四

__森の国境付近。


 馬を走らせること数日。やっとの思いで、エルダ達は森の国境付近まで来ていた。

 休憩を取るため、川のほとりで馬を止める。

 川の水をごくごくと飲む馬。ここまでよく走り続けてくれている。エルダは馬の頭を優しく撫でた。

「ありがとうね」

 すると、馬はそれに答えるように、エルダを見つめた。

(愛らしい子)

 馬に頬を擦り寄せ、目を閉じるエルダ。こうして静かな森の中にいると、数日間、自分が見てきたものが嘘のように思えてくる。

 しかし、あれは紛れもなく現実だ。

「っ……」

 軽く頭を抑える。

「エルダ嬢、大丈夫ですか」

 隣にいたケルベルトが、心配そうな顔をして問う。

「はい……」

 笑みを浮かべ、そう返事をしたものの、エルダの声は弱々しかった。

「無理はなさらないで下さい。それが一番良くないのですよ」

「……ありがとうございます」

 ここに来るまで、エルダは多くの現実を目にしてきた。

 家は燃え、荒れ果てる村。地面に転がる民や騎士、軍人の死体。亡くなった我が子を抱きしめ、茫然と赤い空を見上げる親。親を探し、泣き叫びながら歩く子供。

 戦争に意味などない。それなのに、どうして人は争い続けるのだろうか。

「世界は、残酷ですね……」

 神秘的な川を見つめて言うエルダ。

 今、目の前に広がるこの美しい光景が、嘘のような世界が本当にあるのだから。

 ケルベルトは悲しげに、小さく笑みを浮かべうると、取ってきた木の枝を、川から離れた場所に置く。

 時刻は夕暮れ時、今日はここで暖を取ろうと言うことらしい。

 水を飲み終えた馬の手綱を引き、エルダも川を離れようとした。

 __その時だった。

 水面に何かが落下し、大きく水飛沫が舞う。

「エルダ嬢!!」

 いち早く反応したケルベルトが、エルダの腕を引き、自分の後ろに隠す。

「下がって」

 剣を構えたケルベルト。

(一体何が……)

 川を見つめ、じっと待ち構える。 

 すると、川から男性と思われる人が顔を出した。

 男性は随分と慌てているようで、呼吸も荒く、必死に息をしている。

「何者だ」

 ケルベルトがそう問うと、男性はこちらを見た。

「え……」

 その顔に、見覚えがあった。

 エルダは一目散に川に向かって走り出す。その後をケルベルトが追う。

(間違いない。あれは)

「キースさんです!」

「えっ、キースって、騎士団のあのキースですか?」

 キースはエルダ達に気づくと、片手を上げ、絞り出した声で、引き上げて欲しいと言う。

 ほとりからキースがいるところまでは距離がある。泳いで行くには川が深すぎる。

 エルダは馬に駆け寄ると、手綱を外し、川へ戻る。

 それをキースの元へと届くよう、精一杯の力を使って川へ投げた。

「掴んで……!!」

 キースは力を振り絞り、手綱を掴むと、手を挙げグーサインをする。

「ケルベルト伯爵!」

 エルダとケルベルトは手綱を握りしめ、キースを引き上げる。

 やっとの思いでキースを引き上げると、エルダはその場にしゃがみ込んだ。

 荒く、狭い感覚で呼吸を繰り返すキース。

 エルダは、仰向けになったキースを見下ろし声をかける。

「キースさんしっかり……!!」

 ゴホゴホと咳き込むキース。気管に川の水が入ってしまったようだ。エルダはキースの体を横にし、背中を摩った。

 しばらくして、呼吸が落ち着き出したキースは、エルダを見上げた。

「エルちゃん……」

 キースはほっとしたように、首を項垂れさせた。

「一体、何があったのですか? アレン様は……」

 アレンと言う言葉に、キースは顔を上げる。

「団長……団長が……」

 エルダの腕を掴み、瞳から涙を溢れ出させるキース。

 ケルベルトと、顔を見合わせたエルダは、事態が只事ではないことを悟った。

「キースさん、アレン様は今どちらに」

「団長は、俺を助けるために、一人でエーデルの軍と対峙している……軍を率いているのは、ルシウスとか言う軍人で……」

「ルシウス……」

 その名に、ケルベルトが目を細めた。

「ご存じなのですか?」

 エルダの問いに、ケルベルトは頷く。

「ルシウスは、エーデル国の有力貴族の一人です。彼は身分が高いだけではなく、軍人としても名高い。その力は国王陛下にも影響を及ぼし、一部ではエーデルの真の支配者は彼だと噂されています」

