虹をかけよう

黒石廉

うんちなう。

 うんちなう。

 古のとき、SNSで人々を魅了してきた文言なのだという。

 僕は、これを唱えられる幸せを噛み締めた。

 虹がとてもきれいだ。

 幸せは、少し苦く、僕もまた虹をかける。


 ◆◆◆


 キラキラとした生活を自分でしたいわけではない。

 ただ、それをこれみよがしに見せつけられるのはごめんだ。それだけなんだ。

 見なきゃいいとか言わないでほしい。

 外に行けば、皆は楽しそうだし、かといって自宅の警備を万全にしていても、光回線を通じてキラキラはやってくる。

 キラキラしたSNSを避けていても、コタツ記事の増加のせいで、僕は常にキラキラに襲われている。

 ネット回線のないところで輝いてくれよ。

 僕はスマホを片手に歯噛みする。そもそも、スマホを持っていたら、ちょっとした拍子にキラキラが襲ってくるのは避けられない。僕が悪いことも多いけど、でもキラキラしたものばかり見せびらかす現代社会の過失割合のほうが高い。三対七ぐらいで向こうが悪い。カラスじゃないんだからキラキラしたものばかり集めないでほしい。

 だいたいスマホは手放せないものなんだ。無課金でゲームを続けるために、僕はログインボーナスを取り続けないといけない。このゲームもいい加減飽きてきているけれど、僕は勤勉だから、ログインボーナスを取り続けることをやめられない。

 僕だって、最初からこんなにキラキラアレルギーだったわけではない。色々と頑張って、結局こうなってしまったんだ。

 僕は対面で話すのが苦手だ。だから、リアルでは友人がいない。皆でお酒を飲むにせよ、食事に行くにせよ、一人で黙々とつまみを食べ続けることしかできない。それでも、僕はネットの世界で少しずつ友人を作っていった。

 文字のやりとり、音声でのやりとり、どちらも少しずつ慣れていった。

 それで調子に乗ってオフ会に行ってしまったんだ。人間慣れた頃が一番、危ういとは良く言ったものだ。

 文字や音声だけでのやり取りは、間が不自然に空いても、皆、そこまで気にしない。

 多少、間が悪くても、多少、影が薄くても、そこに座っていられる。

 でも、リアルではそれは通じない。

 僕が行ったオフ会が特別ひどかっただけかもしれない。

 僕が特別にひどかっただけなのかもしれない。

 でも、どちらにせよ、僕たちは置いていかれた。

 夜の路上、爽やかに解散。その後に、僕たちは誤爆で自分たちが体よくハブられたことを知った。

 僕たちは置いていかれた三人だけのグループを作って、傷を舐めあった。

 とても苦い僕たちの傷。カサブタができるまで、とても時間がかかった。


 ハンドルネームは変えた。

 名前を変えたって、僕は僕だ。オフ会で置いていかれるような存在だ。

 それでも、あれを体験した僕を少しでも僕の中から消し去りたかった。

 他の二人の気持ちはわからない。確認すること自体がカサブタを乱暴に剥がすことにほかならないから、確認もしていない。でも、どちらも名前をかえた。

 僕ら三人は名前を変え、アカウントを作り直し、ひっそりと転生した。

 もちろん、転生しても僕らの相手をしてくれるのは、僕らと何の公式だかわからないスパムアカウントぐらいだ。


 僕はフェン、二四才、冴えない若者だ。若くて血糖値が少し高い。お風呂上がりに髪の分け目が以前より、よく見えるようになってきたのは気のせいだと思う。

 カカも冴えない男だ。

 脂ぎった少なめの髪の毛を大事になでつけ、常に汗で湿った身体をもじもじさせるアラフォーの彼は、僕の未来だ。

 これはバカにしているわけではない。僕は自分の先を行くカカのことを師のように思っているからだ。

 紅一点のメルダは年齢不詳だけど、少し前の世代のことばを若者ことばだと思って使っているから、多分僕より一回りは年上だろう。でも、最近の彼女の口癖は「ワンチャン」だから、日々頑張っているんだと思う。

