王子様との両片想いな闇落ち学園生活 〜封印される記憶〜

春風悠里

生きている限り

「今日の君も可愛いね。これから何年も一緒に学園にいられるなんて、君と同じ学年でよかったよ」


 今日もいかにもな王子様のロイド・ジルベール様が私に愛を囁く。金のサラサラの髪、深みのあるグレーの瞳。こんなに素敵な人が私の婚約者だなんて夢みたいだ。


 ――でも、彼の言葉が本音ではないことも分かっている。


 彼は……この私には興味がない。だから絶対に「好き」だとは言わない。ただ婚約者として期待されている王子様を演じているだけだ。「好き」だという言葉だけは嘘で口にしたくないのだろう。


「もう、ロイド様ったらいつもそんなことを言って」


 私も期待されている婚約者を演じる。嘘だと分かっていても嘘だと指摘はしない。

 

「毎日言いたいんだよ、ミリア」


 愛おしそうに私の名前を呼んでくれる王子様。それなのに――、


「じゃ、また放課後にね」


 あっけなく彼は立ち去っていく。授業開始前に校舎入口で待っていてくれるのは、それが婚約者としての義務だと思っているからだ。


 だって、学園の食堂で一緒に食事くらいしてくれたっていいのに、一度も誘われたことがない。当然デートもない。義務的に定期的にお茶を共にすることはあるけれど、親への報告に必要だからだろう。天気の話や紅茶の話などありきたりな話ばかりで、すぐに終わってしまう。


 すごく寂しい。


「いつもの挨拶は終わった?」


 友人が話しかけてくれる。わざわざ私たちから距離をとって待ってくれていた。


「ええ。授業へ行きましょうか」

「ふふっ、羨ましいわね。毎日ごちそうさま!」


 彼のイメージ工作はこうやって成功している。


 いつだって彼はああやって笑う。 

 綺麗な綺麗な顔で。

 明日も明後日もこれからも、青空の下でつくられたような爽やかな笑顔を私に向けるのだろう。


 ――そんな彼が、私に対して待ち焦がれるような顔をする時が毎日一瞬だけある。


 講義が終わってから、彼に連れていかれるとある一室。私と寮に戻る前に二人きりになりたいからと案内された場所。研究棟の横にある多目的棟という名前の建物の中には地下へと進む階段があって、いつも私は放課後にそこへ誘われる。


 ――そして例外なく、記憶を失うんだ。



 ▼▲▼▲▼


 

 そして今日もまた、そこへ誘われた。


「ロイド様……私、この場所へ来ると意識を失ってしまうのです」

「朝からの講義で疲れているんだろう。君の寝顔は可愛いよ」

「私は心配です。どんな顔をして寝ているのか……」

「ははっ、いいじゃないか。君と二人きりになれる大事な時間だ。今日も付き合ってくれてありがとう」


 放課後はいつもここ。昼が夜に移る時間。黄昏時。彼が、私の知る彼では……きっとなくなる時間。


 彼は魔法とは違った能力をもっている。そういった人は一定数いて、聖獣の言葉を理解できたり、相手の嘘を感知できたり……。それらは自覚したらすぐに王家に登録しなければならず、自覚したうえでの登録忘れには重い刑罰がある。


 王家が把握できなければ、思わぬ能力によって王族が暗殺される可能性もあるからだ。好き勝手使うことも許されていない。


 能力の有無を感知できる者も王家にいると、噂として流れている。だからこそ、誰もが自覚したら登録し、定期的に能力を使った悪事を働いていないか秘密裏に調査が入ることに同意もしている。


 ――さっきの会話は、いつも以上の化かし合いだ。互いに嘘をついていると分かっている。


 能力の有無を感知できる能力を持っているのは私だ。だからこそ、ロイド様の婚約者に選ばれた。当然ながら、気づくのには少し時間がかかった。能力者は少ないからだ。


 十歳にも満たない幼い頃、彼の指示により「ロイド様が飲む紅茶のみ甘くする(皆の前で砂糖を入れるのはかっこ悪いから)」という能力を使用人さんが使っているのを見て気づいた。


 より正確に言えば、彼の使用人の体から光が漏れていたので、こっそりと彼に「なぜなのか、ご存知ですか」と確認したことで発覚した。能力を使用していない時も、集中すればわずかな光が視える。それも話した。


 両親と共に、たくさんの誓約書にサインをした。能力がある者を見つけたらすぐに報告すること。能力について一切人に話さないこと。王室に協力を仰がれたら協力すること……そんな内容だ。