「そんな方が戦場に……」

「俺、全部聞きました。団長のこと……」

 キースはエルダをケルベルトを見る。

「ここにいるてことは、二人は、知ってるんですよね……?」

 頷くエルダとケルベルトを見て、キースは納得したようだ。

「助けに来てくれたんですね。団長を」

「はい、私は、アレン様をエーデルの皆さんを説得しに来ました。アレン様は脅威でないし、アレン様は生きるべきお方だと」

「……やっぱりあの人、初めから死のうとしてたんだ……」

 悲しげに呟かれた、キースのその言葉に、エルダは胸が痛くなった。

(こうしている場合じゃない。早くアレン様の元へ行かないと)

 立ち上がったエルダ。

「どちらへ?」

「アレン様の元です」

 手綱を地面から拾い上げ、馬の首にかけ直すエルダ。

「エルダ嬢、お気持ちはお察ししますが、今行くのは危険です」

「では、このまま見殺しにしろと?」

「そうではありません」

 そんなこと出来るはずがない。エルダだけではない。ケルベルトだってそうだ。

 ケルベルトに向き直るエルダ。

「ケルベルト伯爵。もう一度言います。私は、覚悟が出来ています」

 迷いなどない。そんなものはとうに存在すらしていない。

 ただ、アレンを救うことしかエルダの中にはないのだ。

 たとえ、自分が死ぬことになったとしても。後悔はない。

「私は一人でも行きます」

 こういうところも頑固なんだろうなと、つくづく思う。

 しかし、エルダの意思は揺るがない。

 二人に背を向け、馬に乗る。

 ケルベルトは意を決したように息をつくと、立ち上がった。

「分かりました。では、私も行きましょう。キース殿は、しばらく休まれていて下さい」

「いや俺も一緒に」

 立ちあがろうとするキース。

 しかし、体が言うことを聞かないようだ。

「っ……」

 川の水で血は洗い流されているが、キースはボロボロだった。

「その怪我では無理です。それに、あなたが戻れば、アレン様の意思を無駄にしてしまう。どんな理由があろうとも、アレン様があなたを守ったのは事実なのですから」

「……分かりました」

 唇を噛み締め、片手で動かない太ももを叩いたキース。悔しくて仕方がないのだろう。

 キースの怪我の手当てを終えると、エルダとケルベルトは川のほとりを発った。

 じきに太陽が沈み夜がやってくる。その前に、何としてもアレンの元に辿り着かなければならない。

 ケルベルトは馬の速度を早めた。

(アレン様、どうかご無事でいて下さい)

 エルダは祈りながら、黒闇に溶け出そうとする森を駆け抜けた。

 


「はあ……はあ……はあ……はあ……」

 あれから、どれだけの時間が経っただろうか。段々と視界が見えにくくなった。息もしづらい。

(キースは無事に逃げられただろうか……)

 大分減ったが、目の前には、あと数十人の軍人がいる。

 一人で数百人斬ったアレンの強さに恐れ慄き、剣を振るうことを躊躇するエーデル人達だが、いくら剣の天才であるアレンも、気力も体力も無くなっているこの状況では、やはり勝てないだろうと踏んでいるのか、それとも戦うことを止めることが出来ないのか、彼らも剣を振い続ける。

(俺が生き絶えるのと、こいつら全員斬り殺すのどちらが先か。だが、仮にこいつらを斬り殺したところで、ルシウスと戦える気力はないだろう)

 剣身に刻まれた、レディート国の紋章を見る。自由と愛の国であるレディート国を象徴するのは白鳥。真っ白で首が長い白鳥は優美な印象を与える。

 昔、母に教えられたことがあった。白鳥は春を告げる鳥で、生涯、一人の相手と添い遂げると。

『__いつかあなたも、あなたを愛してくれる人が現れる。その時が来たら、その人を大切にしなさい。他の何よりも』

 幼いアレンの耳に囁かれた、母の言葉が蘇る。

(お母様……俺も出逢えましたよ。大切には出来なかったけど。こんな俺を、真っ直ぐに愛してくれる人に出逢えました)

 銀色の刃に、自分の顔が映る。

 悪くない表情だった。

 屈強そうな一人のエーデル人がアレンに襲いかかる。

(これでお終いだ……)

 アレンは目を閉じた。

 だが__。

「うっ……!!」

 苦痛な声に、目を開けると、屈強そうな男が地面に蹲っていた。

 その足には、弓矢が刺さっていた。

(どういうことだ)

「__アレン様……!!」

 その声にハッとする。

(エルダ……!? なぜここに……!?)

