第19話 私は安芸を知りたがっている①
何度も安芸の家の台所に立っていると、段々と料理にも慣れてくる。
どこに調味料があるとか、食器があるとか、調理器具があるとか、そういうことも分かってやりやすくなる。ただ、同時に問題も出てくるのだ。
私は、もともと料理のレパートリーが多いほうではない。自分一人が食べられればいいという感じだから、安芸に作るまで他人の感想を聞いたこともなかった。
自分でやりだしたことではあるけれど、たまに面倒だなと思うこともある。それでも、自分が作った料理を「おいしい」と言って食べてもらえるのはうれしい。そういった意味では、私は料理を楽しんでもいる。
私たちは好みに結構差があるから、メニューには気を遣う。今日のメニューはハムカツだ。
たまに恋人の練習として「食べさせてあげようか?」と言うこともあるけど、恥ずかしいからと言って頑として受けてくれない。
安芸の家に入り浸るようになって結構経つ。
けれど、私は安芸について知らないことがたくさんある。例えば――。
「安芸ってさ、名前なんていうの?」
「急にどうしたの?」
食事を終えたあと、安芸の部屋でゴロゴロしているとき、気になっていたことを口に出してみる。
安芸はゲームをプレイしつつ、私を見ずに訊いてくる。
「考えたら、私、安芸の下の名前知らないなーって思って。なんていうの?」
「……高田さんはなんていうの?」
「私?
「だれがつけたの?」
「お父さんだって。安芸は……」
「かわいい名前だよね。いいと思う。高田さんに似合ってる」
「ちょっと!」
相変わらずゲームをしたまま返答する安芸に、私は抗議の声を上げた。
「なんで誤魔化すのさ。教えてよ」
すると、安芸の手がピタリと止まった。画面のキャラクターの動きも止まって、敵にいいように攻撃されて、ゲームオーバーになってしまう。
「……秘密」
ふたたび動き出す手。しかし、言葉はそこで止まってしまった。すこし待ってみたけど、やっぱり安芸はなにも言わない。
「え、なんで? 教えてよ」
「ダメ。教えない」
意固地になってる……という感じじゃない。そこにあるのは静かだけどたしかな拒絶だ。
私はこの反応を知ってる。
お父さんは某国民的アニメのガキ大将とおなじ名前をしているせいで、子供のころはおなじあだ名で呼ばれていたらしい。
その理由から、自己紹介が苦痛だったし、名前にコンプレックスがあると昔聞いた。いまの安芸の反応は、その話をしたときのお父さんに似ていた。
「どうして急にそんなこと訊くの?」
「恋人なら名前で呼ぶのが普通かなあって。練習になるかなって」
「いつものお願いってこと?」
「そうかな……たぶん。聞いてくれる?」
「やだ。きかない」
プイと顔を逸らしたまま、そっけなく言う安芸。
私としても、安芸が本当にイヤがることはしたくない。でも……
友達は、恵理子たちは私を名前で呼ぶ。私も彼女らを名前で呼ぶ。友達だし、それが普通だろう。
じゃあ、私たちは? いっしょにご飯を食べるなかなのに、友達でもないんだろうか?
分からない。考えてみればそうな気もする。知らないことも多いし、いっしょに出掛けたこともマンガ喫茶へ行ったくらい。これでは、ちょっと親しい知人くらいの関係だ。
「じゃあ、私のこと名前で呼んでよ。美玖って。それならいいでしょ?」
「……やだ」
が、またしても安芸の返事は素っ気なかった。まさかの二文字。
「えー、なんでさ?」
「人を名前で呼んだことないし。なんか恥ずかしい」
「ケチ」
とはいったものの、そういう人もいるだろうけど。
安芸がイヤがることはしたくない。それは本心だ。でも、ここまで隠されると気になる。
ゲームのキャラはどんな名前にしてるんだろう? 見てみると「あああああ」だった。本当にこんな名前つけてる人初めて見た。適当すぎでしょ。
「もう名前はいいでしょ。ほかのお願いなら聞くから」
そう言われては、これ以上の追求はできない。ムリに聞き出すのも気が引けるし。
「じゃあ……」
どうしようかな。急に言われても思いつかない。
恋人っぽいこと、恋人っぽいこと……
ちょっと考えて、思いついたことがあった。名前がダメなら、こっちなら。
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