五

 ヒーデルの葬儀は、雲一つない、青空の下で行われた。

 集まった参列者は、王宮関係者だけではなく、一般の民達も葬儀に参列した。みな、国王の死を悲しみ、心を痛めた。その姿に、ヒーデル国王がどれほど民達に慕われていたのかが分かった。 

 葬儀が終わり、人がまばらになった頃、墓石の前に跪き、花を手向けるアレン。その姿を、エルダは後ろから、静かに見守っていた。

 墓石を見つめるアレン。その姿からは、父を失った、ただの青年の悲しみが感じられた。

「今思えば、父が俺を騎士にしたのも、己を守らせるためだったのかもしれない。大陸中から敵に回され、命を脅かされても、自らを守れるように。……逃げ回ってでも、俺に生きてほしかったのだな……」

「国王陛下は、アレン様が大好きですから」

 風が吹き、手向けた白い百合の花が、儚げに揺れる。

「きっとそうだったんだろう……」

 立ち上がり、アレンが立ち去ろうとした時、その足がふと止まる。

「アレン様……?」

 アレンの頬を、温かな風が撫でた。

 小さな笑みを浮かべるアレン。

 ヒーデルは亡くなってもなお、アレンの傍にいるようだ。エルダの母エミリアが、いつまでも、エルダの傍にいるように。

「行きましょう。アレン様」

 手を差し出すエルダ。アレンはもう二度と迷うことなく、その手を掴み共に歩き出した。

 そして、レディート、エーデル、スワン、ベーベルの間で、無事に平和条約が結ばれ、四カ国はいかなる理由があろうとも戦争をしないという掟を定め、その掟は、戦争で亡くなった者達を供養する場でも誓われた。

 多くの者が、大切な人を失い受けた傷は今も癒えない。苦しみも、消えることはない。それでも、みんな前に進まなくちゃいけない。手と手を取り合い、僅かな一歩でも。


そうして、一つの時代が幕を閉じ、また一つの時代の幕が上がる。


__王座の間にて。


「いよいよですね」

 逞しく成長したその背を、深海の瞳、込み上げる想いを抱え見つめる。

「本当にあなたが王になるなんて……立派になられましたね。アルバート様」

 バルコニーの入り口に立っていたアルバートが振り向く。

「僕もびっくりだよ。まさか、僕が王になるなんて」

 ヒーデルが亡くなり、次代の王を選出しないといなくなったレディート国。長男であるアレンが一番の有力候補であったが、アレンはこれからも騎士として生きていく道を選んだのだ。

『常に国と民を重んじ寄り添い、知ろうとするお前こそが王に相応しい。それに、俺は騎士として、お前を支えていきたいんだ。変わらず、この国の影として』

 国と民を思いやってきたのは、アレンも同じだろう。しかし、兄に期待されたら、それに応えたいと思うのが弟というもの。任されたら、やり遂げたい。

 それに自分は、一人ではないのだから。

「時間ですね」

 クラウトの合図で、バルコニーの扉が開かれる。

 胸を張り、前へ進み出るアルバート。その先には、新たな王を祝福する、民達の大きな声援があった。

 感極まるその瞬間に、さすがのクラウトの瞳にも、光るものがあった。

 アルバートがバルコニーに出ると、民達は笑顔でアルバートを迎えた。その期待と声援に、手を振り応えるアルバート。多くの民が、これほど自分を待ってくれていた。アルバートは、心から感激した。

 人混みから少し離れた端の方、民衆に負けず、一際輝く美しい青年が、こちらを見上げていた。その隣には、青年の人生を変えた、一人の女性がいる。

 アルバートを見上げるアレン。その顔は、とても誇らしげだった。

(見ていてくれたんだ……)

 戴冠式が行われ、アルバートが公の前に姿を現している今、警備は騎士団が行なっている。だが、アレンはそこにいた。騎士ではなく、兄として弟を見守っていたのだ。アルバートにとって、それが何よりも嬉しかった。

