第20話 私は安芸を知りたがっている➁

「お菓子、食べさせてあげる」


 ポテトチップスをつまんで、安芸の口元へ。


 食べ物の好みが違う私たちは、当然のようにポテトチップスの好みの味も違う。私が好きなのは塩、安芸はコンソメ。いま食べているのは、季節限定のものだ。



「高田さんて、よく食べさせようとしてくるよね。変なの」


「べつに。恋人同士がすることがよく分かんないだけ。これもダメ?」


 安芸はなにも言わず、ジッと私の手元を見つめている。


 名前がダメならこっちはって思ったけど、これもダメかな。思っていると、



「……いただきます」


 口の中でつぶやくように言って、ぱくっと、ポテトチップスを食べる。すこし大きめの一枚なので、ムリせずにまずは半分ほど。


「どう?」


「うーん……ちょっと味が濃いかも」


「そうじゃなくて。人に食べさせてもらうってどんな感じ?」


 小首をかしげる安芸。口の中のものを咀嚼し終えると、微妙といった顔で言う。



「子供っぽい。やっぱり恥ずかしいよ」


「じゃあ、今度は安芸が食べさせてよ」


「ムリ。私いまゲーム中」


「ケチ」


 いいけどね、べつに。最初からしてもらえるとは思ってないし。


 ペロッと指を舐めると、塩の味がした。たしかに、ちょっとしょっぱいかもしれない。おいしいかって訊かれると微妙な味だ。



 私たちの関係は、この味とちょっと似ている。


 友達ともいえない、もちろんそれ以上の特別な関係でもない、微妙な関係。


 でも、その関係が私はキライじゃない。この気軽な関係が、なんとも言えず心地いい。


 安芸がどう思っているのかは、全然分からないけど。



「なに? ジロジロ見て」


 ちらりと横目で見て、すこし居心地が悪そうに体をよじる安芸。それでもゲームをする手は止めていない。


「肩揉んであげようか?」


「はっ?」


 よっぽど予想外だったのか、目を丸くして私を見てくる。


 それは私もおなじだ。自分で自分の言葉が意外で、ちょっと驚いている。



「なんかずっとゲームしてるし。疲れてるかなって」


「べつに平気」


 言い訳を探しながらの言葉に、安芸はまた素っ気ない言葉で返してきた。


 それから、独り言みたいに続ける。



「どうかしたの? 今日はいつもより絡んでくるけど」


「どうってほどのことは。ただ暇なだけ」


「マンガでも読めば? 持ち込んだのがあるでしょ」


「うーん。いまそういう気分じゃないんだよなー」


 軽く背伸びをして体をほぐす。あくびが出そうになったけど、みっともない気がしてなんとなく噛み潰した。身体が軽く震える。



「寒いの?」


「うぅん、平気」


 衣替えもとっくにすんで、いまは十二月。外はすっかり肌寒い。暖房がついている部屋の中は、私には過ごしやすい温度だった。


「でも、これからどんどん寒くなるんだろうなぁ。やだなぁ」


「高田さん、冬キライ?」


「好きな人いないでしょ。春が待ち遠しい。一生はるうららな天気ならいいのに」


「そ、そう……」



 ……? なんだろう、安芸の様子がどこかおかしいような?


 いま、私の言葉の一部分に、びくっと反応してたよね?


 えっと……



「はるうらら」


「うっ」


 びくびくっ。


「うらら」


「うぅっ」


 びくびくびくっ。


 なんでこんな反応……あ、まさか。



「安芸、ひょっとして、うららっていうの? 名前」


「…………」


 そうらしい。沈黙が物語っていた。



「普通の名前じゃん。なんで隠すの?」


「べつに隠してたわけじゃないけど……変な名前でしょ? 秋なのにうららとか。それに、私にはかわいすぎるし。似合わないよ」


「そんなことないと思うけど……」


 否定しようとして、やめる。


 私がどう思っても、本人がそう思っている以上は、なにを言っても仕方がない。


 安芸はため息をついて、静かにうつむいてしまった。



「知られたくなかったのに。なんで反応しちゃったかなぁ」


「まあまあ。かわいくて似合わないっていうなら、私も似たようなもんだしさ」


 慰めになっているのか自分でもよく分からないことを言う。


 デリケートな話題っぽいし、あんまり踏み込まないほうがよさそうだ。よさそう、だけど……



「ね、どうしても名前で呼んじゃダメ?」


「絶対ダメ」


 食い気味に言われた。


「いままで通りでいいでしょ。安芸っていうのも、なんか名前っぽいし」


「まあ、いいけどね。そのほうが呼びやすいし、私の中で、もう安芸は安芸って感じだから」


「そうして。高田さん」


 そっけなく言って、ふたたびゲームに集中し始める。



 名前って不思議だ。呼びかたが違うだけで、距離が近くなったようにも感じるし、逆に遠ざかったようにも感じる。


 名は体を表す、なんて言葉がある。


 真偽はともかく、安芸の名前は安芸に合っているように思える。



 うらら。


 声には出さず、心の中だけでつぶやく。


 その名前を、いつか呼ぶ日は来るんだろうか。今日の安芸の反応を見るかぎり、期待できそうもない。けれど……



 いつか呼んでみたいな。そう思った。

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