているようで、平衡感覚が保てず、身体がうまく支えられない。目が回りそうだと瞼を閉じるも、気分の悪さは残る。ぐらりと大きく後ろに揺らいだところで、肩を抱かれた。

 香世子だろうかと目を開ければ、そこには紫貴の顔。紫色の瞳が、咲耶を映していた。


「……っ、す、すみません」


 痛みから救ってもらったというのに、またしても。さあっと血の気が引いていくのがわかる。


「やはり、あれは導きだったんだな」

「え?」

「今日、神楽殿で目が合っただろう?」

「あ……そ、そうですね」

「目が合っていなければ、春水殿の言葉は信ずるに値しなかった。ここへ来ることもなかった」


 そう言って紫貴はゆっくりと咲耶の身体を起こすも、肩を抱く手は離れない。本調子ではない咲耶を気遣い、支えてくれているのだろう。紫貴がここへ来てから、手を煩わせてしまってばかりだ。

 申し訳ない気持ちでいっぱいではある。しかし、今はそれよりも気になることが上回った。

 紫貴がここへ来た理由だ。言葉の意図がわからず、咲耶は彼の横顔を見つめた。

 目が合っていたから、神森家当主である春水の言葉を信じて、ここへやってきたとは。

 視線に気が付いたのか、紫貴の紫色の瞳が再び咲耶を映した。何かを感じ取ったのか、気まずそうに視線を逸らし、口を開く。


「数時間前のことだ。陽葉……かんなぎが、身罷みまかられた」

「今日、とても綺麗な神楽を舞われていた方ですよね? 何があったのですか?」

「喰い殺された。俺は……彼女を止められなかった」


 ぐ、と紫貴は奥歯を噛み締め、悔しさを滲ませる。喰い殺されたとなると、魑魅魍魎を相手に戦っていた最中の出来事だったのだろう。共に戦ってきた仲間を助けられなかったことは、紫貴にとっても辛く、悲しいはずだ。

 咲耶も巫である陽葉の死に驚きを隠せない。──ただ、点と点は繋がらず、紫貴の意図はわからないまま。


「……巫がいなくなったからこそ、出た言葉なのだろう。まずは娘の死を悼むべきだとは思うが」

「春水様、ですか?」

「ああ。春水殿が言っていた。間引かなければ、代わりはいたのだと」


 思わず息を呑んだ。

 子どもの死を、身内の死を嘆かない者はいない。されど、春水の場合は違う。

 娘の死を嘆いているのではない。のだ。


(それに……間引かなければって)


