第15話 高田さんが寝ちゃうからだ

 マンガがキライというわけじゃない。ただ小説のほうが好きなだけだ。


 とくに興味を惹かれたタイトルもなく、適当にとったマンガを読むともなく読んでいると、なんだか意識が遠くなってきた。


 二人でいるにはすこし狭い個室には、高田さんがページをめくる音が心地よく耳をうつ。


 それを聞いているうち、私はいつの間にかうたた寝をしていた。



 夢は見ていない。ほんの一瞬意識が飛んでしまっただけだと思う。


 いま何時だろう? 時計を見ようとしたら、それよりもはやく、高田さんの顔が目に入った。


 いつ眠ってしまったのか、彼女は私の隣でかすかな寝息を立てていた。


 触れ合うほどに近い……っていうわけじゃない。でも、手を伸ばせば届くところにいる。



 いつもどおり着崩した制服。そんな状態で寝るからだ。スカートもブラウスも、ちょっと危ういことになっている。


 きめ細かな肌は薄いメイクで整えられている。絶世の美女、というわけではないけど、やっぱりキレイだ。私には、彼女は東洋の神秘的な彫像のように見える。


 薄いピンク色の唇。


 そこには触れたことがない。そもそも、私は高田さんにほとんど触ったことはない。一度手をつないだだけ。


 もちろんそれが普通だと思うけど……



「寝てるの?」


 呼びかけてみても返事はない。返ってくるのは、規則的に聞こえる寝息だけ。


 手を伸ばす。そっと彼女の手に触れる。細くて、やわらかくて、温かい。なにも反応はない。


 手はすこし下に動いて、スカートの裾をつまんでみた。捲ったりしない。ちょっと引っ張っただけだ。まだ反応はない。



「寝たふり?」


 今度は手を上に動かす。頬をスッとなぞって、やがてピタリと止まる。彼女の、薄い唇で。


 ぷにぷにしている。私の知らない感触だ。反応は、まだ返ってこない。


 どうやら本当に寝ているらしい。イタズラ……しちゃおうかな。


 以前、私が居眠りしてしまったとき、顔に落書きをされたことがある。だから……


 これは、その仕返しだ。



 顔を近づけると、シャンプーの甘い香りがした。


 いままでにも何度か嗅いだことのある香り。高田さんが来た日、私の部屋に交じる香りだ。


 さらに顔を近づけると、香りが強くなる。それに反応するように、私の心臓の音もドキドキと強くなっていく。


 私の唇は高田さんの唇を通り過ぎる。そして、その頬へ。


 ぎゅっ。


 高鳴る鼓動を押し隠すように、私は唇を強く押しつけた。



 やわらかな肌に、私の唇が沈んでいく。ビックリして、私は慌てて唇を離す。


 身を起こし、呆然と高田さんを見つめる。気づけば、私の息はあがっていた。意識にも靄がかかったみたいに真っ白になる。


 私、いまなにを……



「あれ、安芸?」


 靄が破れ、声が聞こえた。


 ぼんやりしたまま声のほうを見ると、高田さんもまたぼんやりした顔で私を見つめていた。


「いま、なにかしてた?」


「な、なにも! なにもしてないから!」


 必死に誤魔化す。でも、ちょっと必死過ぎたのかもしれない。寝ぼけた顔だった高田さんは、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。



「ひょっとして、なにかイタズラした?」


「してないよ」


「ほんとかな~。顔に落書きしてない?」


「そんな子供っぽいことしない。高田さんといっしょにしないで」


「ひどっ」


 とくにショックでもなさそうに言う高田さん。



「てか私寝ちゃってたんだ。いま何時?」


「えっと、八時十分まえ」


「ヤバ、もう時間じゃん! はやく帰る準備しなきゃ! もっとはやく起こしてよ!」


「私も寝てたから」


 これで誤魔化せた……と思う。いや、誤魔化せていないと困る。


 あんなこと、寝ている高田さんにしていいことじゃなかった。あんな、寝込みを襲うようなこと……



 帰り支度を整えつつ、チラリと高田さんに視線をやる。


 制服を整え終えた彼女は、今度は手鏡を見て髪の毛をすいていた。


 そして、その手がふと頬に触れる。なんてことはない仕草だ。とくに意味のない。取るに足らない。そのはずだ。それなのに――。



 どうしてこんなに、胸がチクチクするんだろう?


 魔がさすことはだれにでもあるだろう。でも、自分のしたことをイヤって程後悔する人は、そうそういないに違いない。


 私はいま、自分のしたことを心から後悔していた。



「よしっ。じゃあ、そろそろ帰ろうか」


 高田さんはいつものように笑いかけてくれる。


 それでも、胸のチクチクは消えないままだった。

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