社宅に住まない社員

世楽 八九郎

社宅に住まない社員

 これは人事部で務めている僕が産休明けのK先輩から聞いたお話です。

 ゴールデンウイークも終わった5月の中頃だったと思います。K先輩から頼まれごとをされたんです。それは来年度の新入社員用に社宅を探すというものでした。

 弊社では賃貸を借り上げて社宅として社員を住まわせているんです。全額ではないですけど家賃補助付きで。

 僕が付き合いのある不動産屋さんに連絡して部屋を探してもらおうかと思案しているとK先輩が『そうそう』と注文を付け加えてきたんです。


「出来たらでいいんだけど……Sさんに引っ越しの打診してみてくれない?」

「Sさんですか? 工務部の?」

「そう。OK貰えたら、新入社員の部屋と一緒に探してみて欲しいなぁ、って」

「はあ……」


 Sさんというのは3年ほど前に中途で入社した30台の男性です。前職から工務関係の仕事をしている快活な方でその仕事ぶりはちゃんとした人です。

 ただ、苦手な人は付き合うのはちょっとしんどい、そんなタイプでした。実際小さなトラブルの噂なんかは別拠点にいる僕たちの耳に入ってくることもありました。


「分かりました……けど、理由聞いていいですか?」

「う~ん、Sさんね、社宅に住んでないんだ」

「そうなんですか?」

「そう。おまけにお墓のそばに住んでんのよ、安いからって」


 K先輩はそれだけ言って『これから打ち合わせだから』と去ってしまいました。僕は面倒ごとを押し付けられたなと思いながらも社員台帳を確認することにしました。

 Sさんの住所を確認して地図検索してみると、確かに道路を挟んで小さな墓地がありました。続けて住宅情報サイトでその周辺を検索すると、Sさんが住んでいるアパートがヒットしました。


「確かに安いか……」


 その部屋は少し変わった間取りながら広めで比較的築浅ちくあさにも関わらず周辺の賃貸と比べて1万円以上は安いように思えました。それこそ空いているのはラッキーだと思えるような物件でした。


「気にする人は、まあ気にするか」


 それでも空室があるのはやっぱり墓地が近いからかもしれない。僕だって積極的にこの部屋に住もうとは思わないだろうし社宅として借り上げることもしないだろう。

 一方で気にしない人は平気で暮らすのだろう。そう思いつつ僕は固定電話の受話器を持ち上げました。


「――はい、ありがとうございました」


 Sさんとの電話を終えて一息ついて肩の力を抜いた。Sさんはやはり勢いのある人で、忙しいなか対応してくれたことはありがたかったけど、少し疲れた。

 引っ越しの提案については断られました。墓地についてこちらが触れた時も『別に墓に対して嫌悪感みたいなものはない』そうこともなげに流したSさんのお断りの理由は異動があるかもしれないからという真っ当なものでした。


「うーん……」


 ただ一つ気になることがあった。Sさんは家賃補助を満額貰っていたのです。

 社宅でない賃貸に住んでいる社員はSさん以外にも当然いるのですが、彼らが受け取っている補助金は社宅住まいの社員のそれと比べると少なく設定されています。

 けれど、Sさんだけは社宅住まいの社員と同じ額を受け取っているようでした。それを知ってか知らずかSさんは引っ越す必要を感じていないようでした。

 煮詰まった僕は席を立ち、飲み物を買いに行くことにしました。


「お疲れ様~」

「あっ、Kさん」


 自販機の前にはK先輩がいました。

 僕が飲み物を選んでいると彼女は無言で500円硬貨を投入してきました。彼女へ振り向くと先輩はじっとこちらを見つめ返してくるだけでした。

 一方的に『これで貸し借りなしだ』と言わんばかりの彼女の態度に辟易へきえきしながら僕はジュースのボタンを押しました。炭酸水を買おうと思っていたけど、それじゃ損だと思い直したのです。


「……ねっ、聞いた?」


 シュッ、とプルタブ音を立てた缶ジュースを勢いよく喉に流し込む僕にK先輩が訊ねます。缶ジュースを一気に呷ってから僕は断られたこととその理由を告げました。


「そっかぁ~、工務なんだから異動なんてまずないのにな~」


 大げさにガックリして見せるK先輩は顔をふるふると左右に振ってから小さく舌打ちを漏らしました。ふわふわした言動とのギャップが少し気味が悪かった記憶がいまも残っています。

 だからなのか、僕は少し踏み込んだ質問をしました。


「Kさん、Sさんの家賃補助アレなんですけど、どうしてSさんだけ?」

「ん~?」


 と濁したSさんの事情について尋ねる僕の様子をしばらく眺めたK先輩は合点がいったのか、少し気まずそうに笑った。


「私がね、Sさんに社宅の話を伝え忘れたからなんだよ」

「え? えっ?」

「産休前でバタバタしてたから、思い出したころにはSさんあそこを借りてたんだ」

「え……それで?」

「うん。部長に、ちょっとね……お願いして」

「あー」

「入社前から『何でそこに?』ってSさん周りに不思議がられてちゃってさー」


 人事としては出来るだけ公平に接し、波風立たないよう、立てないよう新人を会社に馴染ませないといけないところをK先輩は思い切りミスをしたのだ。

 こういうことが積み重なって、忘れた頃に変な噂や不正だなんだという内部通報になって人事部僕たちの下にやってくるというのに。 


「だからね? あんまり触れ回らないで、ね?」

「分かりました」


 こんなこと知ったところで社内の誰も得をしない。僕が頷くとK先輩は愛想のいい笑顔を浮かべて去っていった。


「……げぷ」


 ジュースのせいか、大きなげっぷが出た。

 僕はK先輩が苦手だ。

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社宅に住まない社員 世楽 八九郎 @selark896

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