 間引く。それは、誰かの命を奪ったということ。

 その人物が存命であれば、陽葉の代わり──つまりは、巫の代わりはいたと、春水はそう言っているのだ。

 理解に苦しむ。間引くと神森家が決めておきながら、陽葉が亡くなった途端にその命を惜しく思うなど。

 でも、と咲耶の中に疑問が一つ浮かんだ。

 間引かれたその者は、巫の代わりになることができた。となると、その者もまた巫ということになる。

 では、貴重な存在のはずの巫が間引かれたのは、何故。


「先代からは何も聞いていない。春水殿を問い質せば、十八年前、奥方だった楓殿が間引き、その遺体は当時帝都の守護隊長を務めていた恭一郎殿が埋葬したと言っていた」


 逸らされていた視線が、咲耶へと戻される。

 ドクン、と心臓が跳ねた。


「それを聞いて、飛び出してきた。目が合った君は、陽葉に瓜二つだったからだ」


 俺も春水殿のことは言えないな、と紫貴は目を伏せた。

 ここへやってきた際の紫貴の第一声を思い出す。そのあとも、彼は目が合ったことを導きだと、そう言っていた。

 点と点が、繋がっていく。紫貴に向けていた視線を、ゆっくりと恭一郎へと向けた。何かの間違いだと、信じられないと。

 けれど、恭一郎は眉間に皺を寄せ、拳を強く握ると絞り出したかのような声でこう言った。


「……十八年前の夜。私は楓様から咲耶を託された。忌み子と呼ばれようと、大事な娘なのだと」


 香世子を見れば、役目を終えた布を握り締めながら、ほろほろと涙を流していた。

 全身から力が抜け、あれだけあたたかかった身体が冷えていくのを感じる。

 浮かんだ疑問について、思い当たる風習が一つあった。遥か昔からある風習。その最古は、ヤマトタケルだと言われている。

 双子は不吉の象徴であり、片方は忌み子と呼ばれ、捨てるか間引く──というもの。

 それは当たっていた。咲耶は間引かれるはずだった陽葉の双子の片割れであり、忌み子であり、巫。

 首の後ろにある痣は紋様なのだろう。火を操れること、植物の力を借りて怪我を治癒できること、それらもこれで説明がつく。どのような神を依り憑かせているかまではわからないが。

 だが、このような事実、すんなりと受け止められるはずがない。

 震える両手を胸元で握り締め、首を横に振る。咲耶、と恭一郎と香世子から名を呼ばれるも、首を横に振り続けた。

 胸が苦しく、うまく呼吸もできない。浅い呼吸を繰り返していると、咲耶の肩を抱いていた紫貴の手に力が込められた。


「落ち着け。本当の両親ではなかったとしても、過ごしてきた時間や君へ向けられた愛情……それらはすべて本物だ」

「──っ、わかっています!」


 厳しくもあったが、愛情は本物だった。血が繋がっていないというのに、大切にここまで育ててくれた。何より、今も咲耶を本気で心配してくれている。

 そうわかっていても、心臓の奥が痛む。

 目の前にいる二人が、本当の両親ではなかったことに。明かされた出自に。


「咲耶、これまで黙っていて悪かった。巫としてではなく、一人の女性として幸せになってほしい。その楓様の願いを、私達は叶えたかった。だから……」

「春水殿には虚偽の報告をし、彼女には黙っていたのですね」

「はい。神森家に近付かせないようにと、神楽殿へ行くこともさせませんでした。……ですが、運命には抗えなかった」


 咲耶、と恭一郎に名を呼ばれる。優しくも、悲しげな声で。


「楓殿が、私が、香世子が、どれだけ一人の女性としての幸せを願っても、咲耶は巫なのだな」

「君はどうしたい」

「わ、わたし、ですか」

「生みの母、育ての親からの願いを受け、一人の女性としての幸せを享受したいか。それとも、巫として生きていくか」


 まだ己の出自すら受け止めきれていないというのに、無茶なことを言う。咲耶は素直にそう思った。

 どうしたいかと問われても、どうすればいいのか、どうしたらいいのかわからない。

 これまで生きてこられたのは、生みの母である楓が咲耶を間引くことなく、恭一郎に託してくれたからだ。その楓が「一人の女性としての幸せ」を願ったのであれば。恭一郎も香世子もそう願うのであれば。咲耶はその願いを叶えなければならないのではとも思う。

 ──だとしても、それでいいのだろうか。

 知らなかったとはいえ、双子の片割れであり巫でもあった陽葉は、一人でその重責を担い、最期は喰い殺されてしまった。

 忌み子であれど、同じ巫なのであれば。咲耶は陽葉が担っていた重責を担う番なのではないか。


(わからない。これまで何もしてこなかったわたしが、巫として何かできるとも思えない)


 もとより、このような考え自体が烏滸がましいのではと唇を噛んだ。何せ、咲耶は忌み子だ。

 返答に困っていると、紫貴が「恭一郎殿」と口を開いた。


「痛みが出たのは数時間前ですか?」

「そうですね、大体そうだったと記憶しています」

「首の紋様に変化はありますか?」

「はい。元々は、中央あたりに円があり、その円の下、左上、右上にそれぞれ葉のような紋様があったのですが、あの痛みが始まってからは」

「円が二重になり、円の上、左下、右下に葉の紋様が増えた」


 仰るとおりです、と恭一郎が頷く。

 二人の会話を咲耶はぼんやりと聞いていた。初めて首の後ろにある紋様がどんなものかを知ったが、それも紋様が増えたとは。

 もう驚く気力もない。情報過多もいいとこだ。息を吐き出そうとしたとき、咲耶の身体が紫貴によって抱き上げられる。


「え!?」

「神森家へ向かう。確かめたいことがある」

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