第32話 安芸に構ってほしい

 来たかったら来てもいいよ。


 そう言ったとおり、安芸は毎回私を家に迎え入れてくれた。


 テレビゲームに興じる安芸の様子は、やっぱりなにも変わらない。


 持ち込んだマンガをベッドで寝そべり読みつつ、私はその様子をチラリと見る。


 枕からする仄かな香りは、嗅ぎなれたと言ったら変態チックだけど、安芸のものだ。この匂いはキライじゃない。



 手を伸ばす。


 長くキレイな黒髪。自分のものとはまったく違うそれに、そっと手を触れた。



「高田さん、なんか触ってる?」


「髪。やっぱりキレイだなって思って。いいなー、黒髪ロング」


「このあいだも言ってたよね。高田さんも伸ばせば?」


「んー、私はいいや。人の見るくらいでちょうどいいし」


 いまでも、髪には結構な手間と時間をかけている。


 オシャレのためには仕方ないとは思うものの、一方で面倒だと思っているのも事実だ。長くすれば、また手間がかかるだろう。正直伸ばす気にはなれない。


 髪をすくと、絹のようにすべらかで気持ちがいい。枕とおなじ匂いが香った。



「首触んないで。くすぐったい」


 体をよじる安芸。私の手から髪が滑り落ち、ふたたび重力に従う。


 怒っているという感じはしない。


 まえもそうだった。


 好きなことをしているときにちょっかいを出されたら、怒りそうなものだけど。安芸はいつも冷静だ。キスをしたときでさえそうだった。


 一瞬、なにをしたら安芸は怒るんだろうだとか、そんなバカな考えが頭に浮かぶ。


 怒らせてどうしようっていうんだ。人の怒ったところなんて見たくない。



 暇だからこんなことを考えてしまうんだ。勉強でもしよう。


 バッグから問題集を取り出して解いていくと、なにやら視線を感じて手を止める。



「高田さんて勉強好きだよね。いつもやってる」


「好きなわけないじゃん。やらなきゃいけないからやってるだけ」


 安芸もやったほうがいいよと言うと、なにやら難しい声を出した。


「私はいいよ。もうすこし分かるようになってから勉強する」


「それじゃ分かんないままでしょ……」


 本気なのか冗談なのか、表情からはいまいち読めないから怖い。



 手を伸ばす。


 今度は安芸の脚を、ペンでぷすっと刺した。



「なにするの?」


「いっしょにやろうよ、勉強。一人より二人のほうが捗るし」


「いいってば」


「じゃあ、私の写せば? 恵理子にも写させたし。あ、丸写しはなしだからね」


「どうしてそんなにさせたがるの?」


「べつに。ただなんとなく」


 その言葉にウソはない。


 本当に、ただなんとなくだ。ただ、安芸といっしょになにかをしたいだけ。


 はあ、とため息が聞こえた。コントローラーを置き、テレビの電源を落とす。



「いまなにやってるの?」


「古文」


「分かった」


 安芸も問題集を開く。根負けしたってことだろうか。


 私たちがいま使っている脚の低いテーブルは、それほど大きくはない。だから二人で問題集を広げているといっぱいいっぱいだ。


 二人で使っていれば、自然と肩を寄せ合うようになる。



「高田さん、ここ分からない」


「えっと、ここはね……」


 私の説明を、安芸は真面目に聞いているように見える。


 安芸に勉強を教えるようになって分かったことだけど、べつに頭が悪いということではないみたい。


 教えたことはきちんと理解してくれるし、応用が必要な問題も解いて見せる。たぶん、普段の授業を真面目に聞いていないんだ。



「……ってこと。分かった?」


「うーん……うん」


 たまにこういう微妙な反応をするから、不安になるんだけど。



「なんか、古文って暗号みたい。こんなの生きていくうえで役に立たないでしょ」


「役に立たないって判断するためにも勉強はしなきゃダメだよ」


「高田さん、なんだか先生みたい」


 たしかに、生徒らしからぬ言葉だったかもしれない。


 安芸はしつこく言わないと勉強をしないから、扱いがいたについてきたのかも。

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