 僕らはお互いを思いやりながらも、恋愛関係などとは無縁で穏やかに過ごした。

 この閉じられた世界は楽しく優しかった。

 でも……。

 僕らは弱く卑しい人間だ。

 僕らを置いていった奴らが楽しくやっているのを、よせばいいのに、のぞいてしまうんだ。

 僕たちの優しい世界は、外からのキラキラとした汚物――そう、汚物だ。僕たちに吐き気をもよおさせるキラキラと輝く生活とまぶしい人々――の危険性にさらされた脆弱な世界だった。


 最初に耐えきれなくなったのはカカだった。

 彼は僕たちよりも長く外の世界にさらされてきたから、耐えられなくなってしまったんだ。

 「まぶしいよ。まぶしすぎるよ」

 モニタの向こうで、カカが突然涙と鼻水を流して嗚咽しはじめた。

 出席を断った同窓会。

 断った理由は前回、誰とも一分以上話が保たなかったからだという。

 だから、今回は断った。賢明な判断だ。前回行ったことで、カカは十分勇気を示したんだ。いつまでも勇者である必要はない。賢者として時を過ごすことも必要だ。

 「でもさ、SNSで同級生の名前で検索しちゃったんだよ。しちゃいけない、しちゃいけないって言い聞かせていたのにさ、スマホをいじっていたら、やめられなかったんだよっ!」

 同窓会の写真、家族との幸せな写真、そのまぶしさに友人といえば、僕たちしかおらず、家族といえば同居している母しかいない彼の目と心は耐えられなかったのだという。

 なんという茨の道だ。明鏡止水の心持ちでエッチな動画を見るだけにしておけば良かったのに。いや、そんなのは結果論だ。それができないこと、だから苦しんできたことは僕だって十分にわかっている。

 「キラキラでっ! ピカピカでっ! まぶしすぎてっ!」

 鼻水でコーティングされたカカの鼻毛をぼんやりと見つめるうちに、僕の頬にも熱いものが流れていた。

 僕たちだって頭ならば輝いているよという軽口は喉の奥におりてきた鼻水とともに飲み込んだ。

 「ワンチャン、同姓同名ドッペルゲンガー、でも、わかりみー。私、わかり、わかり、わかりたくないっ!」

 メルダも大きな音で鼻をかんだ。ミュートにする余裕はなかったらしい。

 ぶびぃーっという派手な音、すすり泣き、すべてがBGMとなって、僕が脳裏に封印していた過去の記憶の扉が解かれる。

 二ヶ月遅れで入って、入って三ヶ月で行かなくなった大学のサークルの同期から送られてきた同窓会の誘い。

 底抜けのバカである同期は、CCでメールを送ってきていたんだ。

 僕の好きな子、僕が辞める原因となった子、いつの間にか名字が変わっている。

 僕は彼女の古い名前と新しい名前で発作的に検索をかけた。

 見つからなかった。

 見つかっても悲しいし、見つからなくても悲しい。

 僕たちは光に近づき焼かれる蛾なのだ。

 

