未来完了進行形
ひさと
第1話
ひかり、光、ひかり…
明りの無い独房に繋がれて聞こえるのは延々と時計の秒針が進む音。
手足を縛られ口を塞がれ息も絶え絶えにただ生かされている。
ただ生かされている。それだけ…。
朝か昼か夜かも分からない輪郭さえも曖昧で無限に続く闇の底へ深く深く溶けていく。
唯一許されていることは外界と通じているであろう音声装置から、外界に必要な通信(それを行うことが私の唯一の仕事なのだ)を許可された場合に送信することのみである。
おそらく何らかの刑罰に処されているのであろう。はるか昔のことなのでもう記憶は曖昧だが。行いがよほど悪く無期の刑についているのだ。業が深い、罪を償え、二度とその顔を見せるんじゃない、無限の苦しみを味わえ、そういう声が聞こえたか聞こえていないかそれすらも遠く分からない。
ひかり、光、ひかり…
それが何だかは全くわからなかった。
ただひたすら目に映る眩しい快楽を消費し続けていたに過ぎない。
ああ、それが私の罪なのか。
ひかり、光、ひかり…
望んではいけないもの
それが何だかはわからないもの
ここはどこだ
私は誰だ
わからない
わからない、なにも
なにも、ない
無限の暗闇に身を刻む秒針
ただそれだけが在った。
♦
とてもにぎやかな笑い声が聴こえる。
彼女のことが好きだった。
唯一の人だった。桃色の気配がするうつくしいひと。
たくさんおしゃべりをした、たわいもない話ばっかりだったが。
何も深い意味をなさないそれは何にも代えがたい何よりも大切なものだった。
思い出すのは物心つくかどうかのころ。
永遠に思われたようなその時間は今思えばたった10年ほどのことだったのだ。
きのう見た不思議な夢のはなしを彼女はしてくれた。
思いだされるのはたわいのない子どもの遊びをしたこと。
何でもない話をしたこと。
チャイムを鳴らせばすぐに会う事が出来た毎日の登下校。
そこにあることが当たり前だった日々。
それが希望だったのだと気付くのははるか数十年も経ったあとのこと。
失った今でもそこには、暗闇よりもまだ深い、空虚な穴があいている。
♦
歌うことが好きだったその子を傷付けた。
その子の存在と夢をまるごと奪い、幻想を押し付けた。
だからその子は私のことが大嫌いなのです。
あんなことしなければよかったなんていまさら
なにもかも破壊しつくされすべてはあとの祭。
歌が好きで優しい彼女は今もまだ押し付けられた幻想をその手に抱き続けているのでした。
これが罪のひとつ、いや大部分、そうして私は何もかもを欲望のおもむくまま壊し尽くして、独り愉しく嗤い続けているのです。
♦
刑期を終えたのか一時的な釈放かはわからないのだが、突如その日が来た。
鍵を開けるためにやって来たのは知らない痩身の男。
どうやら暗い穴倉から外の世界へ出ることが許されたようだった。
管理人のようなその男は蔑むように私を一瞥する。監視装置が取り付けられており、なんらかの研究調査(くわしく話される様子はない)の被検体として使用するための特別な措置だと彼は低い声でボソリと告げた。
ただし条件付き、おまえは数多ある罪を償うための陳述書を書かねばならない。
低い声でそう告げ機械的に必要な書類を手渡す処理を済ませ、彼は黙って部屋を出ていった。
閉められた扉から光は消え失せ部屋は再び静寂と暗闇に包まれる。
鍵は開いている、どうやら仕事のようである何らかの研究調査…
ひとまずここを出るほかないだろう。
からだがいたい
外に出る
急激な温度変化
ぐらりと視界が歪み倒れそうになる
真夏の日光が目と肌を刺し貫きそのまま死んでしまうかと思った。
♦
ちいさなころのきおく
しんしつのやわらかなひかり
おはよう おやすみ
ふわふわのわんこのせなか
かわいらしいおめめ
ぺろぺろとなめる
おさんぽへいくよ
ごはんのじかんだよ
いつもいっしょだね
だいすき
♦
誰も居なくなっても生きていけると思った。
何故なら私は強いからです。
誰よりも賢く強くけっして誰にも負けませんから。
私が誰よりも正しいのです。
私以外は全て間違っており、唯一私だけが正しい存在なのです。
全ての人間が私の事を認め褒め称えるべきなのです。
何故なら強く絶対的に正しい存在なのですから。
なんぴとたりとも私を否定することは許しません。