 彼の安全を守るために私は存在する。


「それじゃ、扉をあけるよ」

「ええ。ロイド様」


 そんなに待ち焦がれたような顔をしないで。


 陽の光が入ってこない地下の闇。特殊状況下における魔法の発動や実験などのためにここはあるという。王立の学園だから、一室を貸し切りにする権限も彼にある。


 彼の持つ鉱石のランプが赤く揺れる。

 重々しい扉が開く音。


 私はいつものように目をつむり、彼もまたいつものように私に聞く。


「何か見えた?」

「いいえ、何も」


 最初の一回目の時は目をつむってと言われた。二回目からは何も言われないけれど、自主的につむっている。


 胸がざわつく。


 もし私が目を開けたのなら、彼の体から光が放たれているのだろう。それを私が察していることも彼は理解している。そのうえで、私を試す。さっきのように。


 何か見えたのかと。つまり目を開いてもいいのだと。 


 いつもの部屋だ。

 彼が扉を閉めた瞬間に、私は記憶を取り戻す。


 ――この部屋限定の記憶を。


 

 ▼▲▼▲▼ 


  

 ああ――、思い出してしまった。


「また私を連れてきたのね」


 一オクターブ低くなった私の声に、彼がくくっと愉快そうに笑った。


「当然だ。僕は君を好きなんだから」


 好きなのはこっちの私じゃないでしょう。

 ここでは昼間と違って「好き」という言葉を大安売りする。「私も好きよ」という言葉が返ってこないことを恐れる必要がないからだ。


 当たり前のように無遠慮に私をベッドまで連れていくと、彼が私の服を脱がせ始める。この部屋は……本来なら夜通し実験なんかをする人の仮眠場所なのかもしれない。


 彼は最初のあの日、ここに私を連れてくるなり突然無体を働いた。


「あなたが好きなのは昼間の私でしょう。臆病者の王子様?」

「はは、酷い言いようだ。そうだよ、僕は臆病なんだ。だから、そろそろ教えてくれよ」

「何をよ」

「いつも聞いていることだ。初デートはどこがいい? 君は何が好きなんだ?」


 彼の能力はこれだ。特定の場所での記憶だけ相手から奪う。条件はいくつもあるらしく、簡単にできるわけではないらしい。詳細は教えられていない。


 普段、私に当たり障りない態度ばかりとるのは、嫌われるのが怖いからだ。だからここで根掘り葉掘り聞こうとする。

  

「昼間の私に直接聞きなって言ってるじゃない」

「どうせ僕と一緒ならどこでも嬉しいとか適当にあしらうんだろう。いつもみたいにつまらなさそうにさ」


 それは昼間の私が彼の言葉を本気で受け取っていないからだ。信じることができない。


「もう少し会話でもして仲を深めれば? いつもあっさりいなくなるでしょう」

「仕方ないじゃないか。あんなにつまらなさそうな顔をして僕の言葉を聞く君が、少しだけ不満気な顔をする。それが嬉しいんだ」

「ろくな趣味じゃないわね」

「うるさいな。僕を好きじゃないくせに、多少は想われていたいなんて考えている君だって悪趣味だよ」


 ……好きなんだけどね。


 でも、教えてあげない。

 だって教えてしまったら、普通に昼間の私と深い関係になろうとするでしょう?


 私のここでの記憶は消してしまって、今の私は消滅するはずだ。

 

「今みたいに食い下がって聞けばいいじゃないの」

「かっこ悪すぎて嫌われたらどうするんだ。なぁ、どーゆー男が好みなんだ。その通りにするから教えてくれよ」


 しかも……純潔まで奪われた。最低最悪の男だ。今もいつの間にか下着姿にされている。


「誰があなたなんかに。どうせ覚えていないからと好き勝手して、それなのに可愛いママゴトみたいな恋愛まで楽しもうだなんて、ほんと勝手な男よね」

「君に万に一つでも嫌われたくないんだよ。君にこうした理由は、何度も説明しただろう?」


 どうして私はこんな人を好きなんだろう。

 

「私に絶望を与えるためよね」

「ああ、そのとおりだ。君が他の男を好きになったら、ここでの記憶を君に返す。そうすれば、僕以外と結ばれることなんてできないと知るだろう。ここまで僕に許した記憶があるんじゃね」

「……許した覚えはないけど」

「でも、もう諦めて受け入れている。君に記憶を返してしまえば僕を嫌いな君しかいなくなってしまうけど、他の男と恋愛をしようとは考えられないだろう」

「さすがにこの婚約は覆らないでしょう」

「当然だ。でも、浮気しないとは限らない。君の言うママゴトみたいな恋愛を違う奴としてしまうかもしれない」


 どうしてこんなに自信がないのか。

 

