第33話 安芸が服を脱ぐからだ

「疲れちゃった。ちょっと休憩」


 まだ大してやってないはずだけど。


 安芸はちいさくあくびをして、背伸びをして体をほぐした。


 が、そのときにテーブルに手をぶつけてしまったらしい。置いてあったコップが倒れ、辺りを濡らしてしまう。



「ちょっと、大丈夫っ?」


 二人して慌てて教科書や問題集を救出。すこし濡れてしまったけど、このくらい乾かせばなんとかなるだろう。


「うん。高田さん、濡れなかった?」


「平気。安芸は?」


「私はすこしだけ。もう、最悪……」


 と言って視線を下ろす。彼女が着ているVネックは、たしかに濡れてしまっている。



「とりあえず脱いじゃいなよ」


「急になに? 高田さんのヘンタイ」


「ひどっ。変な意味じゃなくてさ。着替えないと風邪ひくよ」


 季節的にも、濡れた服を着たままにしておくのはマズい。ただそういう意味だ。



「じゃあ、着替えるからちょっと出ててくれる?」


 当然のこととして言う安芸。私も当然のこととして出て行こうとして、その動きを止める。


 ふとバカな考えが頭に浮かんだからだ。私が脱がせるなんて、そんな考えが。


 それこそヘンタイじゃん。意味分かんない。でも……



 どこまでやったら、安芸は怒るんだろう?


 さっき考えたこともまた、シャボン玉のようにふわりと浮かんできた。



「高田さん? はやく出てってよ」


「私が脱がしてあげるよ」


「はっ?」


 明らかに予想外のことを言われたらしい。安芸は、いわゆる〝鳩が豆鉄砲を食ったよう〟な顔をしていた。


 あるいは、私もおなじかもしれない。自分で自分に驚いていた。まさか、口に出してしまうなんて。


 でも、一度言った言葉をなかったことにはできない。私はさらに続ける。



「だからさ、私が脱がしてあげるよ。安芸の服」


「やっぱりヘンタイじゃん」


「違うよ。ただ、恋人ならこういうこともするかなって」


「するわけないよ。恥ずかしいだけじゃん」


「やってみようよ。意外と普通かもよ」


 安芸に身を寄せると、彼女は立ち上がってそれをよける。


 私も立ち上がると、今度は後退った。



「やだ。こっち来ないで」


 にじり寄る。後退る。


 そんなことを繰り返していると、私は安芸を壁際に追い詰めた形となった。


 手を伸ばす。安芸のVネックの裾を掴むと、そのまま捲り上げる。



「い、いやっ」


 手を払いのけようとする。でも私は手を離さない。


 結構な力で抵抗していた安芸は、私が諦めるつもりがないと察したのか、裾を押さえながら言う。


「分かった。脱ぐ、脱ぐからやめてっ」


 手を離すと、叩き落とすような勢いでVネックの裾を元に戻した。



「高田さん強引すぎ」


「そうかな? あ、私も脱ごうか? 二人いっしょなら恥ずかしくないでしょ」


「……いい」


「いまちょっと考えたでしょ」


「考えてない。高田さんが変なことばっかり言うから呆れただけ」


 言葉どおり、呆れたようにため息をついている。


 脱がされるくらいなら自分で、ということらしい。安芸は腕を交差させて、そのままVネックを脱いだ。



「安芸、いつもスポーツブラ付けてるの?」


 顕わになったのは、地味な灰色のスポーツブラだった。


 安芸がそれを隠すように両手で胸を隠すと、その深い谷間が強調された。



「まあ、家では。そのほうが楽だし。だから見せたくなかったのに」


「いいじゃん。これはこれでかわいいよ」


「なんかムカつく。高田さんも脱いでよ」


「安芸のヘンタイ」


「高田さんほどじゃないよ」


 声色から、安芸が本気で言っているわけではないことは分かる。


 だから、ちょっとイタズラしてやろうと思った。キスをしても変わった様子のない安芸を、変えてやろう。頭に浮かんだのは、そんなバカな考え。



「じゃあ、目、瞑ってくれる? 服脱ぐから」


「やだ。また変なことする気でしょ」


「変なことって?」


「……今日の高田さん、なんか変だよ」


 たしかに、ちょっとテンションがおかしいかもしれない。自分でも理由は分からないけど。


 私を怪訝そうにジッと見ていた安芸は、それでもそっと目を伏せた。



 なにをされるのか、安芸はたぶん分かっているはずだ。


 そのうえで、彼女は目を閉じた。


 だからしてもいいはずだ。



 自分を正当化して、私も目を閉じる。安芸が視界から消えると、代わりに彼女の匂いが増した気がする。


 唇を重ねるまでもなく、安芸を近くに感じる。でももっと近くに感じたくて、私は唇を重ねた。


 まだ遠い。足りない。もっと、もっと近くに……。唇を強く押し当てる。


 吐息が漏れる。心臓の音がはやい。これは私の音か、それとも安芸の音か。



 溶けちゃいそう。


 クリームみたいに溶けて、一つになっていくような感覚。


 やっぱり、キスはキライじゃない。


 舌先で唇を撫でると、安芸の体は驚いたようにはねて、わずかに唇が開く。


 その間を縫うようにして、私はその中に舌を滑りこませた。


 自分がどこまでするつもりだったのかは分からない。けど、安芸が思いのほか強い力で私を押してきたのでバランスを崩してしまう。


 そのまま二人して、ベッドに倒れこんでしまった。



「ひどいよ安芸。危ないじゃん」


「こっちのセリフだよ。そこまでするなんて聞いてない」


「言ってたらさせてくれたの?」


「高田さん、ホントおかしいよ。なにか変なものでも食べた?」


「ひどっ。私普通だよ」


「これで普通だったらそれこそヘンタイだって」


 安芸はため息をついて立ち上がる。それからタンスを開けて、なにやらゴソゴソやっていた。たぶん、着る服を探しているんだろう。



「安芸、もう一回キスしない?」


 背中に何気ない調子で問いかけてみる。すると、安芸は新しい服を着ながら、


「そういうこと訊くの、なんか童貞っぽい」


「ひどっ。せめて処女って言ってよ」


「高田さん、処女なの?」


「どう思う?」


 私は、安芸から遊んでいると思われている節がある。


 実際はそんなことないっていうのに。まったく、失礼な話だ。



 安芸からの返答は返ってこない。


 もう話は終わりとばかりに、片づけをすませたテーブルのまえに座る。


 さっきは私を受け入れてくれたくせに、いまはなんだか素っ気ない。


 その様子がなんだかおかしくて、私はクスクス笑ってしまう。


 そこに安芸の声が混じることを期待したものの、それが叶うことはなかった。

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