お見合いをして五秒で破談
「お嬢様、本日のお召し物でございます」
「ありがとう、メアリー」
私は用意されたドレスに袖を通そうとして、あら、と違和感に気づいた。私がよくそういう顔合わせの場へ着ていく、明るい色のドレスではない。
「どうしたの? この深紅のドレスは。私の手持ちにこんなのあったかしら」
私の衣装の中にあるかないかで言えば、あっても違和感のないくらいの色合いではあるのだけど、見覚えが一切ない。メアリーが半笑いになった。
「あ、御覧になられますか?」
何を? と思っていると、あれよあれよと着付けられる。そしてメアリーに連れられて衣装室へ向かって部屋の中を覗き込んだ瞬間、私は絶句した。
「なあに? この……赤と黒の、ドレスの山は……」
「エドガー様が準備なされました」
「こんな色が似合うのは、魔性の色気がある年上の女だけよ……」
「お嬢様はよくお似合いになられるかと」
どういうことかしら。
「ロゼ様はメリハリのあるからだつきですし、顔立ちもはっきりしていらっしゃいます」
思わず自分の胸を見下ろす。まあ、たしかに、メアリーよりは大きい。
「特に栗色の豊かな髪を背中に流して唇に真っ赤な紅を引き、色の濃いドレスを着た艶やかなお姿。それが一体、何人の未成年の元婚約者たちを惑わせてきたか」
んふ、とメアリーが口元を歪める。私はそれを無視して、ぱたんと扉を閉じた。
「エドガーがどうしてこんなことをしているか、理由は聞いているかしら?」
「私からは、とても申し上げられません」
やれやれと首を横に振る失礼な態度も、今は気にならないくらい動揺していた。まさか、ドレスを全部入れ替えるなんて。
「アクセサリーは?」
「赤と黒の石、どちらがお好みですか?」
「緑が好きよ」
「では黒で」
私はあれよあれよと赤と黒で飾り上げられ、唇には派手な赤い紅を引かれた。こんな派手な格好、逆に未婚では許されないのではないかしら。
だけどこれはきっとエドガーなりの、深い考えがあってのことなのだろう。
「お似合いです。エドガー様一色ですね」
「もう。おとうとの色に染まっても仕方ないのに」
レースの手袋に指を通す。それも黒く染められた絹のもので、本当に徹底されていた。
とにかく私はメアリーを連れて、お見合いの申し込みを受けてくれた貴族の邸宅へと向かった。婚約破棄をした直後にすぐ新しい婚約者を探すのはとてもお行儀が悪いけれど、そんなことも言っていられないじゃない。
もちろん、そんな女の申し出を、こうしてすぐに受け入れる男はろくでもなさそうだけど。細かいことは覚えていないけれど、爵位の低い成金だったはず。
名前は、タックス=ヘイヴン男爵。
たどり着いた屋敷は大きくて、お庭も広くて立派だ。だけどとにかく流行のオブジェをたくさん置いて、見栄えを上辺だけ整えたような違和感がある。なんというか、下品で統一感がない。
そして玄関から出てきた私の婚約者候補は、控えめに表現して恰幅のいい中年の男性だった。やたら肌が脂ぎっていて、髪と顔が荒れている。これは、想像以上だ。気が一瞬遠のきかけて、メアリーが支えてくれた。
「やあ、これはこれは。ロゼ嬢」
もっと何か、初対面に適切な挨拶があるだろう。しかも明らかに、私の胸以外を見ていない。
私がさっと扇で胸元をかくして会釈をすると、やっと私の顔に視線が向いた。こちらとて、婚約破棄され続けて苦節八年。身につけた社交力のすべてを用いて、笑みを形作る。
「はじめまして、タックス=ヘイヴン様。私はローラン伯爵家より参りました……」
「いい、いい。はやくこちらへ来たまえ」
私の言葉は、強引に遮られた。彼はぶくぶくと太った指で私の手を握り、強引に屋敷の中へと連れていく。ぞわりと鳥肌が立ったけれど、ここは我慢よ。
