第34話 高田さんがまた寝ちゃうからだ
おかしい。
高田さんがおかしい。
いきなり服を脱がそうとしてくるし、かと思えば、今度はキスをしてきた。
とくに変わった様子はなかったはずだ。彼女はいつもの通りマンガを読んで宿題をして。
妙に私に絡んではきたけど、でもそれだけだ。ほかに変なところはなかった。
高田さんとキスをしたのは、正確にいえばあれで三回目だ。
でも、あんなキスをしたのは初めて。いや、されたのは、というべきか。あのとき――。
舌先で唇を撫でられた。くすぐったさに口が開いてしまうと、滑りこんできた感触があった。
生暖かくて、ヌルヌルしている。
あまり気持ちのいい感触じゃなかったけど、でもイヤじゃなかった。
その理由は、やっぱり私が高田さんを好きだからなのだろうか。
以前したときよりも、高田さんを近くに感じた。目をつむっていたのに、彼女の姿が見えた気がした。
唇同士をくっつけただけ。
言葉にしてしまえば、ただそれだけのことだ。
それなのに、首筋にしたときよりも心臓の音は大きかった。舌先を舐められ、さらに舌を入れられると、自分でもビックリするくらい大きくなった。
ビックリして、思わず高田さんを押してしまったら、二人してベッドに倒れこんでしまって……
ああ、もう。全然ゲームに集中できない。
高田さんの様子は、やっぱり変わらない。
あんなことをしてきたくせに、いまもベッドに寝そべって持ち込んだマンガを読んでいる。
あれから年が明けた。
だから、あれはもう去年の出来事だ。日数でいえば、ほんの数日前だけど。
でも、私をソワソワさせているのは、なにもそれだけが原因ではなかった。
「安芸」
突然名前を呼ばれて、私の意識はさらにゲームからそれる。
「なに?」
「元旦にさ、駅ちかの神社にいた?」
「いたよ。高田さんもいたよね」
すると、彼女はマンガから顔を上げて私を見てきた。
「よく知ってるね」
「見かけたから。宮原さんたちといたよね」
私は鈴木といっしょに初詣に行った。そこで参拝者の中に、高田さんの姿を見かけたのだった。
お正月ということで着物を着た……ということもなく、私服の高田さんはいかにも楽しそうな笑顔を振りまいていた。
「安芸は鈴木といたよね。てか、気づいてたなら声かけてくれればいいのに」
「男子ともいっしょにいたじゃん。だから邪魔しないほうがいいかと思って」
高田さんは女子五人と男子五人の大所帯で初詣に来ていた。
男子に愛想を振りまく高田さん。なんだか見ていてイライラした。あんな高田さんは見たくない。
「あの男子たち、みんな高田さんのカレシだったりする?」
「そんなわけないでしょ。この間の合コンで会った男子たちだよ。一人は恵理子のカレシ」
てことは、例の連絡先を交換したっていう男子もいるのかな?
自分からは連絡してないって言ってたけど、どういう経緯で行くことになったんだろう。
ふと浮かんだ考えを、私は頭を横に振って霧散させる。
高田さんがどんな交友関係を築いたとしても、それは彼女の自由であって、何者の束縛も受けないものだ。
まして、私には関係のないこと。そのはずだ。それなのに――。
私は高田さんのことばかり考えている。頭の中が、高田さんでいっぱいになっていく。
こんなのおかしい。いくら好きだからって、こんなこと考えるのは私じゃない。元日のことは、もう忘れよう。
強く頭を振って、私は意識をゲームに集中させた。
……コントローラーを置いて、テレビの電源を落とす。
「高田さん、お腹空いた。そろそろご飯にしない?」
片づけをしながら言うも、いつもならすぐに返ってくる言葉が来ない。
振り返ってベッドを見ると、相変わらず彼女が寝そべっている。
「聞いてる?」
顔を近づけると、規則的な息遣いが聞こえてきた。
相変わらず整った顔。それがいまは、私に無防備な寝顔をさらしている。
だから、これは高田さんが悪い。
私の部屋で、私のベッドで寝てしまう高田さんが悪い。
さらに顔を近づける。
それに呼応するように、私の心臓の音はうるさいくらいに大きくなっていく。
打ち消すように、私は唇を重ねた。
このあいだのキスと比べるととても軽い、啄むようなキス。軽く合わせただけだ。
でもドキドキは消えてくれない。強く押しつけると、消えるどころかさらに強くなるのを聞いた。
高田さんが身じろぎしたので慌てて唇を離すも、やはり心臓の音はうるさいままだった。
「……安芸、いまなにかしてた?」
寝ぼけ眼で訊いてくる。私が「なにもしてないよ」と答えると、高田さんは探るような目で私を見てきた。
「ウソ。キスしてたでしょ?」
からかうような物言いに、胸がドキリとした。まるで直接つかまれたかのように心臓が痛む。
バレてるはずない。高田さんは寝てたんだから。これはただカマをかけているだけだ。
「してないよ」
「唇、赤くなってるよ」
高田さんは口元に薄笑いを浮かべて言った。
「その色、私の口紅の色だ」
「うそっ」
慌てて口元を押さえる。それから「しまった」と思ったけど、もう遅かった。
ウソだよという高田さんは、やっぱり薄笑いを浮かべている。
「騙すなんてひどい」
「ひどいのは寝込みを襲う安芸のほうでしょ」
内容に比べて、口調はとても軽い。怒っているというわけではなさそうだ。
私はホッと息を吐き、
「安芸、キスしようよ」
その息を呑みこんだ。
「はっ?」
「キスしたいなら、そう言ってくれればいいじゃん」
「べつにしたくない」
「したくないのにキスしたの?」
「だからキスなんて……っ」
まえに高田さんの漫画を借りたとき、俺様系の主人公がヒロインを黙らせるためにキスをするというシチュがあった。
こういうのが好きな人もいるのかと他人事のように思ったけど、思ってもみなかった。まさか、自分がおなじことをされるだなんて。
まただ。
高田さんとこうしていると、私の心臓の鼓動は恐ろしいくらいにはやく、そしてうるさくなる。でも……
もっと、ずっと、こうしていたい。繋がっていたい。
目をつむっているのに、高田さんをより近くに感じる。目に見えないものが見える気がする。
こわい。
私の目は、高田さんの目は、いったいなにを見ているんだろう?
やっぱり、高田さんがおかしい。
でも、もっとおかしいのは私だ。
高田さんにキスをして、否定して、キスされて……なんだかメチャメチャだ。
舌先が、私の唇を舐めた。
また舌を入れられる。そう思って、反射的に高田さんを押し返そうとしたときだった。
低い地鳴りのような音が聞こえてきたのは。
それは、私のお腹が鳴った音だった。
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