第22話 高田さんの部屋に行ってみたい➁

「あ、起きた? めっちゃ気持ちよさそうに寝てたよ」


 人の家でくつろげるタイプだね。


 いつかの私のように、からかうように言う高田さん。私は、そっと自分の頬に触れる。


 なんだろう……気のせいかな? さっき違和感があった。頬に。なにか、触られたみたいな……まさか。



「高田さん、なにかイタズラした?」


 思い出すのは、私の顔に落書きをされたときのこと。


 あのときはひどい目に遭った。お父さんたちが帰ってきて指摘されるまで気づかなかったし。



「なにもしてないよ」


 私から視線を外したまま答える高田さん。ふと手元を見れば、彼女のノートは閉じられていた。


「宿題、終わったの?」


「うん」


 ……? どうしたんだろう。さっきから彼女の返答が素っ気ない。



「なにかあった? 本当にイタズラしてない?」


「してないよ。でも……」


 一度言葉を区切って、私をジッと見てくる。その視線は、いつもとどこか違って見える。


「こっそりキスしたって言ったら、信じる?」


「……え?」



 ドクン。


 心臓が高鳴った。


 きゅっと心臓を掴まれたかのような痛みに、思わず体が縮む。



「安芸はこのまえしたよね。私に」


「べつに、キスしたわけじゃ……ただ、バランス崩しちゃって。それだけ」


「バランス崩したからって、唇が触れたりしないでしょ。普通」


 普通じゃない。


 その言葉に、さっきよりも強く心臓を掴まれたような痛みがした。



 私は高田さんが好き。友達としてとかじゃない。そういう意味で、好き。


 その感情を、否定されたような気がした。


 なにも答えられずにいると、高田さんが静かな声で続ける。



「安芸。目、つむってくれる?」


「それって、いつものお願い?」


「そうだよ」


「なにする気?」


「分かるでしょ?」


 あのとき私がしたことは、きっといけないことだ。


 だから、高田さんがいまからしようとしていることも、きっといけないことだ。


 でも、私は目を閉じた。


 彼女の言うとおりだ。なにをされるのか、私は分かっている。


 指先が、私の頬に触れた。



 さっきから、ずっと心臓が痛い。


 私はどうしてしまったんだろう。


 高田さんの吐息があたる。彼女も目を閉じているのだろうか。



 ――怖い。


 彼女が触れたら、私はどうなってしまうんだろう?


 私たちの関係は、どうなってしまうんだろう?


 体に力が入る。目を強くつむる。


 しかし、いつまで経っても、どこにも、なんの感触も触れなかった。



「……安芸?」


 鼓膜をうつのは、ちいさい、でも驚いたような声だった。


「どうしたの?」


「……えっ?」



 目を開ける。


 映るのは、声色とおなじ、驚いた顔で固まっている彼女の顔。どうしてか、その姿は滲んで見えた。


 ハッとなって、私は自分の頬に触れる。そこは、湿っていた。


 ビックリして、慌てて高田さんから身を離す。その勢いのまま、私は立ち上がっていた。



「ち、違うのっ。これはその、違うから……っ」


 いくら拭っても拭っても、私の目じりからは水分が逃げていく。


 そうこうしているうち、今度は怖くなってきた。



「ごめん、今日はもう帰るねっ」


 気づけば、私は外にいた。


 いつの間にかすっかり暗くなって、街灯が頼りなく点滅している。


 夜空を見上げれば月も出ていない。真っ暗闇だ。


 夢の中にいるような不安定な意識のなか、自分の靴音がちいさく響く。



 そういえば、ノートを高田さんの部屋に忘れてしまった。


 そんなことを考えていた。

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