第35話 高田さんの指の味

「安芸って、意外と自己主張強いよね」


「うるさい。こんなのただの生理現象じゃん」


 意図せず、声が刺々しくなってしまった。だって、高田さんの声はからかうみたいだったから。


 恥ずかしい。好きな人のまえでお腹を鳴らしてしまうなんて。


 食い意地の張ったやつとか、思われていないだろうか。



「そろそろご飯にしよっか。今日はパンケーキだよ」


「パンケーキ? それっておやつじゃないの?」


「ご飯でも食べるでしょ。安芸はキライ? パンケーキ」


「……食べたことないから分かんない」


「え、ウソ!」


 心底驚いた、とでも言いたげな高田さん。そんな人初めて見たとまで言っている。



「そこまで言われるようなことじゃないでしょ」


「言われるようなことだって! でもちょうどいいね。私作るからさ、いっしょに食べようよ」


「高田さんがそう言うなら」


 こうして話をしていても、高田さんに変わった様子はない。でも、それは私もおなじだ。


 私たちはなにも変わらない。まるでさっきのことなんてなかったみたいに話している。


 それは二人でいっしょにキッチンへ行って、パンケーキを作り始めてもおなじだった。



「私も手伝うよ」


 すると、高田さんはなぜか気まずそうな顔になった。


「いいよ。安芸は待ってて」


「なんで」


「だって、卵焼きも作れない安芸にはムリでしょ」


「……絶対手伝う」


 強情になってもいいことがないのは分かっている。高田さんの言葉だってとても軽いものだった。別段深い意味はない。単純に心配してくれているんだろう。


 でも、そこまで言われて大人しくしているわけにはいかない。



「高田さんの指示どおりにするから。それならいいでしょ」


「まあ、いいけど」


 テキパキと慣れた様子で指示を出す高田さん。


 私は言われたとおり、泡だて器を使って卵と牛乳を混ぜる。


 そのあとで、ホットケーキミックスに混ぜた卵と牛乳を加えて大きく混ぜる。



「そうそういい感じ。でもつまみ食いはダメだからね」


「そこまで意地汚くないし」


 ムッとすると同時に、すこし不安になる。


 さっきお腹の音を聞かれたことが、高田さんにこの言葉を言わせたのだろうか。



「そろそろいいかな。ちょっと貸してくれる?」


 私からボウルを受け取った高田さんは、中のものを指ですくいそれを舐めた。


「高田さん、お行儀悪い」


「味見は必要でしょ」


 クスリと笑った高田さんは、もう一度ボウルの中身を指ですくうとそれを私に差し出してきた。



「安芸も舐めてみなよ」


「意地汚くないって言ったじゃん」


「これくらいで大げさ。ほら、はやく。垂れちゃう」


 前言撤回だ。


 高田さんの様子は変わらないと言ったけど、やっぱり変だ。私にこんなことさせようとするなんて。


 でも、おかしいのは私もおなじだ。


 だって、彼女の手をつかんで、その指を舐めてしまったんだから。



 甘い。ねばねばしてる。ドロッとしてる。


 初めて舐めた高田さんの指は、とっても奇妙な味だった。


 こんなことをさせるなんて、高田さんが分からない。


 だから、私も分からないことをしよう。



 舌を伸ばして、指をぺろりと舐める。さらに強く押しつけると、やわらかな感触がした。


 唇をすぼめ、指に吸いつく。そのまま彼女の指を舌先でつつき、舐める。



「安芸、それやだ。やめて」


 指を私の口から出そうとしてくる。けれど、掴んだ私の手がそれを許さない。


 高田さんはおかしい。


 簡単にキスをしてきて、私にこんなことをさせて。


 キスって、もっと特別なことのはずだ。特別な人とする特別なこと。それとも、私の考えが固いだけなの?



 分からない。


 なにも分からないから私も分からないことをしようとした。そうしたら、もっと分からなくなってしまった。



「安芸っ」


 強く名前を呼ばれて、ボンヤリしていた意識が覚醒する。


「やりすぎ」


 私の口から指を救出した高田さんが言った。


「ごめん」


「私の指、おいしかった?」


「べつに……」


 おいしくなんてない、と続けることはできなかった。私の言葉を遮るように、またお腹が鳴ったから。



「安芸って本当に自己主張激しいよね」


「うるさい。はやく作ろうよ」


 軽く高田さんの肩を押すと「はいはい」という軽い返事が来る。


 なんだかムカムカする。クスクス笑っている彼女に、高田さんのことが分からない自分に。



 出来上がったパンケーキは、ふっくらとやわらかそうだった。クリームやバター、ジャムなんかも乗って粉砂糖までまぶしてある。私が知っているシンプルなパンケーキとは違った。


「どう? 初めてのパンケーキの味は?」


「……甘い」


 からかわれたあとだからか、素直に「おいしい」と言えなかった。でも、高田さんはとくに気にした様子もなく「そっか」と答えた。



「どうして急にパンケーキなんて作ったの?」


「たまには女子っぽいもの食べたいじゃん」


「パンケーキが女子っぽいの?」


「そりゃそうでしょ。定番だよ。食べたことない安芸が少数派なの」


「……食べなくてもべつに死なないし」


「うわ、でた。そういうのやめたほうがいいよ」


「じゃあ、明日は女子っぽくないのにしてよ」


 売り言葉に買い言葉で言ってみる。しかし、高田さんはなにか思い出したような顔になったあとで「ごめん」と言った。



「私、明日は用事があるの。だから来れない」


「そうなんだ」


 なんとなく、明日も来るものと思っていた。冬休みに入ってからは結構来ているし。


 私の心に芽生えたのは、いうなればちょっとした復讐心だった。さっきからかわれたことへの。



「カレシとデート?」


 私もからかってやろう。そう思った。


 すると、高田さんは考えるような顔つきになる。それからクスリと笑って言った。


「そうだよ」

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