 それは、生まれ持った才能が凡庸だからだろう。何をしても人並み。だからこそ人一倍努力していることも知っている。彼がこの学園に入ってから、テストも記述問題が増えたようだ。努力をしてもトップには立てない。だからこそ記述問題で点数差をつけて、わざわざ一位にされているとここで愚痴っていた。


 その程度の考慮だけで上にいけるのだから、彼の努力も並大抵ではないものの……完璧な王子でありたい彼は実は落ち込んでいる。


「ここでの記憶をもつ私なら、薄汚れていてママゴトみたいな恋愛は誰ともできないって?」

「ああ、汚れてくれてありがとう。嫌いな男と添い遂げなければならない気分はどうだ?」


 本当にクズね。

  

「あんたなんて、地獄に落ちればいいのに」


 私の不敬な言葉に嬉しそうに笑う。


「君の新たな一面が知れてよかったよ。嫌いな人間には嫌いだと言う性格のようだ。僕はまだ君に嫌われていない」


 ややこしいわね。

 

 昼間の私に嫌われなければそれでいいと。完全に今の私を「私」だと認識してくれていない。


 悔しくて悔しくてたまらない。


「……とっとと、くたばればいいのに」


 私も彼と同じだ。

 卑怯な人間だ。


 ここだけの限定で、昼間の私が嫌われないと分かっているから罵れる。口汚く罵ってすら昼間の私は愛されているのだと、後ろ暗い喜びに浸かりたい。


「……酷い男」

「ああ、酷いんだ」


 乱れてやる。

 昼間の私になんて考えもできないような、あられもない声で啼いてやる。

 

 ――この私からも、離れられないように。



 ▼▲▼▲▼ 



「また意識を失っていました」

「ああ、僕は二人きりの時間を満喫できたよ」


 人畜無害な顔で彼が微笑む。


 背後には、さっきまで一緒にいたはずの部屋の扉。何があったのかもハッキリとは分からないまま、私はここを立ち去る。


「私は何も満喫していません」

「よく眠れたんじゃないか」


 ……倦怠感しか感じないけど。


 ――彼の能力で間違いなく私の記憶は封じられている。


 この中では、きっと私は違う私になっているのだろう。普段なら言えない愚痴や弱音を聞いたり慰めたり、かっこ悪いこの人をたくさん見ているのだろう。もし「能力を使っているわよね」と問い詰めれば、外に漏れてほしくない相談事をしているとでも言うに違いない。


 ――そうして想いを交わし、深く求めあっているのよね?


 体の変化くらい何も言われなくたって分かる。


 彼はいつも綺麗な顔で笑う。自分の考える理想の王子様でいるために。だから、何も知らなさそうな今のお飾りの私も彼の装飾品の一つのように必要とされている。


 もう一人の私に……どうしたって嫉妬する。


 辺りはすっかり夜だ。寮の門限が迫っている。体が重い。気怠い。眠い。


 ――私に何かしたわよね?

 

 聞けない言葉が私の頭をちらつく。


 ……他の人と浮気されるよりマシだ。他の女性にうつつを抜かされるくらいなら、自分と浮気される方がまだいい。


 でも――、少しくらい私のことだって。


 そっと彼の手に私の手を絡ませる。


「……っ」

「駄目でした?」

「いや、嬉しいよ」


 照れたように笑う彼の心は見えない。


 ちらりと彼が名残惜しそうに後ろに目をやった。きっと、さっきまで一緒にいた私にもう一度会いたいのだろう。「どうして手なんてつないだの」と、そちらの私に聞きたいのだろう。


 この人が誰よりも本音を見せているだろうもう一人の私は、あの場所にずっと縛られている。 


 ……私はどこへ向かっているのだろう。


 分からないまま、彼と歩く。


 

 ▼▲▼▲▼ 

 


 あれから何年も経った。

 

 私たちは卒業直前に両想いになった。

 一年後に結婚式も行われる予定で、それまで離れて暮らすのは耐えられないとのロイド様の意向で私は卒業直後に王宮入りした。


 初夜はたった今終わったところだ。


 ――卒業直前、私は今までの想いを全部ぶちまけた。


『もうすぐ卒業だから教えてあげるわ。昼間の私も夜の私もあなたが好きよ』

『は? え? は?』


 面食らう彼に、まるでその日の天気の話でもするように淡々と告げた。


『昼間の私は当然ながら記憶を消されていることには気づいていて、こっちの私のことをあなたが好きなんだと思い込んでいるわ。片想いしているのよ、あなたに』

『えっ、え……っ』

『今のこの私は、昼間の私に対する恋の相談をあなたにされて、ものすごく傷ついている』

『そ……っ』

『あなたのせいで別人格のようになっているのよ。心も体も捧げているのに、卒業したらあなたは私を消すつもりでしょう。ここにも来れなくなるし。消されるばかりの私の身になって考えてみたら』