 こちらに駆けて来るエルダ。その後ろには、ケルベルトがいた。

 エルダたちに気づいたエーデル人が二人に立ち向かう。

「何をしているエルダ!! こっちに来るな……!!」

 叫ぶアレン。しかし、エルダは引き返さず矢を放ち、進み続ける。

 ケルベルトがカバーに入っているも、油断すればエルダの首はすぐに刎ねられる。

 アレンは無意識に体を動かし、エルダの元へ行こうと、力を振り絞り、目の前に立ちはだかるエーデル人を無我夢中で斬り殺していく。

「エルダ後ろだ……!!」

 後ろを振り向くエルダ。不意をついて現れたエーデル人が、エルダに剣を振るおうとする。弓を構えるエルダ、しかしそれでは間に合わない。

(殺さなければ、エルダが殺される……!)

「エルダ! 心臓に矢を突き刺せ……!!」

 矢筒から弓を取り出す。だが、エルダは躊躇した。

 迫り来る刃に身を縮め、目を閉じるエルダ。

「っ……!」

(間に合え……!!)

 力を振り絞ったアレンが、間一髪でエーデル人の首を刎ねる。

 血飛沫がエルダの頬にも飛び跳ねる。

「……」

「……」

 アレンを見上げるエルダの表情は、硬っていた。

「……大丈夫か」

 ぶっきらぼうにアレンがそう言うと、エルダはハッとした顔をする。

「すいません……私が躊躇したから」

「いや、それでいい。……人殺しは俺一人で十分だ」

 本当は、こんな姿、エルダになど見られたくなかった。人を殺め、血を浴び、それでもなお、突き進む自分など。

「なぜここにき来た」

「それは……アレン様を救いたくて」

「……」

 おおよそ、アルバート達に自分の過去を聞いたのだろう。余計なことをしてくれると思う。

 どこまでも真っ直ぐな、汚れのないエルダの瞳。

(そんな瞳で、俺を見るな)

「頼んでいない」

 赤く染まった背中を向け、アレンは歩き出す。

 全てを一人で抱え込み、自ら孤独への道を歩む。それが、アレンのもう一つの生涯でもある。

(いっそ、今この場で嫌われてしまえば、楽なのかもしれない……)

 再び、剣を振おうとするアレン。

 しかし、そこでエルダが声を上げた。


(もう十分だ。あなたが苦しむのは、もう終わりにしたい)

「エーデル国のみなさんに、お話があります」

(もう二度と、一人になんてしない)

「なんですか? 飛び入り参加のお嬢さん?」

 エルダの一声に、今まで傍観していたルシウスが反応する。それに習うように、軍人達の動きもぴたりと止む。

 馬に乗りエルダを見下ろすルシウス。その唇には、蔑むような薄い笑みが浮かんでいる。戦争も知らぬ、若い女であるエルダを侮っているのだろう。

 しかし、エルダは怯む様子を見せない。

「エーデルの皆さんは、人操るの才を持つアレン様が、脅威になるとお考えですよね?」

「いかにも。そうおっしゃられるということは、あなたはご存知なのですね」

「……私も、人操の才について、可能な限り勉強しました……みなさんが恐る理由は、私のような人間でも、理解出来ます」

 目の前に立つアレンの背中が、寂しげに見えた。

 エルダはアレンの思いを感じながら、言葉を紡ぎ続ける。

「ですが、その才は決して脅威ではありません」

 エルダの言葉に、ルシウスは興味ありあげに目を見開く。

「そうお考えになる理由をお聞きしても?」

「レディート国、初代国王であるユリウス様は、お妃のローズ様のおかげで、破滅の運命から遠ざかったと言われています」

「確かに、初代国王は、人操の才をお持ちだったそうですが、才を使ったことがないとか。実に信じがたい話ですよね? おそらく、ローズ様が何か制御出来る才をお持ちだったのでしょう」

「それが、ローズ様は王族の方でありましたが、才をお持ちにならない方だったそうです」

 ルシウスの表情が険しくなる。

「何ですって……?」

 これは、のちに分かったことっだが、王族でも稀に才を持たない者が存在するそうだ。ローズはその稀な存在の一人で、二人の間に生まれた子供は、ユリウスと同じ人操の才を持って生まれることもなく、全く別の才を持って生まれたという。

