7

「お嬢様。ダレル殿下がお越しになりました」

「ええ? 先触れも無しに?」

「旦那様の帰宅と共に参られました」

「……父が了承しているのなら、お会いするほかないですわね」

 折檻はそこで終わりになった。女は近侍として場に控えさせる。


「見てくれ! 完成したんだ!」

「はあ……」

 殿下が意気揚々と掲げる。布に包まれた四角い何か。恐らくキャンバスか何かだ。布をさっと取り払う。その動作も格好をつけて見えて、なんだかなあと思わされる。



「これは……」

「ワオ、セクシー!」

 言葉がすんなりと出てこない。弟がはやす中、父は無言で青筋を立てている。眉間には深いしわが刻まれていた。

「あの時描かれていたスケッチを元にされたのですか」

「ああ! よく描けているだろう! ぜひ飾ってくれ!」

 殿下が見せびらかすのは、人魚の絵だ。スケッチよりもさらに精緻になり、心なしか肉感も増した気がする。そして、色がついたことでより一層誰をモデルにしたかがわかるようになっていた。


「いやああぁぁぁ!」

 父が何か言う前に、女の叫び声が響いた。

「なんだ、うるさいな君」

「殿下、殿下どうして」

 女に哀れな声を出されて訴えられても、殿下はきょとんとしていた。

「殿下。彼女、メグですわ」

 メイドがかつて寵愛した女だと気づいてないようなので、それを教える。教えたが首をひねっている。

「彼女の家が没落したようなので、うちで雇ったのです」

「ああ。そうなのか……それより、この絵なんだがよく描けてると思わないか?」

 メイドになった女のことなどもうどうでもよいらしい。この男は自分の興味のあるものしか目に入らないのだ。女はその場で倒れかけたので、他の使用人に回収されて外に出された。



「殿下。こちらの絵は我が家に賜るということですか」

「そうだ。ぜひ、飾ってみんなに見せて欲しい!」

 父が青筋を立てながら殿下に問う。殿下はその様子を気にも留めず、堂々と言ってのける。

「ぜひ居間などに飾って欲しい!」

「飾る場所は後で決めましょう。おい、運んでくれ。殿下、この後は両陛下と共に会食がおありのはず。お見送りを」

 父はとりあえず絵を受け取って、殿下を追い出すことにしたようだ。

「いや、会食といっても私が出なければいけないということは」

「いけませんな。お勤めはきっちり果たしませんと」

 逃がさんぞと父の内心の声が聞こえた気がした。そして殿下は追い出された。


「お父様。以前、私が言っていたことご理解いただけました?」

「ああ。いかに仕事に向かわせるかが大事だな」

「画力は凄いけど、モデルにされた方は堪ったもんじゃないねー!」

「まったく、人の娘をなんだと思ってるのか……」

「なんだとも思っておられませんわ。あの人にとっての女性は自分の欲を満たすための対象でしかないんでしょう」

 そう言うと、父は深い溜息を吐いた。

「あれが王太子でなくて本当に良かった……!」

「すげー実感こもってるー」

 父の言葉にアドルファスは笑いをこらえている。




「あり得ないあり得ないあり得ない……何なのよあの女ぁ」

 本棚の向こうから声が聞こえる。

「すんなり落ちぶれなさ……ぎゃあああああ!」

 本棚が倒れ、悲鳴が聞こえてきた。様子を見に足を向けた。


「あら、お気の毒ね」

 あの厄介女が本棚に下半身をつぶされていた。

「あんた……あんたがやったの⁉」

「あら。そんなわけないでしょ。自分で手を下すなど、下々の人間じゃありませんし」

 見下ろしながら言ってやると、悔しげな眼とかち合う。


 まだわかっていないようなので、重ねて言ってやる。

「あなた。本当に詰めが甘かったわね。どんなに相手を陥れようとしても、こうやって不運が起きれば画策したことも水の泡。おかわいそうに」

「不運……これが不運ですって⁉」

 なんだ。わかってるじゃない。

 周囲には人気がない。こんな騒ぎになりそうなことが起きたのに、静かなものだった。


「本当におかわいそうにね。その足、治るのかしら。でも、口だけペラペラ動かされても煩わしいわね」

 さて、舌の動きを鈍らせるには何がいいのか。つい考えてしまうが、それを考えるのは私の仕事ではない。

「それでは、お体にお気をつけて、お元気でね。ごきげんよう」




 前世で失敗したのは、自分の手を汚したからだ。人を操るだけの立場も作れていなかったし、自分の立ち位置を確かめる余裕もなかった。

「姉上、何考えてるの?」

「……私、どこかの後妻にでもおさまろうかしら」

「ええ? どういうこと?」

「私、やっぱり権力者の妻になってあくせくするのはとても疲れると思ったのよ。此度、ゆっくり休んでみて、すごく楽だったわ」

「ええ~~~だからって後妻?」

 脳裏に思い出されるのは、後妻業という言葉だ。

「たつものもたたないご老人の後妻におさまって悠々自適の生活を送りたいわ」

「何それ!」

 弟はワッハッハッハ! と大声で笑った。

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元極悪人令嬢のバカンス カフェ千世子 @chocolantan

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