モノクロの命は真実を語る

長月瓦礫

モノクロの命は真実を語る

屋根裏部屋は無数のキャンバスが並んでいた。

壁にかけられた風景画はどれもこれも色とりどりで美しい。

色彩豊かな四季と自然が事細かく描かれている。


私はため息をついた。

芸術に興味はないくせに、画家の名前だけは無駄に覚えてしまった。

絵に隠された画家のサインを見つけては、どのくらいで売れるかと考えてしまう。


「まったくもって嫌な奴だと思うよ。君だってそう思うだろう」


部屋の中心にある少年の絵に目をやった。

少年の絵だけは色がない。髪や目、服などすべてがモノクロで描かれていた。

革張りのイスに座った少年、色はないのに生気がないことだけがよく分かる。


「さて、どうしたものか」


絵の中の少年は笑みを浮かべているものの、目が笑っていない。

変なことをしないかと、こちらを観察している。

両親以外の人間を見るのは初めてなのだろうか。


「初めまして。私は魔界評議会幹部がひとり、『色欲』でございます……つったって、分かるわけないか。リヴィオでいいよ」


両親や画家なら何か知っているかもしれないが、この絵には関係ないことだ。

新しくできた異世界を悪魔が統治していると言ったところで分かるわけがない。


それは、自分の息子を描く上で、必要ない情報だからだ。

芸術とは記憶と絆で構成されているはずだからだ。


子どもの絵を描いてもらうのは分かる。

子どもが死ぬのは、仕方がないことだ。

画家と因果関係があるとは思えない。不幸が重なることはよくあることだ。


この家で最期を迎えたのはよかったのかもしれない。

親戚総出で見送ったらしいし、それも悪くないことだと思う。

案内された墓地も静かで穏やかな場所だった。


さて、死んだ息子の肖像画が苦しんでいるというのは、どういうことだろう。

彼の両親によれば、この絵が苦しんでいるというのだ。


だから、なんとかして話を聞き出せないかと相談を持ち掛けられた。

苦しみから解放してほしいと、何を血迷ったのか悪魔を頼りやがった。

代価を支払えば何でもすると言ったのはどこのバカなのか、それも分からない。

それさえ用意できれば、悪魔は何でもできると思われているらしい。


少なくとも、私はそんなこと一言も言ってないんだけど。

しかも、芸術を値段で判断するような私を呼ぶのか。


両親には芸術に対する知識はほとんどないこと、死者は呼び戻せないことを何度も何度も説明したうえで、了承を得た。正直、理解されているかは分からない。


私の話はほとんど耳に入っていなかったようだ。

契約書にも同じことは書いてあるから、心配はいらないと思う。


風が吹いて儲かった桶屋が吹聴して誰もが真似をした。

成功したヤツの足元に失敗したヤツの屍が山のように転がっている。

そんなところじゃなかろうかと思う。


「死にかけの奴に呼ばれる分にはいいんだよ。

こっちの仕組みを説明すれば理解してくれるし、この役目からも解放される。

残された時間はそう長くないし、大体が見放された奴ばかりだから。

道化でも何でもいい、真面目にやれば喜んでくれるんだ」


見送る側になれば、こんな意味の分からない話を持ち掛けられることもなかったのだろうか。手紙の一つでも寄こしてくれれば、よかったんだけどねえ。


「けど、君は死んだ子本人じゃない。ただの油絵なんだ。

私にはどうしようもできない」


これは物を言わないただの絵だ。

両親が病院に行ったほうがいいのではないだろうか。


似たような服を着ている私に言われたくはないと思うが、この絵は不気味だ。

色彩がないからか、その人そのものを否定されている気がする。


私だったら、この画家には依頼しないだろうな。

家族を白黒に描かれたくはない。


「こんなところに閉じ込められてたら、そりゃ苦しいに決まってるさ。

こんなに絵があったところで、見えてないんだろ?」


少しだけうなずいた気がした。


「せっかく描いてもらったんだから、誰かと話をするのがいいんじゃないかな。

ご両親もかなりため込んでいるみたいだし。自慢話でも天気でも何でもいい。

私以外の誰かと話すのがいいんじゃないかな。

外の空気を吸えば、気分もよくなると思うよ」


ああ、最初からこうすればよかったんだな。

適当にそれらしいことを言って、ごまかせばよかったんだ。

変に助言をするより、よほどいいかもしれない。


「とにかく、君が絵から出てこない限り、私には何も分からない。

そういうふうに言っておくよ。あまり聞いてもらえないだろうけどね。

ついでに、いい病院を紹介しておく。私を頼るよりよほど健全だと思うから」


背を向けたとき、背中に衝撃が走った。

振り返ると、少年が絵から飛び出していた。

絵は革張りのイスだけが残されていた。


「あなたは、あの二人でも先生でもないの?」


少年は私の服の裾を掴み、少しだけ首をかしげた。


「先生?」


「僕を描いた人! 病院の先生よりも話を聞いてくれたから、あの子も楽しかったみたい。僕も話してみたかったけど、絵だからできなかったんだ」


絵の中の少年が勝手に動き始めた。

私はまだ何もしてないんだけど、どういうことだろう。


「先生がね、ニケ少年の真実を明かさなければならないから、僕が代わりに伝えてあげてって言ってた! だから、今から話すね!」


絵画の少年は早口でまくし立てる。

作品に余計な情報を入れていないと思っていた矢先にこれか。


「君の先生はずいぶんと趣味が悪いみたいだね。私は何も聞いてないんだけど」


「だって、僕たちとあの子だけの約束だもん! 誰も知らないよ!」


モデルとなった息子とは交流はあったはずだ。

画家の先生は何を見たというのだろう。


「それでね、この魔法はたった一回しか使わないから、家族を騒がせるのにちょうどいいだろうって! だから、すぐに使わないと絵に戻っちゃう!」


「分かったから、落ち着いて。ちゃんと聞くから、ね」


私は椅子を持ってきて、少年を座らせた。

絵から出てきた白黒の人間がそのまま動いている。


人間にはない色彩を持っている。

非常に不気味だ。


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モノクロの命は真実を語る 長月瓦礫 @debrisbottle00

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