「ローズ様は、才を使うことなくユリウス様を救ったのです」

「ほーお、それは何なのですか?」

 皮肉そうに目を細めたルシウス。

 エルダは目を閉じ、アレンを想う。

 数秒間、目を閉じると、ゆっくりと目を開けた。

 そして、真っ直ぐにルシウスを見た。

「__愛です。ローズ様がユリウス様を生涯愛し続けたことで、ユリウス様は人であられたのです」

「つまり……愛でアレン様を救うと?」

 滑稽そうに問うルシウス。

「はい」

 エルダの答えに、馬鹿馬鹿しいとルシウスは笑い始めた。

「そんなことで、人操の才が制御出来るとでも? あなたは才の恐ろしさをまるで分かっていない」

「お言葉ですが、あなたも愛が何かをまるで分かっていない」

「……何ですと?」

 怪訝な顔でエルダを睨みつけるルシウス。

 そんなルシウスに、エルダは怯むことなく前へ歩みを進める。

「アレン様。あなたはとてもお優しい方です」

 ゆっくりと、こちらに振り向こうとするアレン。その顔は俯いていて、真っ直ぐに自分を見てはくれない。

「……何度も言うな。俺は優しくなどない」

「ではなぜ、あの時キースさんを押し除けてまで、剣を振るったのですか?」

「キースがもたもたしていたからだ」

 首を横に振るエルダ。

「いいえ。あなたは怒っていらしたんです。大切な弟さんを傷つけられて」

(そう、あの時のあなたは、血に濡れながら怒っていた。あの表情は、冷酷無慈悲なんかじゃなくて、ただ弟想いな、優しいお兄さんだった)

 歩みを止め、アレンの隣に立つエルダ。

「諦めないでください。生きることを、諦めないで」

 伸びた長い前髪が、アレンの表情を遮る。

 何も言わないアレンに、エルダは心の底から訴え続けた。

「私が傍に居ますから……いつもここにいますから……」

 そう言って、アレンの片手を取り、きつく握りしめるエルダ。

「だから……生きることを諦めないで……」

 その瞬間。静かに、アレンの頬から涙が伝った。

 一度流れた涙は、止めどなく溢れる。

 一体どれほどの間、彼は泣くことが出来ずにいたのだろうか。

「くっ……っ……」

 片手で顔を覆うアレン。

 孤独に剣を振る続けるしかなかった彼の本当の姿が、今初めて見えた気がした。

 エルダがそっとアレンの頬に触れると、藤色の美しい瞳が自分を捉えた。

 その虹彩には、確かにエルダが映っている。

 ふわりと笑うエルダに、アレンは涙を流し続けた。

 その涙は、雨あがりの空のように輝いていた。

「……とんだ茶番に付き合わされたな」

 ルシウスは馬を降りると、懐から剣を抜き、二人に近づく。気配に気づいたアレンはエルダを庇うようにして、ルシウスに背を向けて抱きしめる。

「今ここで二人で死ぬがいい」

 二人の頭上に剣が上げられる。

 アレンは、その胸にきつくエルダを抱きしめた。

「__そこまでだ」

 凛とした華やかな声が、静寂さを作り出す。振り向くと、剣を振り下ろそうとするルシウスの手が止まっていた。

 ルシウスの後ろ、そこには一人の青年がいた。青年はルシウスの背中に刃を突き立てていた。

 そして、その周りには何万人という騎士たちがいた。

 騎士が持っている旗には、羊の紋章があった。

(あれって……ベーベル国の……ってことは、もしかしてこの人は……)

 青年と目が合う。微笑まれ、整った美しい顔立ちに、思わずドキッとしてしまう。

 すると、青年の後ろから、ひょっこりと顔を出す栗色の髪の女性。

「アンジェリーナ様!?」

(どうして、アンジェリーナ様までここに……)

「ちょ、アンジー! そっち行ったら危ないってばっ!!」

 慌てる青年。そんな青年に構うことなく、アンジェリーナは、エルダとアレンの元へやって来る。

「全く……僕の奥さんはタフなんだから」

 頭を抱える青年。アンジェリーナを奥さんと言う彼。どうやら、エーデル国、第一王子である、マーク・ベーベルのようだ。

 マークはルシウスに剣を捨て、エルダ達から離れるように命令する。ルシウスは大人しく言う事を聞き、剣を地面に捨て、エルダ達から離れる。

「エルダ、アレン無事ね?」

「アンジェリーナ様……どうしてここに……」

「彼のお父様のおげよ」

「どう言う意味だ?」

 問うアレン。アンジェリーナの視線はマークに向けられた。

「君のお父さんが、僕の父に手紙を書いたんだ。息子に力を貸してくれって」

(国王陛下……いつの間にそんなことを)

