第36話 高田さんのばか

 時が止まったような気がした。


 それを否定するかのように、時計の秒針の音がやけに大きく聞こえる。


 ――そうだよ。


 高田さんの言葉が、耳の奥で蘇る。



「このあいだ合コンで会った男子。せっかくだし、一回くらいデートしよっかなって」


 たしかそんなことを言っていたと思う。


 よく覚えていない。


 高田さんの言葉も。パンケーキの味も。



 もうとっくに高田さんも帰り、私は部屋に一人きり。


 はやくお風呂に入らなきゃと思いつつ、気力がわかずにベッドに寝そべっている。


 いつもと変わらない私のベッド。


 でも、最近は高田さんが来た日には、彼女の匂いがかすかに薫る。


 高田さんの匂いを嗅いでいると、なんだか落ち着く。でもいまは……



 心臓は、いつもよりはやく、大きく鐘を打っている。


 彼女は以前言ったはずだ。


 むこうから連絡が来たら返しているけど、自分からはしていないと。それなのに――。


 どうしていきなり、デートをする気になったんだろう? いつもの気まぐれ? それとも、告白されて付き合うことになったとか?



 考えれば考えるほど、私の思考はイヤなほうへと傾いていく。


 私の悪い癖だ。ダメなことばかり考えてしまう。


 こんなんじゃダメだ。考えているばかりじゃ仕方ない。


 たしか、駅前のショッピングモールに行くって言ってたよね。


 ――直接たしかめるしかない。


 私には、それがベストの方法に思えた。




 外に出ると、冷たい風が頬を撫でた。


 一月の空気は、昼前になっても厳しい冷えをはらんでいる。雲の隙間から零れる太陽の光も弱々しい。


 駅に近づくにつれて、段々と人が多くなっていく。駅前についたころには、私は人ごみの中にいた。


 冬休みに入った今日は、恋人、友達、家族、様々な組み合わせの人たちでごった返していた。



 こんなことをして、本当に意味があるんだろうか?


 いまさらながら首を捻る。昨日はたしかにそれが最善の選択に思たんだけど、やっぱりおかしいよね。


 高田さんが本当にデートをしているか、確認に来ただなんて。


 これじゃまるでストーカーだ。


 後悔しては自己嫌悪。さっきから私の考えは堂々巡りだ。



 ――もう帰ろう。


 吐こうとした息を、私は慌てて飲み込んだ。


 見間違えるはずもない。遠目からでも分かる。あれは高田さんだ。


 彼女は駅ナカのカフェでコーヒーかなにかを飲んで、ノートを開いてなにか書き込んでいる。



 私はあまり自分から話しかけるタイプではない。街中で友達を見かけても、気づかないフリをしてフェードアウトするタイプだ。


 ――だからもう帰ろう。


 そう自分に言い聞かせたときだった。高田さんと目が合ったのは。


 彼女はにこりと笑って、私にちいさく手を振ってきた。


 きびすを返し歩き出す。


 私はなにも見ていない。気づかなかったことにする。いつものとおり……



「安芸っ」


 背後から呼びかけられ、腕を掴まれる。反射的に振りほどこうとしたものの、思いのほか力が強くてできなかった。


「どうして無視するの?」


 高田さんはすこしムッとした様子で言う。


「べつに無視したわけじゃない。気づかなかっただけ」


「目、合ったじゃん」


「合ってない」


「どうしてここにいるの?」


 話が進まないと思ったのか、高田さんは強引に話を変える。



「べつに。ただの散歩だよ」


「散歩で私がデートする場所まで来たの?」


「私がどこに行こうと自由でしょ」


 答えが素っ気なくなってしまう。こんなこと、言いたいわけじゃないのに。



「高田さん、今日デートでしょ? 私に構ってていいの?」


 いま彼女が着ている服は、デニムのパンツ。上はコートを着ているから分からないけど、デートをするにはラフな格好に思える。


「平気だよ。デートって、あれウソだから」


「……は?」


「だからウソなんだってば」


 高田さんの言葉は軽い。まるで天気の話でもしているみたいだった。



「安芸ってさ、すぐ私のことからかってくるじゃん。遊んでそうって。だからデートって言って驚かせようと思ったの」


 なんだそれ。冗談だったってこと?


 そのせいで、私は一人でモヤモヤして、ソワソワして、こんなことまで……



「もうっ、もうっ」


「ちょっ、なに? なんで肩叩くの?」


 困惑した様子の高田さん。


 でも私も困惑していた。自分が思った以上に安堵していることに。

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