「ああ……今日は、人生で一番幸せな日かもな……」

 王としての威厳を保ちたいのに、アルバートの瞳には涙が浮かぶ。目を擦り涙を隠す。

 こんなところをクラウトに見られたら、また叱られるだろう。そんな事を思う。

 手で涙を振り払い、アルバートは民達に手を振り続ける。


 誇らしげにアルバートを見上げるアレンの隣、エルダもアルバートに手を振っていた。

 初めて知り合ったアルバートはエルダにとって、町で偶然、居合わせた少年だった。それが王子と知り困惑して、さらには王宮に仕える身となり、そして、アレンと出逢った。

 今思えば、あの日から、それは急速に動き出した。

 エルダにとって、アルバートはきっかけをくれた恩人の一人だ。

 隣に立つアレンを見上げる。

 頬を緩ませるアレン。

 こんなにも嬉しそうなアレンは初めて見た。闇に潜んでいた頃から今まで、アレンがアルバートを想わなかったことなど、一日たりともないのだろう。

「アレン様」

「なんだ?」

 藤色の瞳が、不思議そうにこちらを見る。

「一緒に来ていただきたいところがあります」

 手を取り、民衆の側から離れる。行き先を尋ねるアレンの手を黙って引き、呼んでいたいた馬車に乗り込んだ。

「どこに行くんだ?」

「それはついてからのお楽しみと言うやつですよ」

 本当はどこに行くのか知りたいようだが、追及することは諦めているのか、アレンは静かに窓の外の景色を眺めだした。

 馬車は町を出て北に向かっていく。しばらくして、国のはずれまでやって来る。活気のある町とは違い、はずれの村は、どこまでものどかな世界が広がっている。

 次第に人気も少なくなる。

 その様子を見たアレンは、さすがに怪訝な顔をした。

「本当にどこに行くんだ?」

「もう分かります」

 馬車がゆっくりと停止する。馬車を降りると、目の前にあるのは、噴水のある小さな洋館。

「ここは?」

「ダニエラ様のお住まいです」

 大きく目を見開くアレン。

「なぜ……」 

「ヒーデル前国王様は、亡くなる前、ダニエラ様の事を教えてくださりました。ダニエラ様は、今はここで静かに過ごされているようです。……会いませんか? お母様に」

 アレンはエルダから視線を逸らし、複雑そうな表情をする。

 会いたい気持ちはあるはず。だが、ダニエラの事を考えると、優しいアレンは自分の気持ちに蓋をしてしまうだろう。

 窓辺には、人影があった。髪の長い女の人が、こちらを見ていた。

(もしかして……)

 アレンもそれに気づいたのか、その場から離れようとする。

「ア、アレン様……!」

 エルダが呼びかける。

 すると。

「アレン……!!」

 振り向くと、玄関前に、藤色の瞳にプラチナに輝く髪をした、美しい女性が立っていた。

 エルダはすぐに悟った。

(間違いない。この方はダニエラ様だ)

 ダニエラは、アレンの背中に向かってそう呼びかけていた。

 だが。

「あっ……えっと、ごめんなさい。私ってば、何を……」

 口元に手をあて、混乱した様子を見せる。

「……」

 アレンは背を向けたまま、何も言わない。

 すると、畑の方から、作業服を着た、体格の良い男性が出てきた。

「エラ、どうしたんだ?」

「あ、カイル。私、人違いをしてしまったみたいで……」

 カイルと呼ばれた男性は、アレンを見て、僅かに目を見開いた。

「君……」

(アレン様を知ってる……?)

