女には、ワインをラッパ飲みしなければいけない時がある

 私はなんと答えればいいのか、分からなくて黙り込んだ。私がいたらあなたが結婚できないでしょう、と言えばいいだけの話なのに、言えない。エドガーは切ない声で「ロゼ」と私を呼ぶ。


「俺がどれだけロゼのことを愛しているか、分かっているだろう?」


 エドガーは低い声で言って、私を強く抱きしめた。その力強さに、今度は言葉にできない胸の高鳴りを覚える。心臓のうるささに、彼の胸に顔をうずめてしまった。


「ねえ、ロゼ。俺じゃダメなの?」


 その言葉に、いけないと首を横に振る。


「だって私たち、姉と弟じゃないの。血縁関係になくても結婚できないわ、それが法律よ」

「じゃあ法律上、結婚できるようになったらいいんだね?」


 まるで子どものような発言に、私は思わず笑ってしまった。この義弟は、本当に、いつまでもかわいい男の子だ。


「もう! 揚げ足を取らないでよ。あなたもいい加減、姉離れをしなくちゃね」


 するり、とエドガーの手が離れる。私はそのまま彼の手を取り、エスコートされながら屋敷の外へと出た。

 私を自宅へ送り届けた後、エドガーは王宮へと戻っていった。まだ仕事が残っているのだと言う彼の名残惜しそうな顔にキスをして、私は部屋へと戻る。


「お帰りなさい。どうだった?」

「全然だめだったわ」


 落ち込む私を、両親はまた暑苦しく抱きしめてくれる。そしてお風呂から上がったら、地下室で冷やしたワインをいただいて、一息ついた。

 おいしいわ。この一杯があるから、私は生きているのね。

 今日は控えめにワインを一本開けるだけにした。明日もお見合いがあるのだもの、二日酔いになってはいけないわ。


 そして起きてから後悔するのが、酒飲みの性ね。起きたらすっかり夕方になっているんだもの。私が飲んだ記憶のない瓶が二本転がっているから、もしかしたら家族で飲んだのかもしれない。

 今日のお見合いが、お相手が主催する簡単な夜会でよかったわ。


 頭を抱える私に、メアリーが二日酔いに効くドリンクを渡してくれる。それを喉を鳴らしてのみくだし、今日は黒いドレスを着た。


「お嬢様。ご無理なさらず」

「いいえ、行くわ。お酒くさくない?」

「準備の時点で脱臭しました。大丈夫です」


 ありがとう、と私は丁重に言った。お酒で迷惑をかけてしまったら、とにかく低姿勢でお礼を言って謝る。それが筋というものだから。

 私は馬車に乗り、痛む頭から意識を逸らすために街の風景を見ていた。

 今日のお見合い相手は、ヘイター=アルコ・ホリック様。

 ここ王都でも名高い、ホリック侯爵家の方だ。


 私が到着すると、若い使用人が誘導してくれる。ここはヘイター様――ホリック家の方々はたくさんいるのでお名前で呼ぶ――が個人で所有されているお屋敷。

 ヘイター様は今年で十九歳になられた方で、清廉潔白と名高い貴公子だ。ただその信念の強さが仇となっていて、多くの縁談相手をけんもほろろに振り続けているのだとか。

 だからこそ逆に、私のようなよく分からない女とも会ってくれるのだろう。


「ようこそいらっしゃいました」


 屋敷の中へ入ると、家令が丁重に出迎えてくれた。家名を告げると、そのままヘイター様のもとへと案内される。

 ヘイター様は、遠目に見ても分かるほどの美男子だ。さらさらのプラチナブロンドに、すらりと真っすぐに伸びた高い背丈。ほどよく筋肉のついた分厚い身体は、彼の趣味だという乗馬の賜物だろう。


 私に気づいたヘイター様は、一瞬ぴくりと眉を上げた。私はそれに気づかないふりをして、一歩一歩近づいてゆく。

 先にヘイター様が、私に声をかけた。


「こんばんは。いい夜ですね。僕は、ヘイター=アルコ・ホリックといいます」


 その言葉を聞いて、私はカーテシーを披露した。


「はじめまして、ヘイター=アルコ・ホリック様。私、ロゼ=ローランと申しますわ」


 その表情には、私の奇抜な恰好に対する嫌悪や驚きがわずかに滲んでいる。まだ若いわね、と私は静かに彼を見定めた。

 だけど下品な言い方をするのであれば、彼は随分とマシな方だ。少なくとも、昨日のヘイヴン様に比べれば雲泥の差よ。

 彼はウェイターからリンゴジュースを二つ渡され、一つを私へと手渡した。ありがたく受け取ったところで、開場の挨拶がはじまる。

 そして乾杯の声とともに、あちこちでグラスのぶつかる軽い音が響いた。私たちもちん、と軽く合わせて、一口飲む。


 しばらく、お互いの間に無言が続いた。十九歳の男の子が五つも年上の、しかもいきなり見合いを申し入れてきた女と何を話せばいいのか分からないのは無理もない。

 仕方ない。私が一肌脱いで差し上げよう。


「ヘイター様は、乗馬がご趣味なのですよね」

「ええ。そうですが」

「うちの弟も、馬が好きなのです。私もときどき遠乗りに連れていってもらうのですが」


 要約すると、私はあまり知らないけれど興味はあるから教えて、ということだ。

 すると途端にヘイター様は顔を輝かせて、馬について語り始める。はい、そうなのですね、面白いですわ。相槌を適度に打って話を転がすと、どんどん彼は年頃らしいかわいい表情になった。