 わかっている。

 悪いのは僕たちだ。

 輝けずに、河原の石の裏でひがむ僕たちなんだ。

 でも、耐えられない。


 ひとしきり皆で泣きわめいた。

 オンラインだと、お互いの鼻水が飛んでこないから便利だ。

 涙が尽きると、前へ進もうとする気力が生まれる。

 涙が尽きると、何とかしてやろうという意地が生まれる。

 「僕たちだって輝きましょうよ! 僕たちにだって輝く権利はある!」

 そう言って、僕は思いつきを訥々と述べはじめた。

 カカとメルダが僕の思いつきに少しずつ修正をくわえ、夜が明ける頃には、ひとつの素敵な計画をたてることができた。


 ◆◆◆


 「なぁ、フェン、俺、将来、エロテロリストになるって思ってたんだ」

 カカがぼそっとつぶやく。

 「大丈夫ですよ、カカ。人の性癖は様々だ。あなたは十分エロテロリストになれますよ」

 僕らはテロリストになろうとしているかもしれないが、世の中には様々な性癖の人がいる。そもそも、カカだって、かなりアレだ。十分エロテロリストになる資格があるのだ。

 計画の進捗状況を報告するオンライン会議で僕らは軽口を言い合う。

 軽口を言っているが、カカの任務は大事だ。

 僕らが住んでいるあたりでは、作戦に必要なものが、そもそも存在しない。

 カカがアルバイトに採用され、順調に信用を稼いでもらわないといけないのだ。

 信用されたところで、僕らの夢の車を手に入れる。

 メルダは引っ込み思案だけど、人前でも声が出せるように路上ライブをしているらしい。

 「#実際に撮れた都市伝説とかいうハッシュタグつきでネットにさらされて、口裂け女の同類みたいに扱われたけど、私、もう少しがんばる。ワンチャン、スカウトされるかもしれないし」

 僕は僕で身体を鍛えている。体幹をしっかりさせないと、うなるギターを、輝く神の剣をふりまわすことはできないだろう。

 だから、職務質問にもめげず、夜の公園の鉄棒や遊具にまとわりついている。

 それぞれが、それぞれの進捗を話し、実行時にどうなるか、夢を語っていく。

 とても楽しい。

 ああ、もしかしたら、いやもしかしなくても彼らはかけがえのない友かもしれない。

 「もしかしたら、僕たち、すでに輝いているんじゃないかな」

 僕のことばにメルダもカカも笑いながら、うなずく。

 「もしかしたら、こんなことを……」

 いや、そうじゃない。僕は自分で自分のことばを打ち消す。

 「でも、やるんだよ!」

 僕たち三人は魂の三つ子だ。

 同じ言葉を三人でハモりながら、僕は恍惚とする。


 ◆◆◆


 そして、作戦決行の日が来た。

 僕たちは、これからの作戦のために盗み出した相棒に乗り込む。

 「小学生の頃は、こいつを見るたびにきゃーきゃー騒いだもんだよ」

 運転席に座るカカが遠くを見つめる。

 僕はことばとしてしか知らなかったけど、こいつの弾込めのときに、その理由がしっかりとわかった。いや、わからせられた。

 メルダは「私は知らないの」といっていたが、多分、嘘だ。かわいらしい嘘。

 カカが運転手、僕は助手席、真ん中にはメルダが乗る。

 車には不釣り合いな愛らしい服を着たメルダはメガホンを抱えている。

 「今日のために買ったの」

 メルダはもともと歌が上手だ。それに今日までハッシュタグつきでさらされながらも特訓してきた。今日は忘れられないライブになるだろう。

 

 おしゃれな街に、僕たちは場違いな車で乗り付けてやった。

 僕でも知っている高級ブランド店のショーウインドウ、僕の知らない最新の輝かしい品々が並ぶ。そこに飾られたバッグやアクセサリー、服は行き交うおしゃれな人々の目を引きつけ、僕たちのような者の目を焼く。