「妻がすいません」

 そう言い、軽く頭を下げるカイル。

「い、いえ……!」

 エルダがそう言い返すと、四人の間になんだか気まずい沈黙が流れた。

(なんだろうこの状況……すっごく良くない気がする)

 耐えかねたエルダが、口を開く。

「お、お庭すごく綺麗ですね! 私はフローリストをしているのですが、こんなにお花が生き生きしているのは、たくさんの愛情を注いでいらっしゃるからですね!」

「ええ……ありがとう……」

 聞かれてもいないことをペラペラと話してしまったせいか、ダニエラは控えめにそう言った。

 また、気まずい沈黙が流れる。アレンも、気まずいのか、ダニエラに背を向けたままだ。

「よかったら、お茶でも飲んでいかないか? ちょうど紅茶を入れたところなんだ」

 カイルはそう言い、エルダ達を家の中へ、案内しようとする。

「ぜ、ぜひ……! さあ、行きましょうアレン様」

 エルダはアレンの背中を押し、家の中へ入る。

 植物とアンティークで埋め尽くされた洋館は、落ち着いた雰囲気があった。

 刺繍が施された、レースのテーブルクロスが敷かれた木製のテーブルに、人数分の紅茶が置かれる。カイルに椅子に座るように促され、エルダはアレンと並んで腰を遅す。アレンの正面にはダニエラ、エルダの正面には、カイルが腰を下ろす。

 改めて見たダニエラは、とてもこの世のものとは思えぬほど美しい人だった。長い髪はウエーブがかっていて、星のきらめきのように輝きを放っている。アレンと同じ藤色の瞳は、優美であるが、どこか儚げな印象を与えた。

 カイルとダニエラは夫婦だそうで、畑を耕し、野菜や果物を売って生計を立て、この小さな洋館で二人で暮らしているという。

「さっきはごめんなさい。なぜか分からないんだけど、あなたを見たら、その名が頭に浮かんで」

 やはり、ダニエラはアレンを覚えていたわけではないようだ。

「……いえ」

 視線は下に向けたまま、返答をするアレン。

 アレンがダニエラと再会するのは、およそ二十年ぶり。子供だったアレンにとってその歳月は、成長を意味するものだ。だが、その成長した実の息子は、ダニエラにとっては赤の他人なのだ。

「あなた、アレンって言うの?」

「はい……」

「良い名ね……私、好きだな」

 にこやかに微笑むダニエラ。その笑みは、アレンととても良く似ていた。

「母が……つけてくれました」

「そうなのね? どんな意味があるか聞いても?」 

 ダニエラがそう言うと、アレンは少しの間を開けて答えた。

「人々を導き、光ある存在になるようにと」

「そう……有言実行ね」

「えっ……」

 視線が絡み合う二人。

 揺れるアレンの瞳。

「だって、このお嬢さんを照らしているでしょ?」

 ダニエラはアレンを見て微笑み、そして、隣にいるエルダを見て微笑む。そして、「ふふっ」っと、口元に笑みを浮かべる。エルダとアレンが恋仲であることを見破っているようだ。

 ダニエラはアレンを気に入った様子で、普段はどんなことをしているのか、何をするのが好きなのか、思いつく限りのことをアレンに質問していた。

「騎士をされているなんて、お母様はあなたが誇らしいでしょうね」

「そうでしょうか……」

「ええ、私があなたのお母さんだったら、とっても自慢だわ」

 ダニエラにアレンの記憶はない。ヒーデルとの記憶も、何もかもない。それでも、その名を忘れることが出来なかった。エルダはダニエラの母としての愛情深さに、胸を締め付けられた。

