第28話 私は安芸に会いたがっている①

 家というのは居心地のいい場所であるべきだ。


 仕事から、あるいは学校から帰って、疲れた精神と体を休める癒しの場所。


 その考えに従うなら、私の家は決して居心地のいい空間ではない。


 重苦しい空気。結果でしか人を判断しない、プライドの高い母親。


 そんな空間では、疲れは取れるどころか雪のように音もなく降り積もっていく。


 不幸中の幸いは、お母さんは仕事で忙しくしていて、あまり家には帰ってこないことだ。でも――。


 今日は珍しく、仕事が休みのお母さんは家にいた。


 だから、それが理由だ。


 土砂降りの雨のなか、私が安芸の家にむかっているのは。



 ひどい雨だった。


 バケツの水をひっくり返したかのような雨は、人も、建物も、木々も、地面も、容赦なく濡らしていく。


 決して交わることのない空と大地を繋ぎとめる雫。



 雨はキライだ。


 心まで暗くなる……だとか、そんな詩的な理由じゃない。


 あまり家に寄りつかないお母さんだけど、雨が降るとよく家に帰ってくる。そうなれば、家にも私の心にも暗雲が立ち込めるのだ。


 だから、雨はキライだ。



 雨が濡らしていくものに例外はない。当然のこととして、私も濡らしていく。


 傘をさしているのに、横殴りの雨のせいで私の制服はしっとりと濡れ、露出した足には水が滴り、ソックスはぐっしょりとしていた。ブラウスも体に張り付いて気持ちが悪い。


 そんな私を察してか、あるいは外の様子を見てか。


 私を玄関で出迎えてくれた安芸は、タオルを持って来てくれた。



「大丈夫?」


「ダメ。もうしにそう」


 濡れた顔に髪が張り付いて気持ち悪い。


 もう、髪には金と時間をかけているのに。これじゃ台無しだ。


「はいこれ、夕食の材料。あとレシート。冷蔵庫入れといて」


「うん。お金用意しとく」


 ちょっと乱暴に渡してしまった袋を、安芸は丁寧に受け取った。


 私が慎重に髪を拭いている間に、安芸はしゃがみ込んで足を拭いてくれる。



「高田さん、ソックス脱いで。床濡れちゃうから。それでシャワー浴びてきなよ。その間に乾燥機で制服乾かしとくから」


「安芸、なんかお母さんみたい」


「そんな歳じゃありませーん」


 交わされる軽口が妙に心地いい。外は暗いのに、安芸の家はなんだか明るい。



「てか自分で拭けるし。普通拭くなら髪じゃない?」


「高田さん、髪にはこだわってるみたいだから、触ったら怒るかなって」


「変なところで気遣うね」


 ぐしゃぐしゃにされたら怒るけど、ちょっと触ったくらいで目くじら立てたりしないのに。



「いいからはやく行きなよ。風邪ひくよ」


 足をふきふき玄関に上がると、安芸に軽く背中を押された。


「……いっしょに行く?」


「えっ?」


 驚いた様子の二つの目が、私をまじまじと見た。



「だから、安芸もいっしょに入ろうよ」


「なにバカなこと言ってるの? 高田さんのヘンタイ」


「ひどっ。冗談だってば」


 なにも本気で言ったわけじゃない。


 いいね、いっしょに入ろう、なんて言われたら、困っていたのは私だ。

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