夢か現か

 咲耶達が去った頃、神楽殿かぐらでん周辺では大騒ぎになっていた。

 その騒ぎの中心にいるのは、神楽殿から下りてきた一人の青年。彼は人々の騒ぐ声には反応を示さず、ただ一点を紫色の瞳でじっと見つめていた。

 あれは、夢かうつつか。どちらなのだと、そう思いながら。


「帝様! もう、何で勝手に走っていっちゃうかなあ!」


 これだけ騒がしくても聞こえてくる声に、帝──八十神やそがみ紫貴しきは静かに振り向いた。

 人混みを掻き分けてやってきたのは、紫貴と同じ八十神家の一人、たける。眉間に皺を寄せ、地面を強く踏みつけながらこちらへ向かってくる。


「すまない」

「ああ、もう! みんな魅了されちゃってるじゃないですか!」


 大きく両手を広げる尊に、紫貴はようやく辺りに目を向けた。性別関係なく、人々の目は蕩け、頬を紅潮させている。尊の言うとおり、魅了された状態。どうりで騒がしいわけだ。

 つくづく、自分は普通の人間ではないのだと思い知らされる。

 神々の血を継ぐ八十神家。中でも、色を持って生まれた紫貴は権能を持ち、神々の力をも継いでいる。だからなのかはわからないが、神力を持たない普通の人間は紫貴を見るだけでこのように魅了されてしまう。


「早く離れましょう! それと、帝様。舞が終わったあと、お声もかけずに飛び出したでしょ。めっちゃ怒ってますよ、陽葉ひよ様」

「……行きたくない」

「行きたくない、じゃないです。行きますよ」


 陽葉様の機嫌は帝様しか取れないんだから、と尊は紫貴の後ろに回り、背中を押し始める。

 神森かみもり陽葉。神々に仕える巫覡ふげきの者である神森家に生まれた、百年ぶりのかんなぎ。その証として、首の後ろの中央あたりに円があり、その円の上、左下、右下にそれぞれ葉のような紋様がある。

 正直、かける言葉はない。いや、正確に言えばあるのだが、それは火に油を注ぐことになるのが目に見えているため言いたくない。言いたくないが、言わなければならないような気もしていた。

 

 しかし、何と切り出すか。背中を押されながらうんうんと悩んでいるうちに、神楽殿へ戻ってきてしまった。怒り心頭に発する陽葉が、紫貴の姿を見て目をつり上げる。


「紫貴! どこへ行ってたの!? せっかく私が神楽を舞って太陽の姿を見せたというのに! 一言もなく飛び出して行くなんてありえないわ!」


 金切り声が響き、耳を塞ぎたくなる。尊は後ろで「うるさっ」と呟き、周りにいた者達も陽葉の声に顔を顰めていた。


「それで、どうだった? 私の神楽。貴方が見てくれているから、頑張ったのよ?」


 得意げな顔でそう話す陽葉に、思わず眉を顰めてしまう。

 自分が何を言っているのか、まるでわかっていないと。紫貴は溜息を吐き、神楽殿の奥にある自身の椅子へ腰掛けた。

 やはり、言わなければならない。極力言葉を選ぶつもりだったが、もはやその必要もなくなった。はっきりと言わなければ、陽葉は変わらないだろうと判断したのだ。当の本人は、紫貴の態度が気に入らないようで、苛立ちを露わにしていた。

 陽葉を更に怒らせたぞ、と周りの空気が凍り付くが、特に気にはならない。そもそも、怒ること自体が筋違いなのだ。紫貴は平然とした態度で口を開いた。


「あの神楽に、陽葉の祈りは込められていなかった」

「どういう意味?」

「今し方、陽葉が言っていた。俺が見ているから頑張ったのだと。神楽は俺に捧げるものではない。神々に捧げるもの」


 そこで一息を置き「陽葉がしたことは公私混同そのものだ」と告げると、彼女は顔を真っ赤に染めて俯けた。

 きっと、胸の内は怒りと羞恥心が渦巻いているだろう。が、誰もが太陽へ、天照大神へ祈りを捧げる中、何を考えているのかという話だ。歴代の巫が、巫覡の者達が聞けば呆れることだろう。

 今一度自分を見つめ直すべきだ、そう思っていると「お待ちください」と一人の男性が声をあげた。

 口を挟んできたのは、彼女の父親であり神森家当主の春水しゅんすい。紫貴が視線を向ければ一瞬たじろいだものの、彼は太陽に向けて右手を伸ばし、口を開いた。


「実際に、太陽は……天照大神様はお応えくださいました! それがすべてでは?」

「春水殿。本当にそうお思いか?」


 娘を庇うのもいい。いいが、巫覡の者最後の一家のその当主として。

 本当にそう思うのか。紫貴は紫色の瞳を細めた。

 春水が汗を垂らしながらその口を噤んでいると、これまで黙っていた陽葉が「もういい!」と叫んだ。


「もういい、もういい! 私を馬鹿にして!」

「陽葉、俺は馬鹿にはしていない」

「馬鹿にしてるじゃない! 今日だって、私が神楽を舞ったから、捧げたから、太陽が見れたのに!」

「違う」

「じゃあどうして? どうして太陽が見れたの? ねえ!」


 わからない。わかるのは、陽葉の神楽に応えたわけではないということだけ。

 実際、神楽を舞い始めてから太陽が姿を現すまで、これまでより時間がかかっていた。推測だが、神楽では足りていなかったのだろう。その足りていなかった何かをで補うことで天照大神が──と思考を巡らせていると、陽葉は鼻で笑い、腕を組んだ。