「でも、手紙なんてなくても、僕は元々こうするつもりだったよ。だって、大事な奥さんの友人のピンチなんだから、助けないわけがないでしょ?」

 にっこりと笑うマーク。ベーベル国の王族は謎めいて、その姿は国民ですらも知らない者がいると聞いていたが、まさか、こんなにも甘いマスクの人だったとは。

(アルくんとは、また違った感じの王子様って人だな)

「レディートがベーベルと同盟を結んだとは聞いていませんね」

「やだなおじさん。別にそんなもんなくたって、分かるでしょ? てか、この状況でそんなこと言っている場合ですか?」

 ルシウスの背中に、突き立てていた剣をさらに近づけるマーク。その表情はとびきり楽しい事をしているかのように笑顔だ。

 マークは見た目によらず、悪どいところもあるみたいだ。

「マーク、本題に入って」

 アンジェリーナからの言葉に、マークは肩をすくませ、仕方なさそうに話し始める。

「これから、レディートとベーベルには、条約を結んでもらいます。戦争をしないという平和条約を。ああ、もちろんこれには、僕たちベーベル、そしてスワンも」

「ふんっ、そんなもの結んでたまりますか」

 言葉は否定しているが、先ほどとは打って変わり、ルシウスには緊張感があった。

 さすがは大陸中が恐る才を持つと言われているベーベル国。その効果は絶大。予知の才を持つマーク。彼がルシウスの次の動きがどう出るかを読める以上、下手なことはしたくないのだろう。散々大口を叩き、態度が横柄だった高飛車な男も、残っていた馬を降り、軍人の後ろに隠れる始末だ。

「あなたに決定権はありません」

 そう言い、マークはエルダを見据えた。

「エルダさんが居る限り、アレンは大丈夫だ」

「そんなものに、何の根拠があるんです?」

 問うルシウスに、首を傾げ、面白げに問いかけ返すマーク。

「なんだと思います?」

 沈黙して考え込むルシウス。そして、ハッとした顔をした。

「まさか……」

 顔面蒼白そうなルシウスに、マークはニヤリを笑う。

「そのまさかです。僕は予知しました。エルダさんはアレンと生涯を共にする。そしてそれは、人操の才という、巨大な力を抑えることにつながる。つまり、あなたちが恐る脅威はないのです」

「そんな馬鹿な……愛ごときで、呪いを抑えられるはずなどない」

 言いきるルシウス。笑みを浮かべていたマークの表情が一変。鋭い目つきに、ルシウスは息を呑んだ。

「予知の才が信用ならないと?」

 重く、のしかかるような一声だった。

 あと一歩近づけば、鋭い剣がルシウスの背中に突き刺さる。マークはそのぎりぎりを避けてルシウスを推測っているようだった。

「さあ、どうします?」

 また笑みを浮かべ、先ほどの声とは打って変わった柔らかな声。穏やかな問いかけをしていると言うのに、有無を言わせない感じがした。

(マーク王子って、こんなにすごい人だったんだ……)

 そんなマークに、観念した様子のルシウス。彼に選択権はないようだ。

「分かりました……しかし、決定権は国王陛下にあります。すぐに国に帰り、決定を仰ぎます」

「はーい、よろしくお願いします」

 にこやかにそう言い、剣を下げるマーク。

「あ、くれぐれも、変なことはしないようにね?」

 マークは、ルシウスが地面に捨てた剣に、僅かな視線を投げたのを見逃さなかった。

 釘を刺すあたり、本当に全てを見通しているようだ。

 風のように過ぎ去ってしまった台風に、呆気に取られるエルダとアレン。そんな二人をアンジェリーナは優しく抱きしめてくれた。

 __その後、エーデル軍は撤退し、マークの提案通り、四カ国で平和条約が結ばれる運びとなった。

 そして、夜明けを迎えた時__その訃報は、エルダ達に届いた。

 クラウトが送ってくれた手紙には、ヒーデルは苦しむことなく、アルバートに見守れら、静かに息を引き取ったという。

 その顔は、とても穏やかだったと。まるで、幸せな夢を見ているかのように。

 手紙を読んだアレン。その傍には、寄り添うようにしてエルダがいた。

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