 普段は、あまりのまぶしさにすぐに目をそらしてしまう僕だけれど、今日は違う。

 整った顔立ちをした女性店員にウインクだってしてあげられる。今なら、彼女をお茶に誘うことだってできそうだ。

 オープンカフェがある。

 昔、三人で毒づいたことを思い出す。

 日本の景色眺めながらオープンカフェとか正気かよ、と。

 もちろん、それは僕たちのひがみだ。そんなことはわかっている。

 キラキラ輝くモカのフローズンドリンク、今日の僕は同じ色のものをプレゼントできるんだ。

 細身の服を来たイケメンはすでにえずいている。まだ開演前だよ。

 おしゃれな街に、小学生どもはいないから、きゃーきゃー騒ぎ立てられたりはしなかった。

 ただ、皆が顔をしかめ、こちらをちらりと見つめてから、ハンカチや袖で口を覆い、立ち去ろうとする。

 これからが本番だというのに、気の早いことだ。


 メルダが拡声器の調子を確かめる。

 キーンという音と甲高い声が僕たちの耳をつく。

 僕は助手席のドアを開けて、徐行している車から飛び降りる。

 ホースを取って、排出モードにする。

 さぁ、準備は万端だ。

 僕はメルダに目配せをする。

 不安げに、こちらから距離を取ろうとする観客たちをライブに惹き込もう。

 メルダが好きな歌を歌い始めた。

 彼女よりはるかに若い子たちが好む歌、どぎついサビをこれから起こる現状をあらわす文言に変える。

 観客たちがぽかんとする。

 場違いな車に乗ってやってきたうえに、突然メガホンで小学生がやるような替え歌を歌い出すロリータ・ファッションのアラフォーを見れば、呆気にとられる気持ちもわからないでもない。

 でも、ノリが悪い。悪すぎる。もっと一緒に踊ろうぜ。

 僕は楽器のスイッチをいれる。

 腰だめに構えたホース。気分はバンドのリードギターだ。

 どぼっどぼっという音とともにホースが脈動する。

 観客たちの目が見開かれる。

 僕はノリノリでホースを振り回す。職務質問のおまわりさんは、三回目ぐらいになると、効果的な筋トレの仕方を教えてくれた。あの、おまわりさんのためにも僕はがんばらないといけない。

 おしゃれなカフェのフローズンドリンクに黄金をトッピング、おしゃれな服を黄金色に染める。

 テイクアウトでインドカレーを食べているやつはご愁傷さま。カレーはちょっと混じってたくらいが美味しいっていうし、いいんじゃないかな。

 僕はホースという楽器で悲鳴を奏でる。

 カカは、この移動式サウンドシステムをゆるやかに走らせる。

 ジャマイカのよりもすごい。ジャマイカにいったことがないけれど、僕は僕らのサウンドシステムが最強だと断言できる。

 白いふわふわの犬がいる。

 犬にかけるのは、かわいそうだ。そう思って避けたのに、あいつは目を輝かせながら、転がって白い毛皮を染めていく。

 「ロクサーナちゃん! やめて、ロクサーナちゃん! 汚いのだめぇろろぉろぉろ」

 飼い主の小洒落たマダムが、白い犬ロクサーナに懇願するけど、最終的には盛大に嘔吐した。パスタもちゃんと噛まないと健康に悪いと思うよ。

 僕はロクサーナと目を合わせて笑う。

 ああ、みんなノリノリだ。

 びしょ濡れになった男が盛大に嘔吐する。嘉平のネックレスをこれみよがしにぶらさげた色黒のおじさん。ちんちんも黒黒しているんだろう。

 ああ、昼はラーメンだったか。隣の女はソバージュにラーメンをからませて、大きな声をあげている。

 虹がかかる。皆がそこらじゅうで吐き出した水分が、僕が放った黄金が、皆の涙がもやとなり、おしゃれな街に虹をかける。

 そうだ、一緒に輝こうぜ!

 僕は黄金を撒き散らす。僕は黄金郷を司る王だ。黄金の神だ。ハニヤスビコの垂迹だ。


 うんちなう。

 黄金の濁流を生みだす神の剣がぶれる。

 手をすべらせた僕にも黄金は舞い散る。

 口の中に入る。

 幸せは、少し苦く、僕は盛大に嘔吐する。

 事前にガスマスクでも被ることはできた。

 でも、僕たちはそんなことしなかった。

 僕ら三人だけ仲間外れなんてもう嫌だ。

 一体感が欲しい。一緒に僕たちもうんち浴びてゲロ吐きたい。

 僕はドアを開けて、運転席のカカにも放黄金する。

 ああ、カレー食っといて良かったな。

 僕らの解き放ったものが綺麗に弧を描き舞っていく。

 固形物が落ちていっても、虹がかかっている。

 僕らもまた、みんなと同じで虹をかけることができた。

 ああ、絶頂、一体感、解放感、輝き、光。

 虹をともに。

 うんちなうアポカリプスナウ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

虹をかけよう 黒石廉 @kuroishiren

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