「ああ、すみません。僕ばかり話しすぎました」

「とても面白いお話でしたわ。私もいつか、馬場へご一緒したいくらい興味を惹かれました」

「いやいや。うちの分家のケイバ・ホリックのお兄様方は、もっと詳しいのですが」


 かわいいわね、と微笑ましくなってくる。彼もだんだん心を開いてくれているようで、他愛ない話をしてくれるようになった。


 家族のこと、友人のこと、趣味のこと。彼の話を聞きながらふと会場を見渡すと、私の目は自然と、テーブルの上の瓶に惹き付けられた。


 あれは伝説のワイナリー……レジェンダリーフューイヤーズの、ここ数年で最も出来がいいと言われる今年解禁のボトル。

 芳醇で、エレガントで、完璧な出来と言われる、あの。


 ごめんなさい、と心の中でヘイター様に謝罪する。あなたの話す私の知らない話より、あちらのワインの方が、私にはずっと魅力的だわ。


 私がちらちらと不埒な視線を投げかけているのに気づいたのか、ヘイター様がボトルの方へと顔を向ける。途端に彼は顔を顰めて、「お酒ですか」と吐き捨てた。


「本当に嫌ですよね。何がよくて、あんな正常な判断能力を奪う毒物を飲むのか」


 あら、と私は扇で口元を隠した。私は歴戦の酒カスだから、そんなことを言われても痛くもかゆくもない。だけどそれは、ヘイター様自身の敵も増やす言葉だ。


「あまりそのようなことを言うのは、およしになった方がいいですよ」


 年上として窘めると、「ああ、すみません」とヘイター様は苦笑する。


「あなたのような素敵な方が、飲酒なんてするわけないのに」


 あ、この人とやっていくのは無理だ。


 私は即決して、「失礼します」と礼をした。怪訝な顔をするヘイター様を置いて、私はつかつかとレジェンダリーフューイヤーズへと歩み寄る。


「栓抜きはある?」


 ちょうど通りかかったウェイターに栓抜きを貸してもらって、手ずから開けた。きゅぽん、というコルクの音が、耳に心地いいわ。ふわりと広がるブドウの香りは、なるほど評判通りとても芳醇だった。

 くるくると手首を回して、香りを楽しむ。こんなことはしたないけれど、やらずにはいられない。グラスを持たなくちゃなんて理性は、この香りを前に軽く吹き飛んだ。


「あれはまさか、ボトルでテイスティングを……!?」


 ざわつく周りに一切構わず、私は一直線にヘイター様を見つめた。


「私、めちゃくちゃ飲みます。お酒が大好きです」


 きっと今、ここで私がこのお酒を飲まないと、きっと彼の中の偏見は消えない。

 そもそもこのチャンスを逃したら、きっとレジェンダリーフューイヤーズのこの伝説のボトルは、二度と手に入らない。この神の雫を飲めないのは、人生の損失だ。


 意を決して、私は瓶に直接、口をつけた。

 ごっ、ごっ、ごっ、と喉を鳴らして飲み下す。本当はこんな飲み方をしていいお酒ではないし、飲み口は台無し。味も風味も損なってしまっている。

 でもそんなことは問題にならないくらい、美味しい。

 一番の問題は、これで私の世間体が完全に終わったことだろう。


「ロゼ、さん」


 茫然と、ヘイター様がこちらを見ている。私は切なく微笑んで、彼に微笑みかけた。口の端から伝う液を指で拭って、ぺろりと唇を舐める。


「私みたいな大人になっちゃ、ダメですよ」


 そう言い捨てて、私は会場から立ち去った。ロゼさん! と、ヘイター様が私を引き留めようとするけれど、決して振り返らない。


 会場から出て馬車に乗って、追いかけてきたヘイター様を置き去りにして自宅に帰る。そんなに私に、抗議したいことでもあったのかしら。

 帰り道に、ローラン家の馬車とすれ違った。ちらりとエドガーの姿が見えた気がしたけれど、今はきっと残業中だろう。私の他にも、誰か招待されていたのかしら。


 私はいただいたボトルに口をつけてちびちび飲みながら、ぼんやりと月を眺めていた。

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