「ほらね、答えられない。私よ、私の神楽のおかげ! それでも信じられないというのなら、今日は魑魅魍魎が出たら私が全部退治するわ。私の力を証明してあげる」


 行きましょう、と春水に声をかけ、二人は神楽殿から去って行った。嵐が去った後のような静けさだけが残る。

 結局、言葉にして伝えたところで、陽葉には何も伝わらなかった。火に油を注ぐことにはなるだろうとは思っていたが、ここまでとは。

 おそらく、魑魅魍魎が出たら自分に言えと、帝都の守護隊にも伝えていることだろう。陽葉の言いつけは無視してくれていいと言いに行かなければならない。陽葉一人で退治するなど、あまりにも危険すぎる。

 なんてうまくいかない。そんなことを思いながら本日二度目の溜息を吐くと「帝様」と声をかけられた。声のした方向へ視線を向けると、八十神清孝きよたかが神妙な顔でこちらを見ていた。


「陽葉様の」

「っつーか、帝様よ。太陽が姿を見せたのは、本当に陽葉様の神楽じゃねえのか?」


 強引に割り込んで話し出したのは八十神正宗まさむね。嫌そうな顔をしている清孝の少し離れたところで、尊も激しく頷いている。


「正宗、言葉遣いを改めろと何度も言っているだろう。それに、それは私が話そうとしていたことだ。……というわけで、帝様。私も正宗と同意見です」


 正宗と清孝の言葉に、紫貴は腕を組む。


「神楽にまったく応えていないというわけではない。ただ、あの神楽を補う何かがあったから応えてくれたのだろうと、俺は考えている」


 何かってなんだ、と首を傾げる正宗に「わからない」とかぶりを振りながら答えた。本当にこればかりはわからないのだ。


「では、その話は一旦置いておきましょう。太陽の姿は拝めましたから。……何故、我々に声をかけずに飛び出していかれたのですか?」

「それな。俺ら本当に焦ったんだぞ」


 清孝の言葉に肩を竦めながら賛同する正宗と、またしても尊が激しく頷いていた。


「可愛い女の子でもいたのかな? 帝様も十六歳。お年頃だしね」

「……いさみ


 今までどこにいたのか、紫貴の隣から顔を出した八十神勇は、ニコニコと笑みを浮かべていた。清孝は勇の言葉に「無礼だぞ」と眉間に皺を寄せている。

 行き先も告げず飛び出してしまったのは申し訳なかったと思う。この四人──八十神家の中でも手練れであり、信用も信頼もしている彼らには話しておいたほうがいいのかもしれない。

 陽葉に似た、いや、と。

 普段であれば、魅了のことも気にして何も見ないようにしている。だが、何故だか今日は何かに導かれるように視線を向けてしまい、その先に彼女がいた。

 夢か現か。どちらか知りたくて、魅了のことなど頭になく走り出していたという、何とも恥ずかしい話だ。

 それに、と紫貴は目を伏せる。落ち着いた今だからこそ、他にも気になることが浮かんでいた。

 彼女と確かに目が合っていたはずだが、それにもかかわらず魅了されているように見えなかったのだ。

 つまり、陽葉や八十神家の者達のように、神力を持っている可能性がある。

 ただ、そのようなことがありえるのだろうか。巫覡の者でもない、八十神家の者でもない、普通の人間が神力を持つことなど。

 調べた方がいいような気がする。けれど、調べたとして。そのあと、どうしたいのか。

 紫貴は小さく息を吐き出した。まったく頭の中が整理できていない。瞑っていた目を開ける。


「初めて見る小鳥がいたから、つい追いかけてしまった」

「なるほど。それならば仕方ありませんね」

「清孝さんってさ、帝様のことになると馬鹿になるよね」


 うるさい、と清孝に頭を叩かれる尊に、紫貴は口元を綻ばせる。正宗と勇はやれやれといった様子だ。

 尊も、清孝も、正宗も、勇も。紫貴が嘘をついていることはわかっているはず。それでもこうして何も言わないのは、信頼し、信用してくれているからだ。

 今は話せなくとも、いつかは話してくれると。

 そう、いつかは話す。自分の中で考えがまとまりさえすれば。

 気になること、考えなくてはいけないことが多いが、今はまず目の前のことを。紫貴は立ち上がり、今度は「守護隊のところへ行く」ときちんと告げ、彼らと共に向かった。

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