だって私が実家を出ない限り、エドガーは結婚できないだろうから。
案内されたのは、妙に狭い客室だった。調度品の質はいいのだけど、全部真新しいのもあって、妙に不安感を煽る。
二人掛けのちいさなソファに座らされ、その隣にヘイヴン様が腰かけた。やたら距離が近くて鼻息荒く寄ってくるけれど、我慢。にちゃにちゃと笑いながら、彼はもぞもぞと指を蠢かせた。
「ふふ、う、美しいですね。ロゼ嬢。一体何人の男を、その身体でオトしてきたんですか?」
何よりまず、この人、ものすごく気持ち悪い。それにオトしていたら、今頃はとっくに人妻よ。だからあなたの前にいるの。
私が遠い目で曖昧に首を横に振ると、ヘイヴン様がごくりと生唾を飲んだ。
「へ、へへ。その色気で
ヘイヴン様が、ごそごそとジャケットの内側を探る。
何事かと思ってがんばって身体を引けば、懐からぺらりと書類を取り出した。しわの寄ったそれを、彼はぺちんと机に置く。婚姻届。
「……はい?」
あまりの展開のはやさに目を白黒していると、万年筆を突き付けられる。
「ロゼ嬢、いや。ロゼ。この書類にサインしてくれ。僕はすっかり、君の虜になってしまった」
胸を見ながら言うな。何回もプロポーズを受けてきたけど、間違いなく過去最悪だし、未来永劫最悪であってほしい。
「さあ、はやく。僕に身を任せて」
冷や汗が止まらない。嫌だ。どくどくと心臓が音を立てて、呼吸が荒くなる。
それを勘違いしたヘイヴン様が、さらに身体を近づけてくる。
「や、やっぱり私、嫌……!」
私がそう、ヘイヴン様を押しのけようとしたときだ。
「開けろ! 司法警察だ!」
どかん、と大きな音を立てて扉が蹴破られた。はっと振り返ると、なんとそこには、厚紙でできた組み立て式の小箱を小脇に抱えた屈強な身体つきの男性が何人も立っていた。そしてそれを押しのけるように、堂々たる振る舞いのエドガーが現れたのだ。
「タックス=ヘイヴン! 貴様を脱税の容疑で逮捕する!」
エドガーが高らかに言って、書類を突き付けた。そこには真っ赤な蜜蠟で、司法機関の紋章が捺されている。
「そ、それは宰相にしか許されない印……!」
「そうだ。つい
宰相代理って、すごい。
屈強な男性たちはどんどん屋敷の中に入っていって、あちこちで怒声が響きはじめる。厚い紙を組み立てて箱を作って、そこにどんどん物を入れて押収していた。
ヘイヴン様はあっという間に腕を掴まれ、私が泥酔したときに吐くゲロより汚い悲鳴を上げる。
「きッ、貴様みたいな年増、僕以外と結婚できると思うなよ……!」
「あなたと結婚するくらいなら、一生独身のままの方がずっといいわ」
私が言うと、エドガーが私の肩を引き寄せた。その逞しい力にほっとするのと同時に、やっと身体に血が巡りはじめる。
「連れていけ。下一桁に至るまで正確に、脱税した分と罰金を搾り取ってやる。ついでに婦女暴行の罪もたっぷり問うてやれ」
「そっ、そんなことしてないッ! あっちから誘ってきたんだッ!」
暴れるヘイヴン様を、屈強な男性たちが呆気なく押さえつける。唸り声さえ上げられない彼を、エドガーは冷たい目で見下ろした。
「それを聞くのは俺ではなく、下っ端の捜査員だ。これから尊い税金で臭い飯を食わせてやるから、たっぷり自供するがいい」
私がこっそりエドガーの腕にすがりつくと、「どうしたの」と優しい声で抱きしめてくれた。嬉しくて頬ずりすると、彼にくいっと顎を持ち上げられる。
自然と目が合って、その瞳が暗いことにぞっとした。
「ねえ、ロゼ。どうしてこんな男と結婚しようとしたの?」
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