そうでないなら全て滅んでしまえ。
♦
はじめて人から優しくされたと思いました。
親には褒められたことなど一度もありませんでした。
大切な人を思いやることなど一度も知りませんでした。
独り愉しく嗤い続けていたのです。
描く為に探した景色は美しかった、はじめて全てを肯定されたと感じました。
色とりどりに瞬く情景は時を伴い夥しい光彩を万華鏡のように煌めかせいつもいつでも私の目の前に現れ続けました。
だれとも別れ孤独にひたすらその幻を追いかけ続けました。
描いても描いても描いても描いても千変万化の夢幻の色彩はありありとした現実を伴いながら目の前に迫り来るばかりでした。
追いかけても追いかけても追いかけても掴みとることも出来ないそれらをひたすら追いかけていきました。
優しく全てを微笑みと受容で肯定され続けあまりにもうつくしくて
ひともけしきもなにもかもあまりにもあまりにもうつくしくて。
私は絶対的に強くて正しいので掴み取れると思ったんです。
そうして深い闇の底へ奈落へと堕ちていきました。
それはそれは桃源郷のようなこの世とは思えないほどのうつくしいうつくしい
光に満ち溢れたまるで天国のような
辿りついたさきは
一筋の光もさすことの無いまばゆいばかりの光に満ち溢れた地獄でした。
♦
外の世界に永らく出ていなかったため、時代の変遷に未だ追いつけずにいる。
もう二度と外に出ることはないと思っていたが、何らかの研究調査の被検体に選ばれたことは幸か不幸か(件の痩身の男は陰鬱で明らかに怪しそうな挙動をしていた)外界というものを数十年ぶりに味わっている。
ポケベル、というのか、携帯電話というものは摩訶不思議な代物であるといえよう。
明滅する簡易的で小さいテレビのような画面の中に映し出されるものはニュースのような何らかの重要そうな情報ということらしい。
瞬時に移り変わる文字や映像に、ぼんやりと麻痺した思考が翻弄されていく。
そこを出る際、研究調査の連絡が携帯電話に入るから所持するようにと痩身の男から事務的に伝えられた。しばらく眺め見はすれど長い閉鎖環境で麻痺した脳には強い刺激であるようで、混乱を鎮めるべく僅かに画面から視線を逸らす。
長い年月が過ぎ、住む街の景色は変わってしまったのだろうか。
刑に服していた施設の明かりが妙に明るかったのは、蛍光灯からLEDというものに変わったからだと、施設の職員が丁寧に教えてくれた。
行くあても身よりも無いので、まずは住居らしき指定された建物へ向かうことにする。
今は朧げになった記憶によぎるあの人たちは元気にしているだろうか。いや、こちらが気にしたところで向こうは人生のほんの一瞬交錯しただけの人間のことなど忘れている。
昔見た美しい景色も時と共に変わってしまっているだろう。
そう諦めの思考を反芻しながら、研究機関から送付された書類(簡易的な実験の説明が形式的になされていた)それに目を通し、手元の携帯電話の情報と照合する作業を少しだけ繰り返した。
うつくしくもまぶしくもない機械的に明滅する画面。
そのわずかなひかりから目を逸らす。
呼吸をし、もう一度明滅する光を放つ画面を見る。
地図と照合している地点はもう目と鼻の先にあるらしいが土地勘が無いのでよくわからない。もしかしたらこの真夏日の中、まだ歩き続けるはめになるのだろうか。
幸か不幸か保釈され、外の世界で罪を償う事をのぞまれているのだと、痩身の男は去り際にボソリと話していた。
真夏の太陽は何もかもを焼き尽くすかの如く轟轟と燃え盛っており全てを屠る得体の知れない巨大な恐ろしい想像上の生き物のようだ。
はやく空調(そう、いまは扇風機などとは違う、空気調節機なるものが稼働しているということらしかった!)のきいた建物へ行こう。
ひかり、光、ひかり…
閉ざされた扉が開かれ最初に目にした網膜に焼き付く眩い刺激。
このさきにあるものがなにものなのか。
わからない。
研究調査の概要を目でなぞり見る。
「それにしても日本はこんなに暑かっただろうか…」
脳の中でひたすら反芻し続けた朧げな記憶を辿りながら、照り返す眩しい日差しの中、僅かずつ歩を進めた。
未来完了進行形 ひさと @asanoniwa
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