恐怖の北海道旅行

子鹿なかば

恐怖の北海道旅行

あれは、大学2年生の夏休みでした。


私は当時付き合っていた彼女と3泊4日で北海道へ旅行しにいくことに。


目的の場所は知床。


小さい頃からずっと行きたいと思っていた知床へ、はじめての彼女と行けることを私はとても楽しみにしていました。


旅行当日。羽田から飛行機で女満別空港に到着。1日目は空港近くを観光しました。


2日目。いよいよ目的である知床国立公園へと向かいます。


女満別空港から車で約2時間。


道中で昼食をすまし、着いたのは午後1時頃でした。


知床国立公園は東京ドームが15,000個以上も入る広大な大自然。


私たちが訪れたのは、公園の玄関口として位置している「知床自然センター」という施設でした。


そこは知床の自然を堪能できる場所として、トレッキングコースが用意されていました。


駐車場に到着した私たちは、早速トレッキングコースを歩いてみることに。


歩いたのは森の中を散策する30分ほどのコース。周囲の木々や雑草がぎっしりと密集し、人一人がやっと通れるほどの狭さでした。腰の高さほどの草がかき分けながら私たちは進んでいきます。


当時は9月の下旬。知床の気温は15度ほどで肌寒い季節でしたが、次第に汗がじんわりにじんできます。


ざっざっざっざっ。


歩いているのは私と彼女の二人だけ。静寂の森の中を足音だけが響いていた。


ざっざっざっざっ。


すると、


ガサガサガサ


近くから物音がする。


「なんだ?」

「こわいこわい」

後ろを歩く彼女も怖がっている。


ガサガサガサ


あたりを見回すと、5mほど先の草木が揺れている。


そこからあらわれたのは、


「なんだシカだ」


大きな角の生えた1頭の野生のシカだった。


シカは私達を一瞥すると、興味なさそうにそのまま通り過ぎていった。


「ふぅー、びっくりした」


一度休憩をはさみ、再び私たちは歩き出した。


コースは残り半分。


腰の高さほどある草に覆われた歩道を、かき分けながら進んでいく。


ざっざっざっざっ。


静寂の森の中を進んでいると、


ぐるぐるぐるぐる〜〜っ!


唸るような低くて太い声があたりに響いた。


えっ、なんだ?


直感で危機を感じ、恐怖で足が凍りつく。


すぐ近くから聞こえたが、声の主は見えない。


この声は、クマだ。


トレッキングコースに入る前、いたるところに「クマ注意」という看板があった。秋のこの時期は冬眠を前にクマが食欲旺盛で気が荒いらしい。


売店には熊よけのグッズもあったが、甘く考えていた私は、何も購入していなかったことを後悔する。


血の気がいっきに引いていく。


周囲には私たち以外誰もいない。彼女と私、そして姿の見えないクマ。


「やばい、逃げよう!」


彼女の手をつかんで早足で歩き出す。


「えっ?えっ?どうしたの?」


「クマがいる。さっきの声きこえたでしょ?」


「えっ?クマ?うそ?」


彼女は聞こえていなかったのか、クマの存在に気づいていない。私がしっかりしなければ。


彼女の手を強くひっぱり先へと進む。


「急ごう!早く!」


クマと遭遇したら背中を向けたら行けないと言われるが、クマの姿が見えない私はとにかく前に進むしかなかった。


はぁはぁはぁっ


いつクマが草むらから飛び出してきてもおかしくない状況だ。


このままではやられるかもしれない、そう思った私は


「わーっ!わーっ!わーっ!」


持てる限りの声量で叫んだ。


「え?どうしたの?」


「クマと遭遇したときは大きな音を出すと良いらしい。わっ!わっ!わっ!」


恥ずかしさなんて二の次だ、今は命が最優先だ。


彼女とともに絶対生きて帰るんだ。私は全力で声を張り上げた。


はぁはぁはぁ


死が迫ってくる恐怖から逃げるように、必死に歩を進めていく。


歩き続けて10分ほど、ついにトレッキングコースのゴールが見えてきた。まだクマは姿を見せていない。


はぁはぁはぁ、あと少し!


全身に汗をかきながら、ついに森を抜け出すことができた。


開けた場所に到着する。売店と広大な駐車場が目に入ってきた。


「助かったぁ!死ぬかと思ったぁ!」


緊張が一気に解け、その場に座り込む。


「疲れたー」


彼女も膝に手をつきながら、荒れた息を整える。


終始緊張感のなかった彼女に私は怒りを感じながらも、なんとか生きて帰ってこれたことにほっと一安心した。


それから私たちは、売店で休憩したのち、車に乗って別の目的地へと向かう。


「いやぁ本当に怖かったね、ぐるぐるぐるーって言ってからさ、あれは絶対威嚇している鳴き声だったよ」


興奮冷めやらぬ私は車中でもクマの話を続けていた。


すると、


「あ、あのさ…」


助手席に座る彼女が、おそるおそる話だした。


「本当にクマいたの?」


「えっ?いやだって、あの大きな鳴き声聞こえたでしょ?あれはシカとかタヌキみたいな小動物の声ではないよ」


「いや、あのー……、たぶんなんだけどさ……、それ、私のお腹の音だと思う」


「……えっ?」


「トレッキングコース歩いているとき、お腹すいたなぁと思ってたの。そしたらさ、ぐるぐるぐるーって大きなお腹の音がなっちゃったのよ」


「……えっ?」


「やば、恥ずかしいと思ってたらさ、急に君が「クマがでた!」って言い出して……」


「え、えっーー!それならそうと言ってよ!」


「いやだってすごい必死だったからさ。なんか言い出せなくって」


「もうほんとうに死ぬかと思ったんだよ」


「ごめん、ごめん。途中から私も笑いをこらえるのに必死だったよ」


「いや、というかさ、ここに来る前にお昼ご飯でほっけの定食完食してたじゃん」


「うーん、あれも美味しかったんだけどね。まだ足りなかったみたい」


「それはそれで怖いわ」


見えないクマと、食欲旺盛な彼女に恐怖した北海道旅行でした。

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