 やっぱり最後は涙が滲んで自己嫌悪した。


 彼は、泣いて謝ってくれた。記憶も返すと。全て私の希望通りにすると。なんでもするって震えて泣きながら抱きしめてくれた。


 だから、私は彼にお願いしたんだ。


 昼間の私に全部話して謝って、あなたの考える最高のデートをしてあげてって。それから、もう少しマシな初夜を私にちょうだいと。それまで私の記憶は返さなくていいと。


『どんなデートがいい。どこに行きたくて何が好きで……』

『あなたが私のために一生懸命考えた場所がいいのよ。その結果が別に部屋に引きこもってしりとりをするとかでもいいのよ』

『……駄目だろう、それは……』

『償う気があるなら、考えて』

『分かったよ』


 なるほど、不器用なんだなと思った。

 どこかの誰かに聞いたような完璧デートマニュアルに沿ったようなデートだった。何も知らなければ完璧な王子様を装っているだけのような。


「記憶を返したよ……、ミリア」


 初夜とは思えない体の私に気遣いながら、彼はやさしく私を求めてくれた。


「君の希望に沿っていなかったら、ごめん」


 ベッドサイドには金の装飾がなされた宝箱のような小さなケースが置かれている。さっき彼が開けたものだ。あの部屋にもあった。


「私の記憶、もう戻さないかと思った」

「……どうして?」

「あっちの私の方が好きかなって」

「どっちも君だよ。僕の大好きなミリアだ」


 記憶を失った私は最後まで、彼がこちらの私を好きなんだろうなと考えていた。あのままでは上手くいかなかっただろう。


「やっぱり僕の考えたデートプランじゃ、君を楽しませてあげられなかったよね……」


 ほんとにまったくこの人は。


「すごく楽しかった。大切な思い出ができたわ」

「それならいいんだけど……」

「髪留めもありがと。嬉しかった」

「……記憶、返したはずだよね。なんだか前よりやさしいな」


 失礼ね。


 火照りの残る体で起き上がる。さっきまでの私は恥ずかしがっていたし恥じらいも捨てたわけではないけど、彼の目線がこっちに注がれるのは悪くない気分だ。


 彼も同じように起き上がった。


「どんな男が好みなのかって前に聞いたでしょ」

「あ、ああ」

「教えてあげるわ」


 誘惑するように彼を見上げる。


「私のために傷ついてくれる人が好き。あなたに、地獄に落ちろとかくたばれとか言うと平気な顔をしながら少しは傷ついていたでしょう。それがたまらなく好き。だからこれからもあなたを傷つけると思うわ」

「……そんな趣味があったのか」

「そうよ。今日のデートもお決まりコースすぎて、あなたらしさがないなって思ったわ」

「やっぱりそうか……」


 演劇とか食事とか贈り物とか、全部嬉しかった。でもそれだけ言ったところであなたは信じない。


「そう言うと傷ついてくれるでしょう? それが好き。これからもお決まりコースのデートをして、私に傷つけられてよ」

「……部屋でしりとりでもいい気がしてきたな」

「いいわよ。今度する?」

「さすがに縛りは入れよう。愛の言葉しりとりはどうだろう。文章しりとりだ」

「私に何を言わせる気よ」

「愛の言葉しりとりで、愛以外の何を語る気なんだ」


 定番デートより楽しそうな気がしてきた。


「私、青空の下でデート、まだあなたと一度もしたことがないのよね」

「うっ」


 ちゃんと昼間の記憶はあるけど、この人、責められるのも楽しんでいるような気がするのよね。というより安心しているような。責められることで愛を実感できるのかもしれない。


 ――どこまでも歪んだ人。


「青空の下で記憶の戻った私とデートしてくれるなら、場所はどこでもいいわ」

「分かったよ。君のためなら僕はこれからもどれだけでも傷つこう」

「ええ。どこまでも定番を狙って、私に傷つけられてちょうだい」

「……昆虫採集デートに誘っていいかな」

「虫はちょっと……」


 あの学園生活四年間。

 私もそれなりに、どこか楽しんでいたと思う。絶対教えてあげないけど。


 一年後、妻になった私に彼は言う。


「君のために特別な部屋を用意したんだ。僕はここでの記憶を毎回失う。これは君への贖罪だ。さぁ、僕に何をする? 僕たちの関係性にヒビが入りそうなほどに傷つけてくれても構わないよ」


 ――って。


 私たちの闇落ち学園生活は闇落ち結婚生活へと形を変え、どこまでも歪みながら幸せに私たちらしく続いていく。


 生きている限りずっとね!


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