「あなたのような子が、この国を守ってくれているなら、私は安心してここにいられる」

 きっと隣にいるアレンは、もっと胸が痛いだろう。だが、

「安心して生きて下さい。何があっても必ず__俺が守ってみせますから」

 強く決心しそう言ったアレンの姿に、ダニエラは心から安堵していた。その瞳は、母が我が子を見る、温かな眼差しのようだった。

 他に気づかれぬよう、エルダは静かに、涙腺に浮かんだ涙を堪えた。


 あっという間に時間は経ち、気づけば、何時間も何気ない会話に花を咲かせてしまっていた。

「今日はありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございました」

 二人に見送られていると、老夫婦が訪ねてくる。近くに住んでいる村人らしく、果物を買いに来たそうだ。

 「じゃあ、気をつけてね」

 そう言い、家の中に戻っていくダニエラ。ダニエラを目で追うアレンの表情は、もう苦しいものではなかった。

 すると、先ほどとは打って変わり、真面目な顔をするカイル。

「見た瞬間から、君が彼女の子だと分かったよ。君たちは瓜二つだから」

 やはり、カイルは、アレンがダニエラの息子である事を知っているようだった。

「ダニエラ様のことは」

「ああ、全部知ってる」

 カイルと出会った頃のダニエラは、自分の名前しか知らぬような状態で、それ以外のことは、何も覚えていなかったという。

「俺とダニエラがここで出会って、ここで一緒に暮らすようになってから、前の国王様が、俺の元を尋ねに来たんだ」

「……父が?」

 ダニエラが自身の妃であり、子供であるアレンのことや記憶を消してしまったことを、ヒーデルは、全て包み隠さすカイルに打ち明けたという。

 きっと、カイルが信頼に足る人間だと判断したのだろう。

「彼女を幸せにしてほしいって。国王様が庶民に頭下げるなんてないだろ。だから、この人は、本当に彼女を、君を愛しているんだなって思ったよ。

 アレンに向き合うカイル。

「ありがとう。彼女に会いに来てくれて。きっと、簡単なことではなかったはずだ」

 その誠実な姿に、アレンもカイルに向き合う。

「……母をよろしくお願いします」

「ああ、また来てくれ」

 差し出された手をアレンは握る。硬く結ばれた二人の手は、目には見えない絆があった。


 丘を超えたところに、風車がシンボルの花畑があると聞き、エルダとアレンはやって来た。

 青空の下、壮大に広がる緑の自然に、エルダは思わず駆け出す。

(綺麗……!)

 王宮の庭園が世界一だと思っていたが、こんなところにも美しい花々が存在していたとは、レディート国の緑豊かな自然と環境は、本当に素晴らしいものだと思った。

「アレン様! こっちもすごいですよ!」

 子供のようにはしゃぐエルダの後ろ、アレンは風を感じながら、ゆっくりとした足取りで歩く。

「……」

 目を細め、愛おしい恋人を見つめるアレン。

「お前に出逢っていなければ、俺は今ごろどうしていたんだろうな……」

 少し離れたところで足を止め、そうつ呟く。

 その声に、振り向いたエルダも足を止める。

「私も……アレン様に出逢っていなければ、今頃どうしていたのでしょうか」

 きっと彼に出逢わなければ、自分は本当の強さも優しさも知らなかった。そして何より、傷つき、苦しみ、涙した、最高の愛を知らずに生きていただろう。

「ちゃんと言葉にしていなかったな」 

 エルダの元へ歩き出すアレン。

 目の前まで来ると、そっとエルダ左手を取る。

「……」

 薬指に嵌められた指輪を見て、エルダは息を呑んだ。

「これ……どうして……?」

 小さな藤色の宝石があしらわれた、シルバーのリング。

「ケルベルトに頼んで、作ってもらったんだ」

「……綺麗……この花畑より、ずっと綺麗……」

 エルダの左手に触れたまま、跪くアレン。

「エルダ。俺はお前を心から愛している。俺と__夫婦になってくれ」

 あまりの感動に、エルダは言葉が出なかった。

 自分だけを見つめる、藤色の瞳。手から伝わる、彼の温もり。

(こんな日を、ずっと夢見ていたのかもしれない……)

 涙で視界が歪む。

 込み上げる思いを必死に抑え、はにかみながら首を横に振るエルダ。

「私の方が、負けじとアレン様を愛していますよ?」

 エルダの言葉に、アレンは苦笑したように笑みを浮かべた。

 アレンが立ち上がり、二人の距離が近づく。

 そっと触れ合う唇。

(この先も、永遠に、死が二人を分つとしても__私は__)


 __溢れんばかりの愛をあなたに贈る。

 

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