平成十七年八月の回想録

十余一

平成十七年八月の回想録

「キュウリやナスで動物をつくるだなんて、いったいどこの田舎だよ」

 小学生のころ図書室で本を読み、そう笑ってしまったことを今でもよく覚えている。本の中にしか存在しないキュウリの馬やナスの牛が、子どもの目にはひどく滑稽こっけいに映ったのだ。

 言うまでもないが、田舎なのはむしろ私が住んでいた集落のほうであり、そんな集落で行われるお盆の風習は一風変わっていた。


 ――ご先祖さまはケブに乗ってやってくる。

 物心がついたときから言い聞かされてきたことだ。ケブとはケムリが訛ったもので、稲藁いなわらを燃やした煙に乗ってご先祖さまは家に帰ってくるのだという。

 まず、盆入りの夕方、自宅から菩提寺ぼだいじがある方角へ十メートルほど歩き、ちょうど丁字路のあたりで藁の束に火をつける。家の者はそれぞれ火のついた藁束を持ち、煙を立ち昇らせながら庭まで運ぶ。そして、庭先で藁を燃やしきり、最後はミソハギの花を束ねたものを使って水をき消火する。

 これがご先祖さまを迎える一連の流れだ。


 私が小学三年生のときも、そうしてご先祖さまを迎えた。

 思えば、すでに異変は始まっていたのかもしれない。その日は、夏らしくない薄曇りの空で、やけに風向きが変わる不思議な天気だったことが印象に残っている。たいていは一直線に流れていく煙が、風に乱されてあちこちへ流れて消えていたのだ。

「これでは亡者が迷子になってしまう」とは、当時の私は別に思わなかった。中途半端に伸びた髪が風に揺れて邪魔だなあ、という程度の感想だ。

 それはそれとして。夕方といえど空はまだ明るい。遊びたい盛りだった私は、外へ出たついでに、そのまま坂の上の幼馴染の家へ遊びに行こうとした。たとえ十分でも二十分でも、遊べるのなら遊びたい。それが小学生の心理だ。


 幼馴染の家へ行く道中、坂道と小さな沢が交わるあたりに人影があった。ぼんやりと空を見上げている男の人がひとり。

 たぶん、知らない人だ。五、六十人ほどのさして大きくもない集落だが、年の近い子どもとその兄弟、あとは幼馴染の家族くらいしか面識がない。まだ小学生だった当時、自分を中心とした小さな世界しか持ちあわせていなかったのだ。

 私があいさつしようか決めかねていると、その人が振り返る。兄と同じか、少し年上くらいの若い男の人だ。襟付きの暗いミドリ色の服に、同じ色の帽子をかぶっていた。

「ああ、ケエドの子か? ちっとばぁり案内してくんねぇか」

 ケエドは屋号ヤゴだ。集落の人間はみんな同じ名字だから屋号で呼びあう。街道沿いの家だから、街道カイドウ。それがなまってケエド。

 そして屋号で呼ぶということは、少なくともヨソ者ではない。誰かの兄弟か、もしかしたら周辺の集落から従兄弟いとこでも訪ねてきたかのかもしれない。

 困っている人がいたら助けましょうと、私は学校で習ったことを愚直に実行する。

 無言でうなずいた私に、その人はニコリと微笑んだ。

「ウメイダカの方に行きてぇんだ。何処ドオだったかな」

 ウメイダカも屋号だ。ふたつ年上の、ショウ君の家だ。

 私は彼を先導して歩く。

「ウメイダカの、ショウ君はこっちだよ」

 幼馴染の家へと続く細道を素通りし、シイノキの大木が影をつくる道を抜けたら、少し開けた場所に出る。それから収穫を間近に控えた田んぼの脇を歩き、「ひ」の字に曲がりくねった坂道を少しだけ下る。すると、ショウ君の家が見えてきた。

 しかし、私の少し後を歩いていたはずの彼が不意に立ち止まり、ある方向を指差す。

「あそんトロ

 指差した場所は、集落の外れにあるショウ君の家のさらに先、山を削って作った切り通しだ。剥きだしの岩が迫る狭い道は、暗くジメジメとしている。そして草木が生い茂る岩肌には、大小いくつかの横穴があった。

 穴は当時の私の背丈よりも高い位置にあって、中を覗きこむことはできない。だから、意地悪な兄にあれやこれやと怖い話を吹きこまれて揶揄からかわれていた。

 この横穴は戦時中に掘られた防空壕ぼうくうごうで、白骨がのこされているとか。戦国時代に城を追われた武士がここで切腹して、穴がお墓になっているとか。ウメイダカは梅木坂ウメキザカと書くけれど、実は地名の由来は梅の木ではなく、うめき声が聞こえるからだとか。

 すっかり怯えきっていた私は、震える声で彼を止めようとする。

「あの、そこはコワいところで、行かないほうが……」

 けれども制止などまったく聞こえていないかのように、彼はふらふらと切り通しを進む。そしてひとつの横穴の前で立ち止まった。

「ここだ。ここに、俺ん大事な――」

 私はその様子を、ただ見守ることしかできない。

 すると、彼が急にぐるりと振り向いた。表情の抜け落ちた顔で問う。

あんでん なにか 見たか?」

「み、見てない、です。背が、背が低くて届かないの」

 つかえながらも必死に弁明し、何度も首を横にふる。血走った目に貫かれて動けない。

 そのときゴオッと強い風が吹く。私は思わずぎゅっと目を瞑ってしまった。

 次に目を開けたとき、目の前には誰もいなかった。ただ向きの定まらない風だけが吹き、私の髪をさらう。

 何が起きたのかわからない。私は急に怖くなって、火がついたように泣きだしてしまった。大声で泣きながら、家に向けて全速力で走りだす。田んぼの脇を駆け抜けて、坂道をほとんど転がるようにして帰った。

 無事、家にたどり着いた。が、わんわん泣くばかりで、家族には何の説明もできなかった。


 この話には少しだけ続きがある。

 大人になってから、お盆に帰省したときのことだ。 

 終戦記念日が近いということもあり、年老いた家族は戦時中の話ばかりする。裏山へ松脂を取りに行ったとか。空襲のときは耳と目を塞がなければならないと学校で習ったとか。学校が機銃きじゅう掃射そうしゃを受け、便所の扉に弾痕が残ったとか。

 どれも聞いたことがある話ばかりだったが、ひとつだけ、初めて耳にすることがあった。

あんでん なにか 隠すべぇと思ったんだっぺ。ありゃ防空壕じゃねえよ」

 その言葉だけが、妙に耳にこびりついた。それが誰のことで、何処どこのことか、直感的に理解した。小学生だったあの夏の記憶が蘇り、背筋がぞわりと粟立つ。

 あの横穴にはいったい何が隠されているのか。あの人が隠したかったものを私は知らない。


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